私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

西はりま 野外彫刻めぐり その2

2017-02-27 16:12:30 | ドライブ
 2月27日(月)   天気:晴れ+風   室温:18.1℃

 きょうは 新宮をドライブしてきました。  先日 西播磨文化会館で 「野外彫刻めぐり」 の
パンフレットをもらい 文化会館の周りにある ”19の彫刻” をめぐりましたが その時もらった
”彫刻めぐりⅡ 新宮町” を 回ってきました。 きょうは 天気が良く 絶好のドライブ日和でし
たが 車を降りると 冷たい風が 強く 歩くには 難儀しました。
 きょう パンフレット ”彫刻めぐりⅡ 新宮町” の 12~26 を回りましたが 13 と19は 相
坂峠近くにあり 少し離れているので 行くのは 止めました。


回ったのは 下記 13ヵ所です。
 12:文化センター 「Inter Stine」    14:西山自然公園 「光の広場」
 15:町民センター 「太古のロマン」    16:R179号 栗町団地前 「不思議な国への扉」
 17:新宮小学校  「かくれんぼう」    18:R724号 新宮姫路線 「宇宙への道標」
 20:香島小学校  「夢〇△□」      21:新宮図書館  「恵みの器」
 22:国民宿舎 志んぐ荘 「誕生」      23:R26号 宍粟新宮線 「源・命・晶」
 24:R26号 宍粟新宮線 「雲のたびだち」  25:新宮温水ポール 「龍神」
 26:ふれあい福祉会館 「Fantasia in Harima」
※下の地図には 20:香島小学校井は 含まれていません。 もう少し北で 24も 実際は
 もう少し北です。 16:栗町団地前は もう少し西で 国道が 大きく 右にカーブする先にあ
 り 道の駅から 約8kmのところです。

 まず 国民宿舎・志んぐ荘へ行きます。 建物の玄関前に 22:誕生 (1992年制作
制作者は 伊藤隆弘) があります。

 国道179号線に戻り 姫新線の踏切を渡り 北へ行くと 右手が 新宮文化センター(町民
センター)です。 建物の南西隅に 12:Inter Stone (1985・用澤 修)があります。

 上の12のすぐ南の県道脇に 15:太古のロマン (1986・山田幸作)があります。

 23:源・命・晶 (1992・小高一民) は 新宮文化センターの約500m北の県道26号線
脇にあります。 新宮総合センターへの分岐の手前です。

 県道26号線・宍粟新宮線を北へ行き 左の山が 県道側へ迫ったところに 24:雲のたびだち
(1993・井上京太) があります。 道路脇です。

 20:夢〇△□ (1991・松岡睦美) は 香島小学校の校庭にあります。 県道の信号を
左折して 20mほど入った右に 小学校の校門があり 閉まっていますが 誰もいないので
扉を開けて入り 校庭を見渡すと 西に見えました。 こっそりと 見に行きました。


 20を見て 県道を引き返し 新宮小学校へ行きます。 新宮小学校は 新宮総合センターの
南にあります。 校門は 道路側にありますが 閉まっています。 うまい具合に 先生?が 一人
ゴミ拾いをしています。 彫刻を見せてくださいと お断りし 門を開け 案内していただきました。
 校舎の南の校庭側に 17:かくれんぼう (1986・宮岡洋一) がありました。 案内していただ
かないと どこにあるのか 分かりません。

 小学校の西に 新宮図書館が見えています。 図書館の南側に 21:恵みの器 (1991・
岩間 弘) があります。 周囲には 雑草が はびこっています。 南は 宮内遺跡です。

 21から 西を回り 姫新線の踏切を渡り 国道179号線に出て 西へ行き 道の駅しんぐうの
手前で 右へ入ると 新宮町立温水プールがあり 駐車場の脇に 25:龍神 (1994・五十嵐
晴夫) があります。

