私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室12 「北前船と兵庫の船主集落Ⅰ」

2024-12-17 14:39:19 | 歴史探索

  12月17日(火)   天気:晴れ+雲   室温:15.7℃

 きょうは、公民館の歴史教室に 出席しました。 今月は、元城郭研究室長の中川秀昭氏の 「北前船と兵庫の

船主集落Ⅰ」 です。 1月は、休講で、2月に 2回目が 行われます。 きょうも 多くの人が 出席しました。

 今回も 資料が 豊富で、全てを紹介することが できないので、一部を割愛して 簡単に紹介します。

     。。。。。。 北前船と兵庫の船主集落Ⅰ 。。。。。。

Ⅰ 北前船  :日本遺産 荒波越えた 男たちの夢を紡いだ異空間 ~北前船の寄港地・船主集落~

       (49自治体:神戸市、高砂市、姫路市、たつの市、赤穂市、新温泉町など)

 1.北前船とは・・・大阪と北海道を結んだ 経済動脈 ”動く総合商社”

  ①江戸時代中期(18世紀中頃)~明治30年代    ②大阪(坂)と北海道を日本海回りで

  ③商品を売り買いしながら 結んでいた商船群ー北前船は、そういう動きをしていた商船を総称する呼び名

  

 ◇江戸時代の廻船(廻船・回船):荷物を積んで 海を走る船を 「廻船」という

  ・菱垣廻船:大坂~江戸間を 荷物を運ぶ ※賃積船(荷主から依頼された荷物を運び 運賃を受け取る)

  ・樽廻船:大坂~江戸間を 酒樽を運ぶ ※これらは、太平洋を走り、1年中 何度も 往復 ※賃積船

  ・塩廻船:瀬戸内海の塩を 江戸に運ぶ

  ・糸荷廻船:長崎で輸入される絹糸を大阪へ運び、昆布やアワビなど輸出品を 中国へ運ぶ

  ※北前船:買積船(寄港地で 安いと思う品物があれば 買い、高く売れるものがあれば、売る 商売をする)

   

 ◇北前船のルーツ

  ◆北前船が 登場する以前

  ・北海道の荷物を 一手に取り扱ったのは、近江商人(戦国時代末期から 松前に進出)

    敦賀・小浜で陸揚げし、陸送(馬力)で ⇒ 琵琶湖(船)⇒ 淀川(船)⇒大坂へ

  ・近江商人が雇った船乗りの中から自分の船を得て、北海道の産物を大阪で売りさばく人たち⇒北前船の誕生

  ※江戸時代、北海道は 蝦夷地と呼ばれ、松前藩の知行地・・松前藩は アイヌとの交易・・藩士は 知行として

   「場所」と呼ばれる特定の場所で アイヌと交易・・藩士たちは 「場所請負人」(近江商人)に請け負わせ、

  ◆河村瑞賢の西廻り航路の整備

   ・幕府は、江戸の豪商・河村瑞賢に、最上川流域にあった15万石の天領の米を酒田から 江戸まで運ぶ航路の

    整備を命じた。 河村瑞賢は 寛文11年 東回り航路、寛文12年 西廻り航路を 開発、整備。

  ◇西廻り航路(酒田~日本海を南下~下関~瀬戸内海~大坂)が 北前船の航路に

  ・近江商人の敦賀~北海道航路+河村瑞賢の西廻り航路(うち酒田~大阪航路)が 結びつき、「北前船」の

   航路が 整備された。

  ・江戸時代中頃から 明治時代にかけて、西の物資を北へ、古他の物資を西へ運ぶ和船が、「北前船」 と呼ばれた。

 2.北前船の特徴

 ・北前船(買積船)の多くは 弁財船(主に 瀬戸内海で発達した水軍の船から 徐々に大型化し 性能向上。(千石船)

