私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

エビネ展

2011-04-30 13:37:49 | 日記
 4月30日(土) 天気:曇り  室温:21.8℃

 きょうは きのう オープンした手柄山交流ステーションで 行われている”エビネ展”を 観に行きました。
きのう 早速 しみけんさんが 行かれ 「モノレール展」をレポートされていました。 私も ついでに ”モノ
レール展示室”に寄り 昭和54年に 廃止されたモノレール車両の展示も 見てきました。
 今は 多目的ホールで 写真展も行われています。 隣の緑の相談所で ”サクラソウ展” を していたの
で 寄ってみました。 桜やドウダンツツジなどを見ながら 手柄山中央公園を 散策しました。
 大規模改修工事中の「水族館」は 7月2日 リニューアルオープンの予定です。

 2回の展示室に 姫路モノレール車両が 展示してあり 2両のうち 1両には 乗ることができます。 姫
路モノレールは 昭和41年 姫路大博覧会の開催に合わせて 導入されました。 開業当時の様子が ジ
オラマで 紹介されています。


 姫路モノレールは アメリカのロッキード社が 開発し 川崎航空機で 製造された当時としては 最
新鋭のモノレールです。 鉄道、自動車に代わる次世代の都市交通機関として 大量輸送を可能
にした 新しい交通機関として 大いに期待されました。



 隣の「緑の相談所」で 行われていた ”サクラソウ展” を覗いてみましたが これという花は あ
りませんでした。 サクラソウは もともと日本に自生していましたが 今は 自生地が ほとんど
なくなり 浦和市田島ヶ原だけが 国の特別天然記念物に指定され 素朴な愛らしい花姿を見せ
ているそうです。


 今は 西洋サクラソウのプリムラが 園芸品種として 広く栽培されているようで ポリアンサ、
ジュリアン、マラコイデス、オブコニカなどの花を よく見かけます。


 3階の研修室で行われている「エビネ展」へ行きます。 エビネは 好きな花のひとつで 但馬の
とんがり山を歩いていて 見付けた時は 嬉しかったことを思い出します。 山地の林床や木陰に
生える常緑の多年草。 地下茎が 数珠のように連なり その形が エビのようにみえるところから
その名が付いたそうです。 花が小さく ピントが合いにくいのが 難点?






 エビネ展を見て 交流センターを後にし 咲いている花を見ながら 北の展望台へ行きました。
手前の広場に 三等三角点:手柄山 49.3m がありますが 重い蓋があり 三角点を見ること
はできません。 が 横に 三角点の説明板が あったとは 知りませんでした・・。
展望台から 姫路市街が見渡せ 後背には 書写山、広峰山が並んでいます。





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大徳山 だいとくさん 556m

2011-04-29 17:30:42 | 山歩き
 4月29日(金)  天気:晴れ・曇り 下山後 晴れ    地図:関宮(南西)+八鹿(西部)

 きょうは 養父市の山に ふたつ 登りました。 大屋町の夏梅(なつめ)711mと 八鹿町の大徳山556
mです。 二等三角点をめぐる旅も いよいよ 但馬に突入。 遠いので ダブルプレーを 狙わないと・・・。
 夏梅(山名不知)は 山頂近くまで 車で行けます。 大徳山は やまあそさんのレポを 参考に 満福寺
から 峠を経て 北尾根を登りました。 これで 二等三角点は 77点踏破、 残りは 21点となりました。

 6:40 出発。 たつの、新宮を抜け 山崎に入り 国道29号線に乗り さらに北へ走り 7:41 安積
橋で右折して 国道を離れ 県道6号線に入ります。 さらに北へ走り 三方町で 国道429号線に合流し
少し先で 国道と別れ また県道6号線に入ります。 まず 大屋町の二等三角点:夏梅へ向かいます。


 冨土野トンネルを抜け 養父市に入り カーブの多い坂を下り 途中 明延で 寄り道をして さらに
下ります。 大屋町由良で 左折して 由良橋を渡り 由良セカンドハウス村の標識を見て 林道に入
り 坂道を登ります。 この林道は 農地開発用道路? 思ったより 道幅が広く 走りやすい。
 また 見晴らしも良く 登るにつれて 南に御祓山が見えてきます。 御祓山が 間違っていなければ
その後方の山は 大杉山~須留ヶ峰でしょう。 同定できませんが 南西方向には 一宮町の1000
m峰が見えている筈です。



 「点の記」を見て 上の林道に出て 東へ廻り 山頂の東から 登るつもりでしたが 間違えて 少し手
前の道に 入ってしまいました。 二等:夏梅は 山頂に 大きな電波塔があるので 管理道がある筈で
す。 この道の終点は 壊れかけたビニールハウスが並ぶ 農園?でした。 山の上に 電波塔が見え
ています。 9:11 この農園に 勝手に 駐車させてもらいました。 お断りしようと思いましたが 誰も
居ないので・・・。 下の県道6号から 林道を 7.2km登り、 家から 88.4km走りました。


 何も持たず 適当に 山へ取り付きました。 道はありませんが なぜか テープがあり 目印になっ
ています。 なだらか登った先に 大きな電波塔があり フェンスに沿って 左から廻ると 管理道に出
て 奥に ピークがあり アセビを掻き分け 50mほど進むと 山頂でした。 予想通り 簡単でした。


