山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

心の狭い東京都教委

2009年03月19日 08時53分42秒 | Weblog
 先日、東京の七生養護学校の体と性の教育への都会議員の教育介入とそれに同調ている都教委のこと、これに対する明快な判決のことを書いた。判決は都教委に損害賠償の支払いを命じた。ところが、都教委は敗訴しても、なにも反省していない。
 これと同質のことを都教委は行っている。都立三鷹高校校長の土肥信雄さんが退職にあたって、非常勤講師に採用するよう求めていたのに対して、不採用とした事件だ。
 都教委は、1998年から職員会議を校長の補助機関にしてきた。さらに2006年に職員会議で教職員の意向を聞く挙手採決の禁止の通知をだした。教職員はどんどん意見をいってもいい、だが採決は禁止する、決定は校長というのだ。でも全体の意向を採決と言う形で明らかにすることを禁止するもとでは、意見をいうことの意味がなくなってくる。教育を進めていく上で、教育の条理にもとづいて議論を尽くし、教職員の合意を形成していくことが重要だ。その際、採決をするまでもなく合意が明白な場合のあるし、採決でそれを明らかにする場合もある。だが採決で教職員の全体の意向を明らかにすることを禁止して合意形成がなしうるのか。校長の命令ばかりで正しい教育が保障できるのか。職員会議の形骸化・伝達命令機関化はゆゆしい事態をまねく。
 三鷹高校の土肥校長は職員会議での採決の禁止は断じて認めるわけにはいかないといってきた。ずいぶん腹のすわった見識のある校長だ。全教職員の総意を生かすのはきわめて重要で、逆に教職員の意見をないがしろにすることはやる気を奪い、叡智を結集することを困難にする。
 土肥校長は当然のことを主張し、これに多くの教育学者が同調し、支援してきた。また、土肥さんは都教委に対して採決禁止問題について公開討論会を提案し出席を求めてきたが、都教委は無視してきた。公開の場での議論を好まず、都教委と校長との間の関係も命令服従の関係であるべきだとの考えからだ。
 こんな活動をしてきた土肥さんも定年になった。土肥さんは退職後、非常勤講師になるべく申請をした。だが都教委はそれを拒んだ。都教委の立場から見て有能だと判断して、7年間も校長にしてきた土肥さんを採用しないというのだ。あからさまないやがらせだ。あまりに心が狭いし、不採用の正当な理由がない。普通校長が退職すると、教育委員会は天下り先を用意する。三鷹高校のような有名高校の校長ならば相当の扱いをこれまでなら受けてきたはずだ。短大学長、大学・短大教授、私立高校校長、私学の渉外関係などだ。でも毎年校長は退職するからいつも全員にいい天下り先は保障できないし、あぶれるひともいる。もちろん自動的にあてがわれるというものではなく、用意された枠のなかで調整するのだろう。また全員がそれを求めるわけでもない。一般教員が退職してもそんなことをしてくれるのか。ありえない。一般職員で引き続き現場で働きたいという人は、再任用や非常勤講師などをする。年金制度の支給年齢が改悪された代償として再任用の制度が国によってつくられた。土肥さんも当然それを要求する権利がある。普通はことわられることはない。でも権力主義に凝り固まった都教委は、もっとも従順であるべき校長が反逆したから、逆上して採用を拒否した。拒否するには相当の理由がなければならない。授業ができないことが明らかな場合以外はありえない。思想信条によって差別するのは憲法、労働基準法に違反する。
 それにしても土肥さんは、都教委は当然のように天下りは用意しないもとで、一介の非常勤講師として他の平教員と肩をならべて授業をしようとした。大した人だ。校長をしていた人は、立場が変わったからといって、1人の教員として授業することに踏み切る人は窮めて少ない。それだけでも土肥さんは立派だ。非常勤講師は足りなくて、毎年、各校の校長はさがすのに苦労している。教科によっては取り合いにさえなっている。
 立派な教員を不採用にする都教委の不見識と違法行為は許せない。
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