   船としての性能が 格段に向上し、大量物資を 小人数で 迅速に運べるため、瞬く間に 海の主役になった。

 ・北前航路の弁財船:白い帆一枚で 帆走する和船、船体が堅牢、積載量を増すため 肥満体、大きくせりあがっ

   た船首・船蛇腹垣(荷物の転落防止と波除)、巨大な舵が 特徴、北前船は 基本 上方~蝦夷を 年に1往復する

 3.北前船の乗組員

  ・千石の乗組員:12~15人(仕事によって、船頭、親仁、知工(ちく)、表、水主(かこ)、炊に分かれた

  ・帆待:主に 船頭が 船の積載量の1割程度を 自分の裁量で 仕入れた荷物を運び商う

 4.北前船で取引された品  ”動く総合商社「北前船」・・・一航海で 1000両にも

  ・北海道では 江戸時代、稲を育てられなかった。このため、米や藁製品、塩、鉄、衣料など生活物資を本州から

  ・瀬戸内を中心に 綿花栽培が盛んになると、その肥料として、干鰯が主流だったが、北海道産の鰊肥料が 普及

  ・北から・上り船:鰊(ニシン)で 大儲け、長崎俵物と昆布(長崎から中国へ)、紅花

    北海道のニシンは、煮て魚油を絞り、残った鰊粕を肥料に。 これが 仕入れ値の10倍で売れた。

      ”北前船の大儲けの秘密は ニシンだった”

  ・南から・下り船:米と塩(江戸時代 生活必需品、鮭は 塩鮭に加工)、綿・古手、鉄、石、紙、陶磁器、漆器

       下り船では、ありとあらゆるものを運んだ  ”北前船は 動く総合商社”

Ⅱ 船主集落

 1.全国の主な船主と船主集落:18世紀後半、北陸地方の船主が 近江商人から独立、加賀、越前が船主集落に

  ・加賀南部に 船主が集中:瀬越:広家家・大家家、橋立:酒谷家・西出家

  ・越前河野浦:右近家、羽前加茂:秋野家、能登一宮:西林家、加賀宮腰:銭屋五兵衛、但馬竹野:永田家

  ・近畿地方:大阪・兵庫に 数多くの船主、播磨坂越:奥藤研造家、大西家

 

 2.北前船の航海

  ・船主は、大坂を中心に 瀬戸内海かくちの造船所に 船を発注し、船員を雇用

  ・船員たちは、春先に船主集落を訪れ 船主に挨拶⇒上方に移動し、出港準備⇒寄港地で 物品購入・搭載し

   春から初夏にかけて瀬戸内海から 日本海を北上⇒松前・江差方面に向かい、夏は 蝦夷地の物産を満載して

   ⇒日本海を南下⇒秋口には 上方に戻る。   船頭の才覚で 巨利を得ることができる

Ⅲ 海難と信仰

  ・航海の上で、海難事故は 非常に多く発生した、危険と隣り合わせ。このため、船主・水主は 地元や寄港地

   の神社の庇護を求め、船中に 様々な神社のお札などを祀り、航海の安全を祈った。

 ※NHK ”英雄たちの選択” で、10月14日に  「北前船にかけた男たち ~工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛~」が

  放送されました。  丈夫な松右衛門帆の織り方などが 詳しく説明されました。

 

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歴史教室11 世界遺産 姫路城の魅力

2024-11-19 14:58:30 | 歴史探索

  11月19日(火)    天気:晴れ+雲   室温:20.7℃

 きょうは、公民館の歴史教室に出席しました。 今月は、元城郭研究室長の中川秀昭さんの 「世界遺産 姫路城の

魅力 ~美・叡智・時の遺産~ 」ですが、先月の 「日本100名城に学ぶ 城鑑賞の基礎知識」の残った後半部の説明が

あり、これに時間がかかり、今回は 時間延長されました。 来月は、2回にわたり 「北前船」の話が行われる予定。

  。。。。。。 世界遺産 姫路城の魅力 ー美・叡智・時の遺産ー 。。。。。。

1.姫路城の概要

  ・所在地:姫路市本町、   形式:平山城(姫山・鷺山)・・比高100m以上は 山城

  ・築城主:赤松貞範 築城説(貞和2年(1346))、赤松重隆・職隆 築城説(天文24年~永禄4年)の2説

       羽柴秀吉(改修 天正8年(1580))、池田輝政(改修 慶長6年)、本田忠政(改修 元和4年)

  ・現存遺産:国宝8棟(天守群)、重要文化財74棟(櫓・門・土塀) 

  ・天 守:「櫓」+「望楼」から発達(城主の権威の象徴+軍事要塞)

  ・世界遺産登録:文化遺産(平成5年) 登録基準:I(傑作)、Ⅳ(建築の類型)