 開けた平坦地に 二等三角点:夏梅がありました。 三角点の奥にも 鉄塔が見えています。 山頂
から 北が見え 大きな山は 妙見山でしょうか? 林道に降りると まばらに雪が残る山が 見えまし
たが 氷ノ山? わ~さんの御祓山のレポに 氷ノ山が見えたと ありますから たぶん間違いないで
しょう。 登ってきた方向に降り 9:33 車に戻り 直ぐ車を出し 坂道を下ります。 


 由良橋を渡り 左折して 県道6号線を 東へ向かいます。 次は 八鹿町の大徳山です。 県道6号
線を東へ行くと 左近山辺りから 左に見える大きな山が 大徳山でしょう。 やまあそさんのレポに
あった満福寺から登るつもりなので 広谷から満福寺へ。 ところが 県道に満福寺の道標がありま
すが 道が分かり難い・・。 満福寺への参道道へ入れば 一本道。 細い林道を登り 満福寺・仁
王門の前に出ました。 由良橋から19.5km、10:17 仁王門前の芝生広場に 駐車。
 山から降りて よく見ると 広場は 鹿のフンだらけでした。 満福寺は 山の中腹にある うっそうと
した新緑の静寂に包まれた立派なお寺です。 降りてから お参りするとして 10:22 スタート。



 「点の記」では 北の米里(めいり)から林道をつめ 登るようになっていますが 道がはっきりし
ないようなので やまあそルートで 満福寺から 北の峠(ひとえ坂?)から北尾根を 登ることにし
ました。 林道が右にカーブするところから 破線の道を進みます。 ここには 霊園の看板があ
ります。 破線の山道を進むと 少し先で 林道に合流し コンクリート舗装の林道を 歩きます。


 10:40 林道がカーブする峠に出ました。 ひとえ坂と言うのでしょうか? 林道は 北へ下ってい
て 北が開け 山並みが見えます。 峠のお地蔵さんは 一段高い 分かり難い所に ありました。
道標には 何と書いてあるのでしょう? 右は 読めますが・・。 西に道があり 山へ取り付きます。 


 なだらかで 歩き易い ピンクのミツバツツジが 点在するの松並木でしたが 徐々に傾斜がき
つくなり ネットが現れて ネットに沿った急な登りになります。 倒木は 大したことはありません。
 天気予報は良かった筈ですが 空が暗くなり 冷たい風が吹いてきました。 雨が降るかも・・。
急な登りで しんどいので 涼しいのは ありがたい・・。



 登るにつれて 右に景色が見えてきて 北の山が見渡せます。 北の形のいい山は 408m峰
で その右奥は 須留岐山? 景色を見ながら ゆっくり登り 11:26 林道に出ました。 右から
上がってきた林道が 左へ折り返すヘアピンカーブのコーナーで 左へ進みます。


 林道を100mほど進むと 尾根道が現れて 林道と離れ 山へ取り付きます。 ここから山
頂までの登りが また きつい! 2.5万の地図で 5mmの間に 等高線が 7本あります。
 踏み固められた道はなく 土が崩れ よく滑ります。 この急登と格闘中 後方からサイレン
が聞こえてきました。 11時半か・・。 休み休み登り 11:42 大徳山に登りました。



 狭い平坦地は 大木に覆われ 薄暗くなっています。 きょう 二つ目の二等三角点:広谷を ゲ
ット。 三角点の脇には 広谷小学校の”親子のつどい登山記念”の石版が 埋められています。
かなり重いと思いますが どのようにして運んだのでしょう? 横には ”左近山区 生涯教育登
山記念 1995.4.5”の碑もあります。
 ところで 三角点の住所は 大字左近山字仙源寺79 となっていますが それなら 点名も 左
近山 とすればいいのに・・・。 広谷小学校の子供たちも 登っていますが・・・。



 南尾根を歩いてみましょう。 なだらかで 歩きやすい尾根ですが いまだ 新緑には 至らず おま
けに 雨が降りそうな 暗い雰囲気でした。 尾根を少し戻り 植林の斜面を西に降り 林道へ飛び
降りました。 この林道は 西北西の尾根を巻いて 東へ延びているので これを歩いて 山頂の
北へ廻ります。
 が まず この林道の偵察のため 南へ歩いてみました。 林道は 南尾根の先が 終点。 下に
平坦地があり 降りてみました。 ここが 寺跡でしょうか? やまあそさんの地図では もっと西?
 必死?に 瓦のかけらを 探しますが・・・。 探しながら 西へ進むと 大岩がありました。
この岩が・・。 今は 木が茂り 下界の左近山から 望遠鏡で見ても 岩は 見えないでしょう。
 岩の下に ミツバツツジが咲き 木々を透かして 下の集落は 見えます。



 尾根に沿って 林道を 西へ歩きましたが 左近山へ降りる道は 分かりませんでした・・。 この西
尾根の斜面は アセビのジャングルで 白い花が びっしり付いていました。 西尾根の先端を巻い
た辺りで まばらな木の間から 周囲の山を見ることが出来ます。 林道を 北へ回ると 絶好の展
望台になっています。 西?に 見える平らな山は 瀞川山? 平らな山は 瀞川山しか知りません。



