山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

『それでも日本人は戦争を選んだ』を読む

2009年08月11日 08時30分02秒 | Weblog
 発行されたばかりの、加藤陽子『それでも日本人は戦争を選んだ』(朝日出版社、2009・7・30発行)を読んだ。読む前から一抹の不安があった。それは、同じく加藤さんの岩波新書『シリーズ日本近現代史⑤満州事変から日中戦争へ』を読んだ時に抱いた違和感をふたたび味わうのではないかという思いからきていた。
 加藤さんは東大教授で、1930年代を主に探求している第一線の研究者だ。政策の決定過程について新資料を駆使しながら新しい境地を開いてきている。だが、岩波新書のときに思ったのだが、戦争犠牲者のことを柱に据えて戦争の全体像を描くという研究姿勢でないことからくる違和感と不満が残った。戦争指導者の政策決定についての研究論文ならば何の違和感もないのだが、日本近現代史の通史の中の一冊なのだから期待を裏切られた。南京大虐殺についても、南京事件があったという程度で、日中戦争の叙述では避けて通れない重い問題を完全にパスしていた。南京をパスしつつ政策決定過程に叙述が集中する。
 こんどの本は、ある高校で集中講義をした内容をまとめたもので、本のカバーには「日本近現代史の最前線」と銘打っている。構成は、序章「日本近現代史を考える」、1章「日清戦争・侵略被侵略では見えてこないもの」、2章「日露戦争・朝鮮か満州か、それが問題」、3章「第1次世界大戦・日本が抱いた主観的な挫折」、4章「満州事変と日中戦争・日本切腹、中国介錯論」、5章「太平洋戦争・戦死者の死に場所を教えられなかった国」である。
 日露戦争においては、私は、朝鮮の植民地化と一体の叙述でなければいけないと思うのだが、そうではない。日露戦争だけでなく、日本の近現代史において、朝鮮の植民地支配の問題は、真正面にすえなければならない課題である。当時、社会主義をとなえる人間でも、植民地支配には甘い態度をとる者が多くいたのだから。
 この本では、日露戦争、第1次世界大戦の叙述の柱に、日本の戦略的安全保障というものを据える。「日露戦争への過程を見ると、再び、朝鮮半島の問題が日本にとって悩ましい、島国としての安全保障観をゆるがす問題となって迫ってくることがわかります。朝鮮半島を第三国に占領されないようにせよという、シュタイン先生の警告が、ロシアとの関係で再び問題となってくる。これが今日のお話のいちばん大きなテーマです」(143~4p)。「ロシア側の史料や日本側の史料、これが公開されて明らかになったところでは、どうも、やはり朝鮮半島、韓半島のことですが、その戦略的な安全保障の観点から、日本はロシアと戦ったという説明ができそうです。・・・戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです」(166p)。
 私が抱いた違和感は、第1次世界大戦の章でさらに膨らんだ。「日本が一貫して追求したもの」という小見出しで「日本が獲得した植民地を考えてみると、ほぼ安全保障上の利益に合致する場所といえますね。台湾…向かいに中国の福建省があり…海上輸送を考えたときに重要ですね。また朝鮮半島と日本の間の海峡は朝鮮海峡で、これはもうシュタイン先生直伝の重要ポイントです」(192p)。ヨーロッパの戦争である第1次大戦に、日英同盟を根拠にむりやり参戦した日本。ドイツがもっていた山東半島の権益と南洋諸島の植民地を横取りするために。だがこれも、日本の安全保障上の利益という観点から位置づける。「太平洋の島々が戦略的に重要な場所であり、それを日本は戦争の勃発とともに占領した。ここまではいいですね。とすると中国の青島を占領するというのは、戦略的にいえばなぜでしょうね。…陸軍は、ドイツ領である青島を攻略します。このとき日本側は、ドイツが敷設した膠済線(こうさいせん)(青島ー済南)という鉄道を占領する。…それでは、このとき日本が山東半島の鉄道を自分のものにしなければならないと考えた理由はなんでしょう。陸軍などは、どのような安全保障上の理由でこの鉄道を欲したのか。……日本は中国になにかあった場合、山東半島の南側の付け根にある膠州湾や青島などに上陸して、そのあとは鉄道で西に進んで、軍隊をバーッと済南まで運んでしまえば、中国の鉄道で天津、北京というルートで北京まですぐ北上できる。それ以前の日本が北京に達するためには、まずは朝鮮半島の仁川に上陸し…というルートをたどるしかなかった」(201~205p)。日中戦争の章でも戦争の犠牲者のことが研究の柱になっていない。南京の文字も出てこない。
 太平洋戦争の章では、戦略的安全保障という観点での叙述はない。戦争をしないこと以外に安全保障はなかったのだから。この章では戦争犠牲者のことが正面にすえられる。だから違和感がなかった。
 あとがきでは、「本屋さんに行きますと、『大嘘』『二度と誤らないための』云々といった刺激的な言葉を書名に冠した近現代史の読み物が積まれているのを目にします。地理的にも歴史的にも日本と関係の深い中国や韓国と日本の関係を論じたものにこのような刺激的な惹句のものが少なくありません。しかし、このような本を読み一時的に溜飲を下げても、結局のところ『あの戦争はなんだったのか』式の本に手を伸ばし続けることになりそうです。なぜそうなるかといえば、一つには、そのような本では戦争の実態をえぐる『問い』が適切に設定されていないからであり、二つには、そのような本では史料とその史料が含む潜在的な情報すべてに対する公平な解釈がなされていないからです。これでは、過去の戦争を理解しえたという本当の充足感やカタルシスが結局のところ得られないので、同じような本を何度も何度も読むことになるのです。」(407p)という一節がある。太平洋戦争の章とこのあとがきで少し心が落ち着いた。
 加藤さんには、太平洋戦争の章の観点で近現代の戦争の歴史を書き下ろして欲しいと願う。
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1 コメント

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発想の根本がおかしい (yassan)
2010-01-09 11:45:24
貴殿の論旨があまりに幼稚なので驚きました。著者がまともな歴史研究者であれば「戦争犠牲者を柱に据え」ないのはむしろ当然でしょう。戦争は良し悪しは別にしてマクロには国の経済目的の遂行を賭けて行われるもので政治はその手段です。その政治はつまるところ国民が支えます。残念ながら犠牲者は戦争の一側面に過ぎません。犠牲者を柱に据えたいというのであれば「追悼集」でもお出しになればいかが。

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