12月17日(火) 天気:晴れ+雲 室温:15.7℃
きょうは、公民館の歴史教室に 出席しました。 今月は、元城郭研究室長の中川秀昭氏の 「北前船と兵庫の
船主集落Ⅰ」 です。 1月は、休講で、2月に 2回目が 行われます。 きょうも 多くの人が 出席しました。
今回も 資料が 豊富で、全てを紹介することが できないので、一部を割愛して 簡単に紹介します。
。。。。。。 北前船と兵庫の船主集落Ⅰ 。。。。。。
Ⅰ 北前船 :日本遺産 荒波越えた 男たちの夢を紡いだ異空間 ~北前船の寄港地・船主集落~
(49自治体:神戸市、高砂市、姫路市、たつの市、赤穂市、新温泉町など)
1.北前船とは・・・大阪と北海道を結んだ 経済動脈 ”動く総合商社”
①江戸時代中期(18世紀中頃)~明治30年代 ②大阪(坂)と北海道を日本海回りで
③商品を売り買いしながら 結んでいた商船群ー北前船は、そういう動きをしていた商船を総称する呼び名
◇江戸時代の廻船(廻船・回船):荷物を積んで 海を走る船を 「廻船」という
・菱垣廻船:大坂~江戸間を 荷物を運ぶ ※賃積船(荷主から依頼された荷物を運び 運賃を受け取る)
・樽廻船:大坂~江戸間を 酒樽を運ぶ ※これらは、太平洋を走り、1年中 何度も 往復 ※賃積船
・塩廻船:瀬戸内海の塩を 江戸に運ぶ
・糸荷廻船:長崎で輸入される絹糸を大阪へ運び、昆布やアワビなど輸出品を 中国へ運ぶ
※北前船:買積船(寄港地で 安いと思う品物があれば 買い、高く売れるものがあれば、売る 商売をする)
◇北前船のルーツ
◆北前船が 登場する以前
・北海道の荷物を 一手に取り扱ったのは、近江商人(戦国時代末期から 松前に進出)
敦賀・小浜で陸揚げし、陸送(馬力)で ⇒ 琵琶湖(船)⇒ 淀川(船)⇒大坂へ
・近江商人が雇った船乗りの中から自分の船を得て、北海道の産物を大阪で売りさばく人たち⇒北前船の誕生
※江戸時代、北海道は 蝦夷地と呼ばれ、松前藩の知行地・・松前藩は アイヌとの交易・・藩士は 知行として
「場所」と呼ばれる特定の場所で アイヌと交易・・藩士たちは 「場所請負人」(近江商人)に請け負わせ、
◆河村瑞賢の西廻り航路の整備
・幕府は、江戸の豪商・河村瑞賢に、最上川流域にあった15万石の天領の米を酒田から 江戸まで運ぶ航路の
整備を命じた。 河村瑞賢は 寛文11年 東回り航路、寛文12年 西廻り航路を 開発、整備。
◇西廻り航路(酒田~日本海を南下~下関~瀬戸内海~大坂)が 北前船の航路に
・近江商人の敦賀~北海道航路+河村瑞賢の西廻り航路(うち酒田~大阪航路)が 結びつき、「北前船」の
航路が 整備された。
・江戸時代中頃から 明治時代にかけて、西の物資を北へ、古他の物資を西へ運ぶ和船が、「北前船」 と呼ばれた。
2.北前船の特徴
・北前船(買積船)の多くは 弁財船(主に 瀬戸内海で発達した水軍の船から 徐々に大型化し 性能向上。(千石船)
船としての性能が 格段に向上し、大量物資を 小人数で 迅速に運べるため、瞬く間に 海の主役になった。
・北前航路の弁財船:白い帆一枚で 帆走する和船、船体が堅牢、積載量を増すため 肥満体、大きくせりあがっ
た船首・船蛇腹垣(荷物の転落防止と波除)、巨大な舵が 特徴、北前船は 基本 上方~蝦夷を 年に1往復する
3.北前船の乗組員
・千石の乗組員:12~15人(仕事によって、船頭、親仁、知工(ちく)、表、水主(かこ)、炊に分かれた
・帆待:主に 船頭が 船の積載量の1割程度を 自分の裁量で 仕入れた荷物を運び商う
4.北前船で取引された品 ”動く総合商社「北前船」・・・一航海で 1000両にも
・北海道では 江戸時代、稲を育てられなかった。このため、米や藁製品、塩、鉄、衣料など生活物資を本州から
・瀬戸内を中心に 綿花栽培が盛んになると、その肥料として、干鰯が主流だったが、北海道産の鰊肥料が 普及
・北から・上り船:鰊(ニシン)で 大儲け、長崎俵物と昆布(長崎から中国へ)、紅花
北海道のニシンは、煮て魚油を絞り、残った鰊粕を肥料に。 これが 仕入れ値の10倍で売れた。
”北前船の大儲けの秘密は ニシンだった”
・南から・下り船:米と塩(江戸時代 生活必需品、鮭は 塩鮭に加工)、綿・古手、鉄、石、紙、陶磁器、漆器
下り船では、ありとあらゆるものを運んだ ”北前船は 動く総合商社”
Ⅱ 船主集落
1.全国の主な船主と船主集落:18世紀後半、北陸地方の船主が 近江商人から独立、加賀、越前が船主集落に
・加賀南部に 船主が集中:瀬越:広家家・大家家、橋立:酒谷家・西出家
・越前河野浦:右近家、羽前加茂:秋野家、能登一宮:西林家、加賀宮腰:銭屋五兵衛、但馬竹野:永田家
・近畿地方:大阪・兵庫に 数多くの船主、播磨坂越:奥藤研造家、大西家
2.北前船の航海
・船主は、大坂を中心に 瀬戸内海かくちの造船所に 船を発注し、船員を雇用
・船員たちは、春先に船主集落を訪れ 船主に挨拶⇒上方に移動し、出港準備⇒寄港地で 物品購入・搭載し
春から初夏にかけて瀬戸内海から 日本海を北上⇒松前・江差方面に向かい、夏は 蝦夷地の物産を満載して
⇒日本海を南下⇒秋口には 上方に戻る。 船頭の才覚で 巨利を得ることができる
Ⅲ 海難と信仰
・航海の上で、海難事故は 非常に多く発生した、危険と隣り合わせ。このため、船主・水主は 地元や寄港地
の神社の庇護を求め、船中に 様々な神社のお札などを祀り、航海の安全を祈った。
※NHK ”英雄たちの選択” で、10月14日に 「北前船にかけた男たち ~工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛~」が
放送されました。 丈夫な松右衛門帆の織り方などが 詳しく説明されました。
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