私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室 映画「引っ越し大名!」 姫路藩主 松平直矩と結城松平家

2021-03-30 14:29:08 | 歴史探索
 3月30日(火)   てんき:晴れ・曇り   室温:23.5℃

 きょうは 公民館の歴史教室に出席しました。 今月は 元城郭研究室長 中川秀昭さん
の  映画「引っ越し大名!」 姫路藩主 松平直矩と結城松平家 です。 きょうは なぜか
出席者が 多かったようです。 けさは 黄砂のせいで まるで霧が立ち込めているようでした。


 。。。。 映画「引っ越し大名!」 姫路藩主 松平直矩と結城松平家 。。。。

■”引っ越し大名” 松平直矩
 1.なぜ ”引っ越し大名” といわれるのか?
  ・生涯で7回の国替え~藩主としては 5回
   ②越前大野 ⇒ ③出羽山形 ⇒ ④播磨姫路 ⇒ ⑤越後村上 ⇒ ⑥播磨姫路 ⇒ ➆豊後日田
      ⇒⑧ 出羽山形⇒ ⑨陸奥白川     ②、③は 父・直基の代での 転封
  ・異例の姫路藩主2回経験
   ・慶安元年(1648)~慶安2年(1649) 8か月間(7~8歳)
    ・父・直基が 出羽山形から播磨姫路へ転封の銘を受ける。 しかし、江戸で
     熱病に冒され 姫路には 封命を受けたまま 入らず、45歳で 急逝。
    ・急遽、嫡子・直矩が 7歳で 家督相続し、姫路藩主に就く。 しかし、幼少のため、
     江戸にとどまり 姫路に入らないまま、越後村上へ転封。
   ・寛文7年(1667)~天和2年(1682) 15年間(26~41歳)
    ・18年後、再び 姫路藩主に返り咲く。しかし、一門の越後高田藩 御家騒動
     いわゆる「越後騒動」の調停・「不調法」につき 豊後日田へ転封(15万石→7万石)

 2.映画 「引っ越し大名!」 (令和元年8月30日 公開)
   ・原作:土橋章宏作・小説『引っ越し大名 三千里』
   ・監督:犬童一心  脚本:土橋章宏
   ・主演:星野源(片桐春之介)  共演:高橋一生(鷹村源左衛門)、・・
   ・あらすじ:
    ・姫路藩主・松平直矩が 豊後日田へ国替え拝命(減転封)
    ・度重なる国替え(莫大な労力・費用)⇒藩の財政事情逼迫
    ・書庫番・片桐春之介を引っ越し奉行にと 白羽の矢。 引っ越し奉行として
         春之介は、家財・人減らし、商人からの借金調達に奮闘・・・・
    ・ロケ地:姫路城、畑の棚田、彦根城、丹波篠山城、伊賀上野城、・・・


■越前松平家(結城松平家)・始祖 結城秀康(徳川家康 次男)
  ・結城秀康(天正2年(1574)~慶長12年(1607)没。 34歳
   ・越前松平家祖・越前北ノ庄藩 初代藩主(親藩・御家門)
   ・母は 側室・於万の方。 天正12年(1584) 小牧長久手の戦いの和睦条件
    として、羽柴秀吉の養子(実際は人質)になり 羽柴三河守秀康を名乗る
   ・天正18年(1590)、秀吉の命で 下総・結城春朝養女 鶴子と結婚(婿養子)し
    結城家の家督相続、結城領10万石を継ぎ、結城秀康を名乗る
   ・関ケ原の戦いの後、越前・北ノ庄藩68万石に 加増移封。

    

  ・越前松平家(結城松平)の分家
   ・越前北ノ庄藩 ⇒ 福井藩
      藩主:結城秀康(68万石)ー松平忠直(68万石)=松平忠昌(50万石)
   ・越前高田藩(改易)・・・津山藩(立藩)
      藩主:松平忠昌(25万石)=松平光長(25万石)
   ・出雲松江藩
      藩主:松平直政(18.6万石)-綱隆・・・・
   ・出羽山形藩・播磨姫路藩など
      藩主:松平直基(15万石)-松平直基・・・・
   越前大野藩・播磨明石藩
      藩主:松平直良(5万石)-松平直明(越前大野→播磨明石8万石)

    