 但馬の山には なじみがないので 見える山が さっぱり分かりません。 でも 景色が見えないとこ
ろを歩くより 見晴らしがある方が 気持ちがいい。 林道は 倒木もあり 土砂が崩れ ネットの支
柱も倒れ 車も通れず せっかく造った林道も 役に立ちません。 まあ 歩くことは 出来ますが 歩
く人は いない? この林道が 登ってきた北尾根に出るか どうか すこし不安でしたが・・・。

 TAJIさんの「兵庫の山めぐり」を見ると 下左の写真の左の尖った山は 知見のとんがり山590m
で 右奥にかすむ なだらかな山は 大岡山だそうです。 下中の写真の右奥の山は 須留岐山です。
知見のとんがり山へ登った時 エビネが咲いているのを見つけ 嬉しかったのを 思い出しました。



 12:40 林道出合に戻り 雑木尾根に入り 急斜を下ります。 尾根の下りは うっかりすると
ルートを外すので 注意が必要です。 概ね 右のネット沿いに降りれば 間違いない・・。
 景色を見ながら 滑らないよう慎重に降ります。 天気は 少し回復し 空が明るくなってきまし
た。 景色も 多少 はっきり 見えるようになったようです。


 急斜を下り終え 傾斜が緩み 歩きやすくなると ほっとします。 13:16 峠に降りて
林道を下ります。 右に 大徳山の頂を見ながら 霊園の横を通り 13:30 車に戻り
ました。 車で弁当を食べてから 満福寺に お参りしました。 


 仁王門の仁王さんも立派ですが ガラス張りのため 光が反射して 写真は撮り難い。 仁王
門を潜り 滑りそうな苔の付いた石段を上がり 落ちた椿の花を踏みながら 石段を上がります。
 右に 鐘楼、正面に 本堂があります。 新宮山・満福寺は 聖武天皇の天平年間に 行基菩薩
によって 開基され 本尊は 自ら刻んだと 伝えられる等身大の千手観世音菩薩。


 盛時には 七堂伽藍一九坊があったが 天正年間 豊臣秀吉の山陰攻めの際 伽藍は ほとん
ど焼失した。 天平以来 幾多の興亡を繰り返すも 但馬高野として 法灯連綿として 今日に至
っている・・・。 本堂の唐破風も 軒の彫り物(鳳、天女?、龍)も たいへん立派です。
 周辺には 新緑に染まるモミジの木が たくさんあるので 紅葉の頃も見物でしょう。 一見の
価値のあるお寺でした。


 14:10 帰路につき 播但道で 帰ります。 下の県道に降りて 浅野橋を渡り 南へ下ると
後方に 大徳山が 雄大です。 走りやすい県道70号線を 南下。 14:41 朝来ICから 播但
道に入ります。 残念なことに 朝来IC入口で 車の距離計を 確認するのを忘れたので ここ
までの距離は 不明です。
 後は 播但道をひた走り 15:15 花田ICを出て 姫路バイパスに廻り 15:39 家に帰っ
てきました。 播但道は 社会実験により 300円割引。 朝来ICは ETCは 不可。


 本日の走行距離は 往路:夏梅まで 88.4km 満福寺まで 19.5km 復路:94.5kmで
計:202.4kmでした。
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アジサイ展

2011-04-27 16:50:47 | 日記
 4月27日(水)  天気:晴れ 後 曇り  室温:25.5℃

 きょうも つれづれなるまま 姫路温室植物園に行ってきました。 今は アジサイ展をやっていま
した。 アジサイは 梅雨の頃かと思いましたが・・・。 午後 雨が降ったので 菜種梅雨のはしり?

 アジサイ科アジサイ属のアジサイは 日本原産の植物で 花言葉は 移り気。 花の名の由来は
「あじ」 は 「あつ」で 集まること、「さい」 は 「真(さ)の藍(あい)」を 約したもので 青い花が 集ま
って咲くことからきている。 古くは アヅサイ とも呼んだ。

 最近 ハイドランジアといわれる西洋アジサイで 品種改良が進み カタカナ名の品種が 多いよう
です。 シーボルトも 日本に来て 植物の研究をはじめ なかでも 心を奪われたのが アジサイで
「オタクサ」は 日本での最愛の妻 楠本滝 の愛称だったとか・・・。

 今日の新聞に 「播州平福しゃくなげの里」で シャクナゲが 色とりどりの花を開き始めた という
記事が載っていて 連休中に見ごろを迎えるそうです。 行ってみようかな・・・。 600円?