 温水プールの隣が 総合福祉会館ふれあいで 正面に 26:Fantasia in West Harima 
(1995・アキホ・タタ) があります。

次の16:不思議な国への扉 (1986・山下晴子) へ行くのには 苦労しました。 パンフレットには
紙が貼ってあり 栗町団地前と修正されていますが マップは 修正されておらず 国道179号線の
道の駅の 少し先に なっているのです。 郵便局で 訪ねると もう少し先・・。 結局 行き過ぎて 戻
りました。 国道が 右へ大きく曲がった先の 栗町の信号の少し 先だったったかも・・・。 帰りに 距
離を測ると 道の駅まで 7.7kmでした。 国道脇にあり 目立っています。

 相坂峠には 行かないので ここで 引き返します。 国道を戻り 橋北詰で 右折して 柴田橋を
渡り 県道724号線を 南へ行きます。 少し先で 西に 18:宇宙への道標 (1988・長谷川喜
男) が 見えますが 車が 停められません。 150m?ほど南に 横道があったので 車を停め
歩いて行きました。 

 最後に 西山公園にある 14:光の広場 (1986・牛尾啓三) へ行きます。 西山公園は 標高
97mの平らな山で 新田山だと思います。 きょうは 山歩きの日ではないのに・・・。 ご安心ください、
この辺りは 標高45mくらいなので 登るのは 大したことはありません。 登山口を探すのに 龍野
北高校の北から 東の栗栖川へ回ると 墓地の脇に 車を停めるスペースがあり すぐ先に 登り口が
あります。 ここから 88ヵ所 遍路道を歩きますが 段差のある石段で 崩れそうなところもあり 左
は 絶壁状で・・・。 

 山頂は 芝生広場で 藤棚とチャイム塔があります。 北に 5、6階建てのビルのような新宮
配水池があり その脇に 14:光の広場 (1986・牛尾啓三) があります。 光の広場と言っ
ても 木の陰にあり 薄暗くなっています。 プレートが見当たりません。


 新田山の北端には 大きな岩が2つあり 一つは 「重ね岩」 で 右下の岩は 「烏岩」 です。
2つとも 「播磨国風土記」 に 星が落ちて この岩になったと あるそうです。
 山の北端は 見晴らしがよく 北に 大鳥山、大寺山が見え 東寄りには 宍粟50山の南山、
禅師山、高取山などが 見えていると思います。 石の彫刻めぐりだけでなく 最後に 低山に
登り 景色が眺められて よかった。  山から降りて 家路につきます。

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三木家住宅で 林田ひな祭り

2017-02-24 13:17:19 | ギャラリー散策
 2月24日(金)   天気:曇り 時に 晴れ    室温:17.6℃

 きょうは 林田町の県指定重要有形文化財・林田大庄屋旧三木家住宅で 行われている 「林田
ひな祭り」 を見に行きました。 しかし 三木家住宅は ふきさらしで 暖房もなく 寒いので 早々
に 退散しました。
 「林田ひな祭り」 では 江戸時代中期から 現代までのひな人形 約50点が 展示されています。
姫路市から 管理・運営の業務委託を 受けているNPO法人・新風林田の吉野さんは 「着物の色
の違いや 髪形なども 楽しんで」 と ・・・ 新聞に 載っていました。 江戸時代の着物の色は 天然
染料で 色が薄くなるが 明治時代以降のものは 化学染料が 使われることもあり 色鮮やかなま
ま。 また 江戸時代の女びなは 後ろで 一つに結んだ シンプルな髪形だが 現代では 髪が 膨ら
んだ髪形になっている・・・。
 また 今回は 同時開催で 先日 揖保川の公民館で見た 「竹取物語」 を 題材にした ”震災
に寄せて ありがとう 命ほっこり 明かり展” が行われています。

 三木家は 英賀城主・三木市の出自と 伝えられ 天正10年(1580) 羽柴秀吉による 播磨侵
攻により 英賀城が 落城した際 一族は 各地に逃れました。 当家は 林田に来て 帰農し 江戸
時代を通じて 林田藩の大庄屋をつとめました。 三木家住宅の建築時期は 江戸初期と推定され
民家遺構としては かなり古いもので 大庄屋の建築として 県下で 年代が推定できる最古の遺構です。