2.姫路城 三つの遺産

 (1)美の遺産ー現存する城郭建築の最高傑作・・”戦う城” から ”見せる城” へ

  ・連立天守の優美な姿

  ・白漆喰総塗籠の白壁の広がり

  ・後期望楼型天守の理想的な逓減率 ※望楼型・層塔型天守

  ・破風・懸魚・蟇股などの巧みな配分 ー細部にわたる細やかな意匠ー

  ・櫓・門・土塀が 複雑に入り組む構成美

  ・石垣の妙:反り・輪取り・気勢い・鏡石

  

 (2)叡智の遺産 ー美しさに秘められた戦うための叡智の数々(防御と攻撃そして築城を考慮した堅牢な構造)

  ・縄張りの妙:左巻きに らせん状の縄張りと 総構、多様な櫓・門・土塀などで 巨大迷路を構成

  ・幾重にも複雑な防御と攻撃の仕掛け、枡形・横矢・折れの多用

   ※枡形:石垣や土塁に囲まれた四角形の小さな区画、 ※横矢:2方向以上から 攻撃すること

    狭間:矢狭間(長方形)、鉄砲狭間(円形・方形・三角形)、石落し:袴腰型、出窓型、櫓門直下に石落し

  ・天守に施された様々な防御・攻撃・籠城の仕掛け

  

 (3)時の遺産ー時代に生きた人々の気概と情熱が 往時の姿を守り続ける(かけがえのない遺産を後世の継承する努力)

  ・三度の危機:戊辰戦争、明治の廃城令、太平洋戦争

  ・江戸、明治、大正、昭和、平成、令和、永々と続く修理工事

   ・昭和の大修理:大天守西大柱の交換(下・木曽檜、上・笠形神社御神木)、コンクリート定盤基礎

   ・平成の大修理:修理見学施設「天空の白鷺」

 

※出展:「国宝・重要文化財姫路城保存修理工事報告書」、「兵庫県立博物館展示資料」

 

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埋蔵文化財センターで TSUBOHORI 発掘調査 2024 と 関ノ口遺跡

2024-11-06 14:50:33 | 歴史探索

  11月 6日(水)   天気:晴れのち曇り・にわか雨    室温:23.5℃

 きょうは、姫路市四郷町の姫路市埋蔵文化財センターへ ”TSUBOHORI 発掘調査展 2024” を見に行きまし

た。 展示を 見るというより、10月に 行われる予定だった 関ノ口遺跡の発掘現地説明会が 中止なったので、

説明会用の資料をもらうために行きました。 資料は なかったようで、コピーして頂きました。

 きょうは、おかしな天気で、朝は晴れていたのに、埋蔵センターに着くころに 急に雨が降ってきました。

     

◆関ノ口遺跡 第18次 発掘調査 現地説明会 資料  2024年8月31日

 ・前回、関ノ口遺跡 第17次 発掘調査 現地説明会の様子は、2024.1.13 です。

 ・今回の18次 発掘調査の様子は、網干駅西・茶ノ木踏切 陸橋工事 2024.8.1 の一番下にあります。

 はじめに

 関ノ口遺跡は、姫路平野西側に位置する集落遺跡です。 JR網干駅前 土地区画整理事業に伴って 平成28年度

から 発掘調査を実施しています。 第1次調査では 弥生時代から 古墳時代の多くの竪穴建物のほか 埋没古墳、

堀立柱建物などが見つかり、大規模な集落遺跡ということがわかりました。 これまでの調査では、谷地形に

堆積した土から 約4000年前の縄文時代後期の土器も 見つかりました。 また 昨年度行われた調査では、弥生

時代から 古墳時代の竪穴建物跡や 柵、柱穴、溝などを検出しました。 さらに 関ノ口遺跡では、古代や 中世の

遺構も多数検出されており、網干地域ひいては姫路の歴史を語る上で 非常に重要な遺跡であることが 明らかです。

・今回の調査成果で 特にお伝えしたいこと

 ①竪穴建物跡が12棟みつかりました!

 ②桁行3間×梁行2間の堀立はしら建物跡と およそ直角に折れ曲がって延びる溝が見つかりました!

 ③2区では 地形の落ち込み(遺跡の南端)が見つかりました!