 アジサイは 土の性質によって花の色が変わるめずらしい植物です。 土が酸性だと 青色系 中性
か アルカリ性だと赤色系になる傾向があるのです。 これは 土の中のアルミニウムが 植物の色素
に反応して 引き起こすものです。 この性質を利用すれば 植替えや鉢上げのときに 選ぶ土によっ
て 思い思いの花色を 出すことができるのです。








 
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有乳山 あるちさん 210m

2011-04-24 13:51:39 | 山歩き
 4月24日(日)  天気:晴れ 後 曇り 後 雷雨    地図:笠原(西部)

 きのうは 雨で 何所へも行けず・・・。 きょう 姫路市東部 豊富町の有乳山に登ってきました。 山の
名は 姫路城の城主・松平直矩が 跡取り息子の乳を授かったことから 名付けたそうです。 登山口に
岩屋寺があり 姫路城の鬼門に当たることから 城主の厚い信仰を受けた と言われています。

 「鬼門」 は 風水かと思っていましたが 陰陽道だそうで 陰陽道は 播磨の優れた歴史・文化であり 風
水都市・姫路は 播磨の陰陽師と深くかかわっているのです。 姫路は 四神相応の街で 陰陽師の祖と
言われる吉備真備が 唐で陰陽道を学び 帰国して 姫路の広峯神社に住み着いたのも うなずけます。

 すなわち 東は 青龍に相応しい流水(市川)、西は 白虎の大道(西国街道?)、南は 朱雀の汚地(窪ん
だ湿地)、北は 玄武の丘陵(広峰山)があり 官位、福禄、無病、長寿を併せ持つ地相だそうです。

 鬼門は 丑、虎の方角で 北北東から東北東の方角で 鬼が出る方角。 面白いのは 「桃太郎」の話
です。 桃太郎が 鬼退治に行くのに 猿、雉、犬を 連れて行きますが 申、酉、戌 の方角は 丑、虎とは
反対方向になり 鬼を封じ込めることが できる? また 桃には 厄を払う 邪気を払う力があるとか・・。
ともあれ 占いは おとぎ話に入り込むくらい 身近で 大切なものだった・・・。

 という訳?で 帰りに 飾東町佐良和(さろお)にあるもう一つの鬼門の歳徳神社にも お参りしてきました。
歳徳神も 陰陽道に関わる神で その年の恵方を 決めたり 初詣も 陰陽道と関わり・・・。


 7:56 出発。 姫路バイパスから 花田ICを通り 8:28 播但道・豊富ランプを降ります。 播但道
は 5km、200円。 右折して北へ進み また 右折して 県道373号線を 東へ約2.5km走ると 岩
屋寺の表示があり 右折すると すぐ先に 広い駐車場があります。 8:39 駐車、家から32.8km。
 上のお墓の前にも 数台停められるようです。 8:42 スタート。 まず 岩屋寺に お参りします。
駐車場の脇にあった御詠歌は : はるばると 有乳の山に のぼりきて 衆生ともに こころしずめん



 有乳山・岩屋寺は 大化元年(645) 法道仙人の開基とされる古寺で 本尊は 毘沙門天(北方の
守護神)。 天正五年(1577) 別所吉親に攻められ焼失。 1676年 源空が 中興し 現在に至る。
 参道を進むと 右に毘沙門堂があります。 住職さんが お花を飾ったり 男の人が 座布団を運ん
だり・・。 何かあるのでしょか? さらに参道を進み 階段を上がると 右奥に 本堂があります。
ここに 木造毘沙門天立像があるようですが 見ることは出来ません。 本堂の前に 手水舎があり
ましたが ここにあった水盤は 家形石棺の蓋石を利用したもの? この辺りには 四国88ヵ所霊
場巡りの石仏が 並んでいます。


 本堂にお参りし 左の石段を上がると 毘沙門洞窟があり この大岩が 岩屋寺の名の由来に
なったそうです。 右に不動明王、左に役行者の石像がありますが 中央にある祠には 鍵がかか
り 毘沙門天は 見ることができません。


 有乳山を 調べると 「野歩記」さんのページがあり 野歩記さんは 一旦 下に降りて お墓の左から
登られたようです。 濡れて滑りそうな参道を降りて お墓の左のコンクリ道を 登りますが 道が 見
当たりません。 山へ取り付く道は 分かり難いです。 左上に 88ヵ所巡りの石仏が 見えたので 上
に上がり 山への道を見付けることができました。


 登山道は 歩く人が ほとんど いないため 荒れて 分かりにくくなっています。 その上 きのうの雨
で 積もった落ち葉は 濡れていて 土も湿り よく滑ります。 おまけに 急斜面の登りです。 確か 「点
の記」 も 野歩記さんも これを登ったはず。 私も文句を言わずに 登らないと・・。
 9:35 西尾根に出ました。 登り始めて 18分。 尾根には 踏み跡があり 歩きやすくなります。
見晴らしのない密集した雑木尾根を登り 9:50 有乳山に登頂。 墓地から33分。 テレビアンテナ
が 林立しています。 数えると 10本ありました。



 3mほど横に 三角点があったのに 雑木に隠れ 分からず イバラを掻き分けて 探しまわりました。
ミツバツツジが 満開で 足元には ヤマツツジも咲いています。 低い雑木越しに 東から西にかけて
180度 見渡せ 東の尖った山の中に 笠松山がある 筈ですが・・・。


 南下には 金池があります。 その奥に 高山が・・・。 東南東には 法華山・・・。 残念ながら
全然 同定できません・・。 野歩記さんのページにあった モチツツジが 見当たりません・・・。