■越前騒動
  ・概要:越後高田 松平家25万石に生じた家中騒動
    主席家老 小栗美作正矩派と 糸魚川城代荻田主馬本繁派に 家中が分かれて対立、
   縁戚の姫路藩主松平直矩、出雲広瀬藩主 松平近栄が 相談役を勤め、事態の打開を
   図るも 収拾はつかず、時の大老 酒井忠清に 松平直矩諮り、延宝7年(1679)
   公儀評定による裁定が下る。 ただ、その裁定は 荻田主馬側5人が 大名預かりと
   片方のみの処分下る。 このため、再審議の求めも高まり、再度、延宝9年(1681)に
   5代将軍 徳川網吉の御前公儀(親裁)を受けて、越後高田 松平家は 改易、家中も両成敗。
  ・経緯:延宝2年(1674) 光長の嫡子・網賢が 42歳で 没(嗣子なし)
    光長60歳と高齢のため 養子問題(世継問題)浮上
   候補・万徳丸(光長の異母弟)・永見長頼遺子・元服し 網国(将軍・家綱から偏諱))
    養子は 網国に決まるが、養子(世継)問題が 騒動の一つの誘因になる。

  ・越後騒動の発端と顛末
   ・延宝7年(1679) 家中の約1/3に当たる 700~800人が 主席家老小栗美作の
    非と排除を求め 永見大蔵及び家老(糸魚川城代)荻田主馬本繁宛に 誓詞提出
   ・小栗美作球団の理由
    ・幕府から5万両を借財し、高田の区画整理、直江津港の築港、新田の開墾など
     積極的な事業の推進により 藩の財政悪化
    ・新税の賦課、地方知行制から 蔵米制へ移行
    ・傲慢な性格や 贅沢好み、正室が 光長の異母妹・勘子
     嫡子・大六を世継に 画策したとの噂       ・・・・家臣たちの反発
   ◇藩主松平光長の措置(姫路藩主 松平広栄は 相談役)
    ・光長の騒動打開策:小栗美作に 隠居を命じ、小栗大六長治が 家督相続
    ・しかし 家中騒動は収まらず⇒光長は 大老・酒井忠清に裁定訴え⇒幕府は
     両者に和解申し渡し⇒和解頓挫⇒和解の命 無視と酒井忠清ら激怒⇒相談役・
     松平直矩が 酒井忠清と相談⇒松平直矩・「講義評定」を決意
   ◇公儀評定(延宝7年(1679).10.19)
     幕府評定所:将軍上位として 荻田朱馬方5人に処罰
           越前松平家一門大名預け、荻田主馬方は お咎めなし
    ◆これに対し、越後騒動の再審を求め、荻田主馬方家中が 脱藩を繰り返す
     -延宝8年(1680)に 将軍家網 没。 将軍網吉就任、酒井忠清大老辞任
  ◇御前工事(延宝9年(1681)(再審)
    第5代将軍 徳川網吉 親裁
    ・6.21、綱吉の面前に 小栗美作、永見太蔵、荻田主馬が召し出され尋問
    ・6.22、評決:越後高田 松平家 改易、家中領家成敗の決定
    ・美作方、主馬方、中立方、松平家一門、幕府関係者47名に 処分
    ・小栗美作正矩・大六長治 切腹
    ・永見太蔵長良・荻田主馬本繁 八丈島遠島→元禄14年(1701) 餓死
    ・姫路藩主 松平直矩 閉門、豊後日田へ減転封(15→7万石)
     広瀬藩主 松平広栄 閉門、1/2に 減封(3→1.5万石)など
    ・延宝7年の公儀評定に関わった大目付・渡辺網貞 八丈島遠島

■ 松平直矩(なおのり・従四位下大和守のち侍従)
   寛永19年(1642) 越前大野生れ~元禄8年(1695) 陸奥白河 没(54歳)
  ・家族 両親:父・松平直基、 母・側室堀氏
      正室:駒(出雲松江藩主 松平直政女)、継室:丁(東園基賢女)
      子供:男7人、女5人
  ・文人大名(学問を好み、和歌を詠じた)
   ・「松平大和守日記」 (原本は 消失、写本(「若月本」、「五十嵐本」)が 現存)
   ・和歌:代表作「道たゆと いとひし越乃 しら雪も いま木すゑ二 花かとそ見る」
       辞世 限りあれば 知らぬ昔に かへるなり あとは変わらぬ 世々の月花
  ・神仏に帰依:総社拝殿再興、男山八幡宮再建、刑部神社拝殿 修築
         臨済寺再建(夢前町新庄・家老 根付源兵衛に命ず)
         総社に 「軍八頭正一位惣社 伊和大明神」 扁額奉納、絵馬・羽子板奉納 
         石鳥居奉納(大歳神社(八代)、男山八幡宮)
  ・父・松平直基の墓建立(書写山円教寺、寛文10年)・・相模国最乗寺から分骨