    

 ・主な遺構の解説(説明文は省略)

    

 まとめ

 今回の調査成果と これまでに実施した周辺の調査成果を合成すると、図3(省略)のようになります。今回の調査

では、平面形や規模が異なる弥生時代中期~古墳時代の竪穴建物跡を 12棟発見しました。 その半数以上は、重な

合っていたことから、その時代に生きた人々が 同じ場所で 自らの住まいを建て替えながら 生活していた様子が 

かがえます。 このことは、関ノ口遺跡における これまでの調査成果とも合致します。 また、倉庫などの可能性が

ある堀立柱建物跡や、それと平行するコの字状の溝も確認しました。 さらに 2区では、谷地形の落ち込みを 確認し

ました。  特に、柵の内側と想定される場所に 竪穴建物跡が集中すると共に、倉庫などの可能性がある建物跡が 見

つかったことは 注目されます。 また、2区で検出した谷地形の落ち込みは、これまでの調査でも確認しており、集落

が 地形的に高い場所に形成されていたことが 明らかになりました。

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たつの市のギャラリー いろりで 李 銀京 時の一画 展

2024-11-04 15:30:17 | 歴史探索

  11月 4日(月)振替休日   天気:晴れ   室温:26.5℃

 きょうは、たつの市揖西町新宮のギャラリー いろりへ 李銀京さんの ”時の一画 展” を見に行きました。

     昨日みたい 今日はない・・・    今日みたい 明日はない・・・

 ギャラリーは、県道5号線(姫路上郡線)の中垣内の信号から 約600m西の角にあります。 古民家で、

カフェもありますが、洋服・着物などの古着が 沢山展示販売されています。 銀京さんが こられ お話しする

ことができました。 近くに住んでおられる おばさんの紹介で 展示・販売することになったそうです。

  

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「ふるさと故事巡礼」 ー第13回ー 広畑中学校区

2024-10-29 19:06:54 | 歴史探索

  10月29日(火)    天気:曇り    室温:22.4℃

 この前入手した FMゲンキのフリーマガジン ”秋号” の ”気まぐれ途中下車 地域再発見 「ふるさと故事巡礼」

ー第13回ー 広畑中学校区" を 簡単に紹介します。 今回は、姫路市広畑区の室津道(室街道)と浜街道周辺です。

以前 浜街道を歩いたのは、2020.1.4 と 2019.12.27  です。

   室街道を歩いたのは、2018.9.19 と 2015.1.12  です。

      

1.室津道(室街道):広畑区の西土井から東では 「室津道」と呼ばれ、天満から西では 「室街道」と呼ばれるとか。

2.御用米蔵跡:幕府直轄領 および 一橋家の御用米蔵で、明治初年まで 飾西郡内の天領や一橋領の年貢米を収納し、

3.菅原神社:小坂天満宮または荒木天神とも。 九州へ左遷される道真が 播磨灘で 暴風雨に遭い、海を鎮めるため

4.郡境石:2枚の長方形の石の先端に V字状に切り込みがあり、飾磨郡と 揖保郡の郡境を見通せるようになっている。

5. 浜街道:明石市西新町の大観橋西詰で 西国街道と分岐し、阿閇~別府~尾上曽根~大塩~飾磨~網干を結んだ

6.八町道:広畑村は 夢前川西岸の沖積平野にあり、一帯に広々とした畑が 広がっていたことから 名付けられたと

7.広畑天満神社:江戸時代の広畑村は、当時の大庄屋泥土の元では 英賀組に属しており、英賀神社の氏子でもあり

8.広辻:天満社の境内にある広辻神社は 霊亀年間(715~)の創祀と伝えられ、神社があったとされる清水町の辺り

9.蛸田地蔵尊:江戸時代、広畑村の沖合で 網を曳いていた漁師が 引き揚げた石の地蔵を 当時の庄屋が 蛸田という

10.本町の道標:東面「左 網干港室津 右 あぼし驛、北面「左 飾磨港」、南面には 「明治十七年五月」 施主 瀬尾

11.渡し:明治17年の絵図「廣畑村ト英賀村ト境界争論現今景況略図」には、夢前川の渡河地点に 「此所廣畑村渡松

12.新田開発:遥か昔は 室津道のラインが 海岸線だったとも言われるこの辺り、中世は 山陽電車のラインが 海岸線

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※3ページ目には 新日本製鉄広畑製鉄所(新日本製鉄㈱広畑製鉄所 「広畑製鐵所30年史」、兵庫県「広区画整理誌」

 より)として、長文が書かれています。

 安政4年(1,857)、水戸藩により 釜石に 日本初の高炉が建設され、日本の近代製鉄の歴史が幕を開けます。 外圧

 による開国から不平等外交、さらに 日清・日露戦争を経て 国家的信念となった 「鉄は国家なり」の掛け声の下、・・

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