 10:03 下山。 急斜面は 降りるときの方が よく滑ります。 低いシダヤブを抜けた先から
尾根を外れ 登ってきた北斜面を降ります。 野歩記さんは この急斜面を 降りたくなかったか
ら 尾根を 西へ降りて 姫路セントラルパークへ・・。 まあ 二、三度 尻もちは つきましたが・・。
何ということは ありません。 ちょっと ズボンが汚れただけ。


 88ヵ所霊場の祠へ降りて 巡礼道を右へ進むと 裏から毘沙門堂へ出ました。 きょうは お祭
だそうで お堂は開いて 女の人が接待中? が お参りの人は 私だけ。 バニラクリームロー
ルのカステラを頂き 祭壇を撮らせていただきました。 秘仏の毘沙門天立像では ありません。
 黄金色の坐像仏です。 毘沙門堂の脇にある88ヵ所霊場巡りの石仏に 信濃国・善光寺とあり
ます。 なんで? 


 参道を歩いて 10:39 車に戻りました。 まだ 早いので 帰る途中にある歳徳神社へ 行
きましょう。 歳徳神も 陰陽道つながりで 鬼門の岩屋寺とも 繋がっています。
 10:44 車を出し 県道へ出て左折。 すぐ先で また左折して セントラルパークの前を 通
り 南の国道372号線に出て 右折して 西へ戻ります。  空が 暗くなってきました。


 前に 庄山へ登った帰りに 歳徳神社にお参りしたことがあり 大体の場所は 分かっています。
信号のない路地を曲がり 北へ進むと 山裾に 歳徳神社があり 神社の前に 車を停めました。
岩屋寺から 9.3km。 11:08 駐車。 横の龍神池には 龍神岩が祭られています。 



 神社に入ると 左正面に 鬼門守護神の大きな石碑がありますが 左下に書かれている人の
名は・・・。 せめて 裏に書いてほしい。 石碑の前に小さい狛犬がありますが 鬼封じの
戌の意味が込められているのでしょうか? 残念ながら 狛犬の顔が 一部分 壊れています。
 鳥居を潜って 進むと 手水舎があり 手拭いに歳徳神社の銘が 入っています。 私も一枚
欲しい・・。 厄除けに。  歳徳神社は 境内が 非常に狭いので・・・


歳徳神社の由来によりますと
 抑々 この地に鎮座し給うは 歳徳大神なり。 今を去る六百有年前 赤松則村の二男 赤松貞範
 庄山に城を築く。 その系族 小寺政隆が 庄山城主なリし時 備前三石の城主 浦上村宗なる者
 庄山城に攻め来たる。 時に 享録三年七月廿七日にして 大奮戦の結果 衆寡敵せず 一族・家
 臣 討死せり。 尽く内 唯一人の武将 足に重傷負い 此の地に逃れ来たり。 此なる岩上にて
 自害せり。 死に臨み 遺言して曰く 「歩行不自由なる者は 何人によらず 一切 われこれを
 守護せん」と。 爾来 祈願 参拝するもの その霊験をえて 今日に至る。
 又 姫路城主十六代 羽柴秀長公は 竹の門と共に 城の鬼門に当る此の地に あき方を司る神を
 祭り 歳徳神社と称したるより 一層 有名となる。
 奥の宮は 歳徳神社に信仰厚く その霊験を得たる第一人者として 大神の御威徳の現れとなし
 玉姫君を祭神とし 女一代の守護神とす。
   ひとすじに 清き心で 念ずれば りやくあらたか 歳徳の神


 本堂の周りに 干支の絵が掛けてあり お堂廻りと称し 歳徳大神 即ち 方位 十二支(えと)を
も守護する神なり 依って 吾身の十二支の所にて諸事を祈願されたし  とあります。 私は ○年
のところで お祈りして・・・。  


 階段を上がって 歳徳不動明王へ。 石像ではなく ブロンズ像? 雨が落ちてきましたが せっか
くなので さらに階段を上がって 玉姫神社へ。 お参りして 急いで降ります。 黒い雲が 空を覆い
雷が鳴り 鵺でも出てきそうです。 鵺が出ても 弓名人の源頼政は いないし・・・。


 11:35 帰路につきます。 雨が かなり降ってきましたが 車なので 問題ありません。 車の汚
れが 落ち きれいになったかも・・。 11:47 花田ICから播但道に入り 姫路バイパスを 走り
12:14 家に帰ってきました。 ”新婚さん いらっしゃい”には 余裕で間に合いました。
 本日の走行距離は 往路:32.8km 歳徳神社まで:9.3km 復路:26.2kmで 計:68.3km
でした。
 ところで 歳徳神は 牛頭天王の妻で 八王子(八方位の暦神)の母である頗梨采女のことですか?
牛頭天王は 素盞鳴尊(すさのうのみこと)と同一視されることもあるので 妻の櫛稲姫命と同一人物
でしょうか?  疑問点が 増えるばかりで 頭が どんどん白くなり・・・。

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浅口市の旅

2011-04-16 20:18:32 | ドライブ
 4月16日(土)  天気:晴れor曇り+霧のように濃いモヤ
 
 きょうは 岡山県浅口市の観光スポットを ドライブしてきました。 「陰陽師ツアーin浅口」としたかっ
たのですが 道満碑、晴明碑が あまりに貧弱だったので 観光協会から送ってもらったパンフレット
の表紙の 星・郷・海 「浅口の旅」としました。 時間は かかりましたが 予定した場所を 大体 回るこ
とはできました。 しかし きょうは モヤの濃い一日でした。 朝 霧かと思って そのうち晴れると思っ
たのですが 夕方まで 晴れず・・・。

 きょう めぐったのは ゆるぎ堂地蔵石仏、安部晴明屋敷跡と碑、岡山天体観測所、遙照山・両面
薬師堂、金光駅、道満の墓、晴明の墓、道満池の坊主岩、安倉八幡神社の大楠、三ツ山(三郎島)、
大浦神社、鴨山の磨崖仏、鴨神社、鴨方藩陣屋跡、かもがた町屋敷跡 です。(詳細は 4月7日の
ページを参照してください) 鬼の手形岩は 訪れることが できませんでした。


 8:11 出発。 国道2号線から 8:34 龍野西ICに入り 山陽道を西へ走り 9:32 鴨方ICを降
ります。 山陽道は 102.1km 休日で 1000円です。 まず 北へ向かいます。 西から北へ廻り
ゆるぎ堂地蔵石仏へ。 この辺りは 道も狭く 道標もなく 駐車場所もなく 難しい所にありますが こ
の辺りの人は 皆さん 親切で 丁寧に教えてくれます。 鴨方ICから 3km走り 9:45 ゆるぎ堂に
着きました。 細い道路脇に車を停め 200mほど 歩いて行きます。
 ゆるぎ堂と称する覆堂に 高さ210センチの石仏があります。 花崗岩の丸彫りで 右手に錫杖、左
手に宝珠を持った いわゆる 延命地蔵といわれる地蔵尊像。 正慶元年(1332)の作で 県の文化財。



 北の安部山へ向かいます。 ちょっと 道を間違えましたが ここでも 親切に 教えていただきまし
た。 舗装されていますが 細い山道で あまり走りたくない道です。 10:22 ゆるぎ堂から 8.5
km走って 安部山へ。 なぜか 安倍晴明に由来する あべ なのに 安部 となっています。
 林道脇に スペースがあり 駐車。 手前に 道標があります。 車でも走れそうな道を歩いて 安
倍晴明屋敷跡へ。 分岐があり 先に顕彰碑へ。 しかし この顕彰碑には がっかり・・。


 雑木のヤブに 埋もれそうに 石碑があります。 もう少し何とかならないものか・・。 引き返して
屋敷跡へ行きますが ここも殺風景です。 屋敷跡の表示は ありますが・・。 右の黒い板張りの
建物が 安部神社で 通称 晴明神社。 注連縄がなかったら 物置のようです。 安部山入植者
の手によって 鎮守として 創建された神社だそうです。 安倍晴明は この地で 天体観測をしてい
たと伝えられ そのため この山が 安部山 と呼ばれるように なったそうですが はるか 2000年
前の古代人の活動した痕跡が 発見されているそうです。


 晴明大権現の祠が 見当たりません。 観光協会から もらったパンフレットを見ると 下の写真
が 晴明大権現のほこらだそうです。 ひっそりとした ゆかりの地に たたずむと 今にも 晴明が
現れそうな雰囲気?は ありません。 本当に 陰陽師・安倍晴明は この地に居たのでしょうか?
 岡山天文台に向かいます。 山道で 悪路かと思いきや 結構いい道で 走りやすい。 遙照山
との分岐を 左に折れた先が 天文台で 広い駐車場があります。 7.7km走って 11:08 着。


 岡山天文博物館は 鴨方町と矢掛町にまたがる竹林寺山の一角、標高350mにあります。 小
高い丘の上にあるので 素晴らしい眺めです。 天気さえ良ければ・・。 きょうは 特別 モヤが 濃
いので 東隣の鉄塔の遙照山しか見えません。 そうか 西の安部山も見えたかも・・・。
 天文博物館は 有料なので 入らず 丘の上にある国立天文台岡山天体物理観測所へ上がり
ます。 まず 三角点を探さなきゃあ・・。 三角点は 少し南へ下った岩場にありました。 白い標
柱があったので 見付けられましたが 岩の上に 丸い金属プレートが セメントで 固められてい
ます。 こんな 三角点を見るのは 日生の天狗山?以来です。


 一番上のドーム(観測所)に 日本最大級の188cmの反射望遠鏡があり ガラス越しに 見学
することができます。 私も 天体観測をすれば 陰陽師・安倍晴明に 一歩 近づけるかと 思いま
したが 天体観測は できません・・・。 望遠鏡は どんな向きだったか?
 天体観測所を 後にして 遙照山へ向かいます。 先ほどの分岐へ戻り 東へ行くと 遙照山に
出ます。 道標があったので 左へ登ると 山頂まで 車で 行くことができました。
 観測所から 2.8km 11:48 大きな鉄塔のある山頂に 駐車。 遙照山には 総合公園や
ホテル、温泉、桜並木などがあり ちょっとした 観光名所のようです。


 運良く 簡単に 三角点を 見付けることができました。 鉄塔のフェンス脇にありました。 三等三
角点:陽生山 405.0m。 山の名は 遙照山ですが 点名は 陽生山。 まあ お役所仕事なので
仕方ないか・・。 今は 点名を捜すのに 苦労します。 とりあえず きょう 二つ目の三角点ゲット。
 すぐ右側が 両面薬師堂です。 本尊の石仏は 何面は 薬師如来 北面は 釈迦如来という二仏
一体の珍しい像です。 わざわざ ここへ来たのは 二仏一体の石仏を 見るためですが・・・。


 石仏は 秘仏なのか 見ることができません。 面白いのは この薬師堂が 南北両側から お参
りできるように なっているのです。 お賽銭も2倍要る? 軒下の彫り物も 立派で 南面は 虎で
北面は 龍の彫り物です。 あっ お参りしたかなァ? 忘れたかも・・・。
 お昼になったので 金光町へ行き お昼にすることに。 金光支所に停めるため 金光駅に 向
かいますが 通り過ぎ 引き返し 遙照山から 12km走り 12:31 金光支所に 駐車。 歩いて
お食事処・こころ を探しますが・・。 やっと見つけた ”こころ”は 予想外に 超侘びしい・・。


 お昼を済ませ 道満の里へと 歩を進めますが これが また 難しい道です。 道標のない・・。
金光学園の西を 北へ歩きます。 畑の中を歩きまわり やっと見付けた荒神社には 老人が
ひとり佇んでいました。 道満墓を尋ねると 直ぐ横でした。 垣根のような植木に囲まれてい
ます。 これは 墓というより 碑だと 思うのですが・・・。 左下に 小さい五輪塔があります。
 説明板に 伝説が書いてあり 芦屋道満は 平安中期 陰陽師・安倍晴明と争ったと言われ
晴明の遺跡の近くには 道満に関する伝説があり 中世の陰陽師、修験者(山伏)の活動が
考えられる。 周りの畑は 「道満屋敷」 と呼ばれ 近くに 「道満池」 がある・・・。



 日向ぼっこをしていた老人が 家に帰るついでに 「晴明墓」 に 案内してくれることに・・。
助かりました。 こんな道標のない山道では 探すのに苦労します。 が この85歳の老人は
北へ行きます。 南の迫池の横を行くのでは・・・。 大丈夫かいな? 北から 南へ廻ると 民
家の玄関前に 晴明墓がありました。 この上が 老人の家でした。 「道満池」への道も 教え
てもらいました。
 「晴明墓」も 分かり難い場所にあります。 これも 墓というより 碑です。 民家の入口前に
あるのも・・。 2m四方の狭いスペースに 石碑や手水鉢が 雑然と並べられています。



 道満池に向かいます。 この細い山道も 教えてもらわないと 絶対に 分かりません。 苦労し
て 道満池に行きましたが この池も 水がほとんどなく 落葉に埋もれ・・・。 底なし沼? 池の奥
に 高さ7m、直径6mの坊主岩があります。
 説明板に 平安中期の陰陽師・芦屋道満ゆかりの池で その北側の水際にある坊主頭のよう
な形をした岩があり 伝説によると むかし 金色に輝く山鳥が この岩に とまりつづけていた。
道満の「村に悪いことが起こる」 との占いにより 岩を取り除こうと 火薬で 爆破させたところ 岩
は 真二つに割れて 真黒な血が流れ出た。 それから 金色の山鳥は 姿を見せなくなり 村には
何事も起こらなかった・・・・ 晴明墓も道満池も 佐用の道満塚、晴明塚より 貧弱でした。
 パンフレットにある 「鬼の手形岩」 も見たかったのですが ひとつ東の谷なので 止めました。



 てくてく歩いて 金光支所に戻り 南の寄島町へ向かいます。 13:58 車を出し 国道2号線を
越え うまい具合に 南へ行く道に乗ることが出来ました。 海岸沿いの県道47号線に出て 西へ
向かうと 展望所があり 海岸線の景色が 見えますが モヤでかすみ・・。 三郎島と青佐山の間
に見える平坦地は 干拓地だそうです。
 14:20 金光支所から 9.4km走り 安倉八幡神社に着きました。 道路脇に 大楠(くす)の木
があり 青々と茂っています。 この大楠は 樹齢650年の巨樹で 神社のご神木で 樹高 20m。
昔は この辺りまで 海岸だったそうです。 


 ここ 寄島町は 神功皇后が 三韓征伐後 凱旋の際 立ち寄られたことに 由来する地名ですが
安倉の地名も 神功皇后伝説に 由来するそうで 神功皇后が 寄られたとき 三郎島を歩かれ 疲
れたので あくらは? と言われたそうです。 あ は 自分、くら は 休む場所のことで 私の休む場
所は? ということだそうです。
 これから お参りする安倉八幡神社の祭神は 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇で 永禄二年(15
59)細川通董(みちただ)が 三郎島にあった八幡神社を 不便なるが故 本土側に 移したと言われ
ていますが 後で行く 大浦神社なのか? この八幡神社なのか? 分からないのだそうです。
 八幡神社に お参りします。 境内の桜は やや盛りを過ぎたようです。 狛犬も立派で 玉に足を
乗せ 子犬を抱いています。 神社も立派な造りで 本殿は 石垣の上にあり 一段高くなっていま
す。 三ツ山へ向かいます。