 


※結城松平氏8松平直基祖)の系譜 および 参考文献は 省略します。


  
  。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。 。。 。。。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美の壺 「あおによし 天平の仏像」

2021-03-29 11:15:58 | 日記
 3月29日(月)    天気:晴れ    室温:22.0℃

 3月19日(金) NHK BSプレミアムで 美の壺File531 「あおによし 天平
の仏像 1300年の時空を超えて」 が 放送されました。 予告編では 阿修羅の表情は
心を映す。 ショック・アイさんが 感じた 受け継がれる 祈りの力。 仏像大集合! 驚き
の事実が? 1300年前の秘仏の色が よみがえります。
 天平時代は 自然災害で 住民の3割が 命を落とす 苦難の時代でした。
 芸術が開花した天平仏像とは・・・。
※天平時代とは 聖武天皇在位の 729年から 749年をいい、天平文化・仏教文化が栄えた。

▽1300年前の天平時代に生み出された 仏像を紹介。 奈良の東大寺の大仏をはじめ
 興福寺の阿修羅像など、壮大で 躍動的な仏像群は 多くの人々を 魅了している。
 これら仏像の魅力を、東大寺の秘仏復元プロジェクト関係者らの視点や 最新技術で分析する。

▽湘南乃風・SHOCK EYEさんが感じる 奈良の大仏、祈りのパワー
 東大寺は 今から 1300年前に、国家安寧、病気治癒を願って 約250万人の民衆からの
 寄付を募って 建立されました。  廬舎那仏坐像は 世界一の大きさです。
 お顔は 江戸時代に 作り直されました。

▽唐招提寺・岡寺・聖林寺・大安寺の仏像が 大集合! 最新技術で 驚きの事実
 唐招提寺・岡寺・聖林寺・大安寺には、天平時代の仏像が集まっていました。
 仏像の特徴は、細かい装飾を施して、体のラインは 生き生きとしています。
 一週間ほど前の新聞に載っていましたが 聖林寺の十一面観音立像(国宝)は
 天平彫刻の最高傑作として 名高い。 木心乾漆造りで 威厳のある顔立ちに、
 広い肩に 引き締まった腹部の均整のとれた体躯、天衣や指先の表現も じつに
 優美で、「ミロのビーナス」とも 比肩するとされる・・・とあります。

 飛鳥時代には 金剛仏が主流でしたが 奈良時代になると 使われる素材も
 一木造りのものや、聖林寺の十一面観音像の木に漆、岡寺の如意輪観音像の
 土(塑像)と 多様化します。

 また これらの仏像のスケールを合わせて 顔の大きさを同じにすると、ほぼ
 同じ顔になることが分かります。 これは 工房に 規格化されたものがあって
 それを使って作られたと思われます。 唐招提寺の薬師如来立像は 渡来人が作った?


▽阿修羅の来歴は 5000年!?
 阿修羅像は 天平仏の最高傑作と言われています。 神秘的で 存在感があります。
 光の当たり方で 見え方は 千変万化、目を通してみる 心の中の像です。
 阿修羅は 古代インドに 3000年前から存在します。 阿修羅像の3つの顔は
 暴れ者の時代の反抗的な顔、仏教の修行中の神妙な顔、悟りを開いた優しい顔です。


▽写真家・入江泰吉が撮った優しい ほほ笑みの阿修羅秘話
 入江泰吉は 仏像を多く撮っていますが、阿修羅を撮るときは 下から見上げる
 アングルで撮っています。 優しい表情になる?



▽新薬師寺の十二神将の極彩色の世界
 躍動美は 圧巻の一言。
 1300年前に作られた国宝・十二神将立像には 現在は 色がほとんど残っていません。



▽東大寺・法華堂の秘仏、執金剛神立像の天平の色が現代の仏師によりよみがえる
 東大寺法華堂 秘仏 執金剛神像 完全復元プロジュクトで 仏像にわずかにお残った色
 から、制作された当時の色彩が再現されます。 中国の古い書物に 紺丹緑紫とあり、
 紫鉱は ラックカイガラ虫が 分泌した体液が固まった樹脂で作られた絵具です。
 極彩色の仏像が 再現されます。 極彩色に彩られた仏像は 眩く輝きます。