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歓創居で 創作デコパージュ&3D展

2017-02-23 14:03:33 | ギャラリー散策
 2月23日(木)   天気:晴れ 一時 曇り    室温:18.1℃ 暖かい

 きょうは 青山北3の歓創居へ 楽罨(らくあん)工房の ”創作デコパージュ&3D展” を見に行
きました。 3D作品は 粘土などで 絵の一部を盛り上げて 立体的に 仕上げてあります。 デコ
パージュ作品は 絵を 何枚も 細かく切り抜いて 立体的に 貼り付けてあります。 小さい花や レ
ースの模様は 細かいので 切り抜くのは 大変な作業のようです。 せっかくの立体作品も 写真に
撮ると 平面的に 写ってしまうので 立体的に見えないのが 残念です。

 今回のお気に入りの作品は 緑のミニベンチだそうで 何人かが ゴルフをしている場面が 描か
れ ショットを失敗して クラブを放り投げているなどの物語が 描かれています。 気に入っている
ので 売らないとか・・・。

 歓創居では 3月8日から ”丸投三代吉 「春が来た」” が予定されています。 姫路市別所町
の 円司工房で ”木×陶 円司×西山宗滴 二人展” が 3月3日から行われるそうで 案内状を
いただきました。 また 行ってみます。






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エルミタージュで 山野草と石目鉢展

2017-02-22 13:51:36 | ギャラリー散策
 2月22日(水)  天気:晴れ のち 曇り   室温:15.5℃

 きょうは 朝日谷のカフェ・エルミタージュへ 藤田さんの ”山野草と石目鉢展” を見に行き
ました。 藤田さんがおられ お話しすることができました。 山野草を期待したのですが 今の
時期 咲いている花が少ないのか フクジュソウしかありません・・。 石目鉢は 藤田さんが 名
付けたそうですが 信楽の土を使った 焼き物で 山野草を植えるため 石のような質感に作っ
た鉢です。 自然の石のような質感を 出すのは 釉薬が 難しく・・・。 苔のような緑色の外観
にしたいが・・・。  写真を撮るのを忘れましたが 今日のカップは ロイヤルドルトンのCLAR
ENDON(クラレンドン) でした。 英国王室御用達?
 帰りに 土曜日 説明会があった 遺跡発掘現場を見に行きました。 堀立柱跡が 深く掘ら
れていましたが なにか 出たのでしょうか?  3区は ブルーシートが 掛けられています。






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 帰りに 土曜日に 現地説明会があった和久・関ノ口遺跡のその後を 見に行きました。 3列の堀立柱跡
が 深く掘られています。 なにか 目的があるのでしょうか? 現地説明会の様子は こちら

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はりま歴史探訪 赤松ゆかりの寺

2017-02-21 15:52:21 | 歴史探索
 2月21日(火)   天気:晴れ・雲多し   室温:15.6℃

 きょうは 上郡まで 往復 約67kmドライブしてきました。 12月13日の新聞の播磨版に 「は
りま歴史探訪」 という記事があり ”赤松一族 力関係の謎” とあり 赤松則村(円心)の次男・貞
範が 建てた栖雲寺(せいうじ)跡が 載っています。 昨年から 貯金箱に しまってあった切り抜き
を 取り出して 今日 巡ってきました。 円心ゆかりの法雲寺と 三男・則祐ゆかりの宝林寺と 次
男・貞範ゆかり栖雲寺跡(廃寺) などを巡ります。
 新聞には 「これだけ狭い範囲に ゆかりの寺が 三つもあるのは 珍しい」 と 一族の力関係にも
思いを巡らす・・・とあります。  長男の急死で 当主となったのは 三男。 跡目を逃した次男は
白旗城の麓に 寺を建てた。 権力を握った三男は 一帯を見渡せる川の対岸に 寺を建てた・・・。
 また 円心の法雲寺と 三男・則祐の宝林寺と 次男・貞範の栖雲寺の位置は 一辺 約2km弱
の三角形を作る・・・。

 10:38 出発。 国道179号線を北へ。 たつの市へ入り 龍野新大橋を渡り 県道5号線に乗り
西へ走り 相生市を抜け 上郡へ。 国道373号線に突き当り 右折して 国道を北へ走ります。
 狭い苔縄橋を渡り 突き当りを 右へ進むと 苔縄 老人憩の家があり ここに 停めさせていただき
ました。 11:29 駐車。 ここまで 29.6kmでした。 ここには 筆塚があります。
 法雲寺は 山裾にあります。 石段を上がり 扉を開けて入ります。

 苔縄の地は 赤松氏挙兵の地と伝えられ 臨済宗 相国寺派の法雲寺は その中心的な存在と考え
られています。 赤松氏隆昌の祖・赤松円心則村は この地を 仏教による精神的な拠点とすべく 高
僧雪村友梅を招き 金華山 法雲昌国禅寺(法雲寺) を 建武4年に 建立し 赤松一族の菩提寺とした。 
 建立当時 赤松氏の勢力も強く七堂伽藍を配する名刹と たたえられていました。 本堂は 昭和58
年に 再建。
 境内には 県指定文化財で 樹齢700年あまりのビャクシン杉があります。 この樹は 樹高33.5
m、根まわり14.3mで 禅宗と深くかかわりを持つもので 円心公お手植えとも 伝えられています。
 また 円心廟(円心堂) には 円心公の木像などが 祀られています。


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 北の金華橋を渡り 国道に出て 北へ行きます。 国道は 千種川に沿って 大きくU字形に
回ります。 再び 河野原橋を渡り 千種川の西へ行くと 宝林寺があります。 円心館の白壁で
すぐ分かります。 11:57 手前の河野原公民館に 車を停めました。

 宝林寺は はじめ 則祐によって 備前国新田荘中山に 建立されましたが 文和4年(1355)に
戦火を受け この地に 再建されました。 円心館には 赤松三尊像が 安置されています。 三尊像は
県指定の文化財です。 きょうは 円心館は 閉まっていて 入ることはできません。 三尊像は 赤松円
心、則祐、別法和尚 覚安尼の木像で 南北朝時代の作とみられ 鎌倉彫刻の名残をとどめています。

 則祐は 円心の跡と継いで 北朝 室町幕府に味方し 守護大名赤松氏の基盤を固めました。
別法和尚は 禅僧です。 赤松義則の帰依を受けた雪村友梅は 円心、則祐の帰依を受け 法雲
寺、宝林寺の開山となった僧です。

 宝林寺にいたら 智頭急行の下り電車が 下って行きましたが 河野原端まで来ると 今度は
上りの電車が走っていきました。 橋を渡り 国道に出て 赤松の集落へ入って行きます。

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 国道から 細い道を集落へ入ると 松雲寺があります。 松雲寺は もと 赤松円心公の居城として
名高い白旗山の山麓に 赤松貞範(円心の次男) が 建立した 栖雲寺を継承する 赤松氏とかかわりの
深い名刹です。 この地を 赤松と呼び その名の示す通り 赤松氏の本拠地として 次のような史跡が
数多く 周辺に残されています。
 五社八幡神社(白旗八幡神社を継承)、円心公館跡(赤松円心の居城館)、広岡屋敷跡(赤松一族
の重臣の屋敷跡)、栖雲寺(白旗山山麓)、白旗八幡神社跡(白旗山山麓)、武祖神社(細野の奥)、
宝林寺(河野原)、白旗城跡(白旗山山頂)

 松雲寺の境内に 上郡町指定の文化財 カヤ(榧)の木があります。 樹齢約700年、樹高25m、
直径約1.6m。


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 松雲寺の少し先に 五社八幡神社があります。 道路わきには 赤松円心御影堂とあります。
五社八幡神社には 書かれたものが何もありません。 白旗山登山道から 50mほどそれたところに
あった白旗八幡神社が ここに 合祀されている。 なぜか 拝殿には 古い絵馬が たくさん奉納されて
います。


 八幡神社の石段脇の草地を進むと 広場に出ます。 ここに 説明板があり 赤松居館跡のようです。
ゲートボール場くらいの平坦地があだけ・・。 新聞には 町教育委員会は 発掘調査を進めていると
ありますが 調査は 終わったのでしょうか?

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 最後に 栖雲寺跡へ行きます。 栖雲寺跡は 白旗山登山道の脇にあります。 10年くらい前 白旗山
に登るとき 来たことがあります。 だいたいのことは 覚えているつもり・・・。

 ところが 登山口へ来ると 柵があり 扉が・・。 ちょうど ハイカーが 降りてきました。 2台 車が
出たあとに 車を停めました。 きょうは 山登りの日ではありませんが ここから 歩いていきます。
 白旗山には 白旗城跡があります。 白旗城は 建武3年(1336) 南北朝時代の武将・赤松円心が
築城し 新田義貞率いる6万の軍勢の わずか2000の兵で 50余日 城攻めに耐えた 堅固な 難攻
不落の山城です。 赤松円心は この功績によって 足利尊氏の室町幕府開設を助け 播磨国守護職
に 任じられました。 以後 嘉吉の乱が起きるまで 白旗城は 播磨、備前、美作の三ヵ国の守護大名・
赤松氏の本城でした。

 車の轍跡が残る 広い登山道を歩きます。 しばらく進むと 白旗八幡神社跡・五輪塔の表示があっ
たので 登山道を外れ 左へ行くと 八幡神社の表示があり 周辺には 五輪塔が 散乱しています。
 建武3年 白旗城合戦に倒れた人々の供養塔と伝えられています。 散在していた五輪塔を 地元
の有志の手により 白旗八幡神社跡地に 移転され 祀られました。 この辺りには 瓦の破片や 石
が 散乱しています。

 登山道を進むと 栖雲寺跡の表示がありました。 登山道の左にありますが 栖雲寺跡は 登山道の
右側で 広い平坦地があります。 栖雲寺の存在は 美作の果樹園で 「播州栖雲寺」 の銘がある鐘が
見つかったことで 分かっていたそうですが 場所は・・・。
 栖雲寺が ここにあったとわかったのは 2014年の発掘調査で 建物跡と瓦が 現れたからだそうです。
調査の結果 塔や本堂があったことを示す 礎石や相輪が出土した・・・。 建てたのが 赤松貞範という
のは 貞範の戒名に 「栖雲寺殿」 とあるから・・。 平坦地を 探せば 瓦の破片や 石は散乱していますが
落ち葉が積もっているので 塔や本堂の存在を示す 礎石や 相輪を見つけることは できませんでした。


 さらに上へ上ると 広場があり ここが 第2の登山口。 右野桑の道標もあり 合格祈願絵馬の掛け場
や トイレもあります。 きょうは 山登りではないので ここで 引き返せばいいのですが 足が勝手に
進み・・・。 登山道を 少し上まで 歩きましたが 面白いものは なにもありません・・。
引き返し 車に戻り 13:51 帰路に就きます。 来た道を戻り 14:40 家に帰りました。
 本日の行程は 往路:家から法雲寺まで 29.6km、宝林寺まで 3.8km、松雲寺、八幡神社経由
白旗山登山口まで 2.2km、復路:3.7kmで 計:67.3kmでした。

 家に帰って 晩ご飯を食べながら NHKのローカルニュースを見ていると 上郡の落ちない城の
ことが 流れていました。 放送されていたのは 上郡町えんしんネットで 白旗城が 新田義貞の
大軍を 押し返したことから 落ちない城ということで 白旗城が 国指定の史跡に指定されて 20年
を 記念して 受験生に PRしようというプロジェクトだそうです。  合格祈願の絵馬の掛け所が
白旗山の山頂と 登山口と 智頭急行の河野原円心駅の3ヵ所に あるそうです。 また 智頭急行
の上郡ー河野原円心間の記念切符もあるようです。


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