 地図には描かれていませんが スポーツ公園から南へ廻ると 山の南端まで 道があり 車で行け
ます。 知らないので 途中に停めました。 八幡神社から 3.3km 三ツ山手前に駐車。 ここは
地元の人には 潮干狩りや磯釣りの場所であって 三ツ山に関する歴史や伝説は 関知せず!
パンフレットでは ”三ツ山” となっていますが どう見ても ”三ツ島” です。
 伝説では 神功皇后が 寄られたとき 天神地祇を祀り お供えに おにぎりを・・・。 おにぎりが
ころころ転がり 海に落ちて 三つの島となった・・・。 その後 この小島を 哀天皇、神功皇后、応
神天皇の現身として 祀った・・。 干潮時には 本土側から歩いて 三ツ山へ 渡ることができます。
西に見える青佐山は 昔の城跡で 幕末の頃 鴨方藩が 砲台を築き 今は 砲台跡は 展望台です。
 この辺りは 瀬戸内海国立公園に 指定されています。 



 14:55 大浦神社に着きました。 大浦神社の由緒によると 神功皇后が 天神地祇を祀った
後 紀元1657年 陰陽師・安倍晴明が その霊跡に 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀り 地
方の氏神としたそうです。 戦国時代の領主・細川通董公が 祭礼として 神馬を 式列に参加させた
のが 始まりで 競馬神事が 有名だそうです。



 しかし 大浦神社の本殿は 立派な造りでした。 拝殿・幣殿とは 独立した建物で 石垣の上の
一段高い所に建っていて 屋根の造りが豪華です。 時間がないので ゆっくり観ているわけに
はいきません。 15:12 車に戻り 北へ戻ります。 ちょっと 道を間違えましたが 国道2号線
を越え 町家公園の駐車場に車を停め 地図を見て 方向を定め 鴨山へ登ります。
 山道を登り 15:48 駐車場に。 三ツ山から 12.4km。 ここから歩いて 登ります。


 丸太階段を登ると 山頂手前の大岩に磨崖仏が 彫ってあり 21番? 磨崖仏は 西国33ヵ寺
めぐり? 21番は 穴太寺? 上にある磨崖仏は 20番で 善峯寺、 山頂にある石仏は 19番
行願寺でした。 鴨山城跡の山頂には チップ付きの四等三角点:鴨方城 167.7m がありま
す。 三角点は 本日 三個目。 鴨山城は 正平六年1351) 細川頼之が 備中守護職になって
から 築かれた と伝えられています。
 山頂から 西と東が開け モヤにかすんだ鴨方町の街を 望むことが出来ます。 登山口にあっ
た 石仏は 22番 総持寺だった? 別のルートを登れば 12、14番の磨崖仏が 見られるようです。


 鴨山から車で降りる途中に 鴨神社があったので ちょっと 寄りました。 が 鳥居を潜って 本来
の参道を歩かなかったのは 失敗でした。 誰が 言ったのか知りませんが ”鴨方に 過ぎたるもの
が三つある。 拙斎、索我、宮の石橋” と謡われたそうですが 宮の石橋を 見ることができません
でした。 随神門の下にある石橋で 石を反らせた太鼓橋で 鴨方三奇のひとつだった・・・。
西山拙斎は 江戸時代の儒学者で 田中索我は 画家?
 鴨神社も 大変 立派な神社で 本殿の造りも素晴らしい! 高台にあり 金光町方向の見晴らしも
いいです。 すぐ下が 町屋公園で 青空に 鯉のぼりが泳ぎ・・。 鴨神社の略縁起によると 平安の
頃 京都より 加茂大明神を勧請し 氏神として 奉斎。 明治20年 鴨神社 と改号した。



 陣屋跡へ寄りたいのですが 停める場所がないので 一旦 町屋公園の駐車場へ戻り 16:18
駐車、鴨山から 1.3km。 歩いて 旧鴨方往来周辺を散策します。 まず かもがた町家公園へ。
ここは 「日本の歴史公園100選」です。 江戸時代 西山拙斎ら 多くの文化人たちが 往き来した
備中・鴨方藩の中心地を 西へ歩き 陣屋跡へ行きました。



 鴨方藩・陣屋は 岡山支藩として 1672年 25000石を 与えられ 新田藩として成立。
今は 僅かに 石垣と井戸が 当時の面影を 残していますが お寺? 神社? どっち?
 車に戻る途中 龍宮門が見えたので 寄りました。 龍宮門は 今は 廃寺となった正伝寺の
唐門で 入母屋造り楼門で 桃山時代の建築様式を 今に残している。 門だけがぽつんと・・。 


 16:46 車に戻り 帰路につきます。 町家公園から 北へ1.2km行くと 鴨方ICに出ます。
16:51 鴨方ICから 山陽道に入り 山陽道をひた走り 17:48 龍野西ICを 降ります。
帰りは 山陽道102.9km、1000円。 ちょうど1時間でした。 国道2号線を走り 18:15
家に帰ってきました。 「浅口観光」は 思ったより時間が かかりましたが 歴史の一端に触れ
つつ 伝説を 肌で感じることができました。 本日の走行距離は トータル 293.7km でした。



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