▽渡部豪太ふんするイケ仏が 降臨
 今回の草刈さんは? コロナめ! いったい いつまで続くんじゃ。 正雄よ 心を無にするんじゃ。
 仏は 心で感じたものでよい。・・・いい仏像ができたな。 いい修業ができた。 これからも 精進するのじゃ。

 。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。   。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見野の郷交流館で 井上倫見の切り絵アート展

2021-03-26 14:56:39 | ギャラリー散策

 3月26日(金)   天気:晴れ+風   室温:20.3℃

 きょうは 姫路市四郷町の見野の郷 交流館へ ”井上倫見の切り絵アート展”” を
見に行きました。 実は きのう行こうと思っていましたが、姫路バイパスが 事故で
渋滞。 きょうも 出かけようとしたら、東行きが 事故で渋滞。 仕方ないので きょ
うは 姫路南まで 県道で行きましたが 県道も 工事中のところがあったりして 渋滞が
続きます。 帰りは 渋滞もなく スムーズに走り、帰ってきましたが 網干駅の西の
踏切で、貨物列車の往復ビンタで しばらく待たされました・・。


 見野の郷交流館では 白い桜が 迎えてくれました。 交流館へ入ると 切り絵ア
ート展と思いましたが 岩田健三郎版画展 ~くらしのなかの牛たち~ をしてい
ます。 切り絵アートは・・? 版画展の脇の狭いスペースで 行われていました。
 切り絵アート展は 四郷学院の井上倫見教諭による見野古墳群などの切り絵作品が
展示されています。



 
 


 ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・





 。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。。  。。。。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高見城山

2021-03-25 12:48:44 | 山歩き
 3月25日(木)   天気:曇り のち 晴れ?   室温:18.9℃

 今回の山歩きは 2004.6.27に 登った 丹波市の高見城山485mです。
「ふるさと兵庫50山」 の27:石戸山のページに、北の高見城へ縦走するルート
が 描かれています。 なぜ この山に登ったのか分かりませんが、登っていると、雨
が 降ってきました。 このころは、山歩きを始めて 間もないころで、カッパを持っ
ていなかったので ずぶぬれになりました。 景色もさっぱりだし‥。
 また 下山時、下山道の分岐にある扉が閉まっているようだったので、北へ降りて
しまい 車に戻るのに かなり大回りを強いられました。 山頂は 高見城跡で、四
等三角点があります。

 丹波悠遊の森公園に 車を停めて 登ります。 駐車場わきにある案内図を見て
遊歩道を歩きます。
 


 高見城山の山頂は 高見城跡です。
  丹波市のHPによると 高見城跡は 丹波市指定の文化財(史跡)です。
 高見城の立地する高見城山は、柏原町の南西端に位置する海抜485mの高山で、急峻な
 天然の要害の山である。 高見城は 嘉暦2年(1327) 丹波の国守護・仁木頼章が
 築いたもので、別名佐野城ともいう。 本丸は 山頂にあり、4段の平地がある。
 戦国時代には、 氷上町新郷の豪族赤井家清が 城主となったが、天正7年(1579)
 赤井忠家が城主の時、明智光秀配下の四方田政孝の兵火によって 落城した。







 。。。。。 。。 。。。。 。。 。。。。 。。 。。。。 。。 。。。。 。。 。。。。 。。 。。。。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温室植物園で 県農生のカトレア原種展

2021-03-23 16:03:28 | 日記

 3月23日(火)   天気:晴れ    室温:19.5℃

 きょうは 手柄山温室植物園へ ”県農生のカトレア原種展” を見に行きました。
兵庫県立農業高校・兵庫カトレアインターメディア愛好会の協力で 農業高校の生
物科の生徒が バイオ技術で育てた カトレアを展示するほか、カトレアインターメ
ディアを中心に 約100点を展示。


 植物園への入り口手前のヘアピンカーブのところに、フタエカスミザクラが咲い
ていました、 この桜は 花ひらの枚数が 約10枚の 非常に珍しい桜で、H31年
に 姫路市の保存樹に指定されました。 山桜系なのか、白い花で、少し早く咲くよ
うです。  植物園のアプローチでは、パンジーが 見ごろを迎えています。




 ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・






 ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・
 奥の展示室では 第5回 一般作品展 ”絵てがみ展” が行われています。







 ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・  ・ ・ ・


 。。。。。。。  。。。。  。。。。  。。。。  。。。。  。。。。。。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする