海兵隊の普天間基地の返還、県内移設反対の沖縄県民大会が、読谷村(よみたんそん)で開かれた(2010・4・25)。9万人の参加だ。歴史の節目として記録されるだろう。
大会では、高校生代表もあいさつをした。岡本かなさん、志喜屋成海さんの二人だ。岡本さんのあいさつを紹介しよう。
厚さ6センチの窓。その窓いっぱいに見える飛行機の胴体。これが私たち普天間高校の日常の光景です。
私は2年前、あこがれの普天間高校に入学しました。とても、わくわくして投稿したことをいまでも覚えています。しかし、グラウンドに出れば、騒音とともにやってくる低く黒い影。授業中でも、テスト中でも、容赦なくすべてを中断させる音。低空飛行する機体に向かって思わず「うるさい」と叫んだこともあります。学校までの通学路は、どこまでも長い基地のフェンスが続きます。早朝講座の始まるころには、基地から上る星条旗がみえます。「あれ、ここって日本だよね、いったいフェンスで囲まれているのは、基地なの、私たちなの?」。一瞬、考えてしまいました。日本にある米軍基地の75%が、ここ沖縄に存在していることをあらためて実感しました。
そんな不安と違和感を覚えた1年目でした。入学から2年たち、私は自分が変化していることに気がつきました。そして怖くなったのです。ヘリコプターは相変わらず、頭上を飛び、騒音は鳴り続けます。「でもしょうがない」「いつものこと」と思う自分がいたのです。
軍用機がいつ、自分の上から落ちるかわからない日常。訓練が民間地域のすぐ横で行われている日常。基地や訓練がなんのためにあるのか忘れた日常。危険を危険とも感じなくなる怖さ。普天間高校で過ごす間に、この状況があまりに日常になって、私の感覚はにぶくなっていたのです。
生活のなかに基地があること、この問題をしかたがないから、と考えるのをやめていないか。私を含めて、いま一度多くの方に考えてほしい。みんなが、それぞれの立場で、もう一度基地問題に向き合ってほしいと思います。私たち一人ひとりが考えれば、なにかがかわる―そう信じて、私はここに立っています。
岡本さんが訴えたように、全国民が基地問題に向き合うことが求められている。
だが、政府はこの県民大会の余波が広がらないようにという瞬間をねらって、辺野古沖に桟橋方式の基地建設を流し始めた。新聞は、大会の報道はしているが、大会の意味をじっくり考えるという姿勢に乏しく、「辺野古修正案」報道にかたむいている。
最新鋭基地を提供することと引き換えでないと普天間返還を言えないという立場では県民の声にこたえられない。イラクに派兵しつづけてきた海兵隊の訓練基地をなぜ提供しなければいけないのか。普天間から引き上げてもらっても、まだ米軍はいっぱい居座っているではないか。無条件返還をためらう必要はまったくない。
大会では、高校生代表もあいさつをした。岡本かなさん、志喜屋成海さんの二人だ。岡本さんのあいさつを紹介しよう。
厚さ6センチの窓。その窓いっぱいに見える飛行機の胴体。これが私たち普天間高校の日常の光景です。
私は2年前、あこがれの普天間高校に入学しました。とても、わくわくして投稿したことをいまでも覚えています。しかし、グラウンドに出れば、騒音とともにやってくる低く黒い影。授業中でも、テスト中でも、容赦なくすべてを中断させる音。低空飛行する機体に向かって思わず「うるさい」と叫んだこともあります。学校までの通学路は、どこまでも長い基地のフェンスが続きます。早朝講座の始まるころには、基地から上る星条旗がみえます。「あれ、ここって日本だよね、いったいフェンスで囲まれているのは、基地なの、私たちなの?」。一瞬、考えてしまいました。日本にある米軍基地の75%が、ここ沖縄に存在していることをあらためて実感しました。
そんな不安と違和感を覚えた1年目でした。入学から2年たち、私は自分が変化していることに気がつきました。そして怖くなったのです。ヘリコプターは相変わらず、頭上を飛び、騒音は鳴り続けます。「でもしょうがない」「いつものこと」と思う自分がいたのです。
軍用機がいつ、自分の上から落ちるかわからない日常。訓練が民間地域のすぐ横で行われている日常。基地や訓練がなんのためにあるのか忘れた日常。危険を危険とも感じなくなる怖さ。普天間高校で過ごす間に、この状況があまりに日常になって、私の感覚はにぶくなっていたのです。
生活のなかに基地があること、この問題をしかたがないから、と考えるのをやめていないか。私を含めて、いま一度多くの方に考えてほしい。みんなが、それぞれの立場で、もう一度基地問題に向き合ってほしいと思います。私たち一人ひとりが考えれば、なにかがかわる―そう信じて、私はここに立っています。
岡本さんが訴えたように、全国民が基地問題に向き合うことが求められている。
だが、政府はこの県民大会の余波が広がらないようにという瞬間をねらって、辺野古沖に桟橋方式の基地建設を流し始めた。新聞は、大会の報道はしているが、大会の意味をじっくり考えるという姿勢に乏しく、「辺野古修正案」報道にかたむいている。
最新鋭基地を提供することと引き換えでないと普天間返還を言えないという立場では県民の声にこたえられない。イラクに派兵しつづけてきた海兵隊の訓練基地をなぜ提供しなければいけないのか。普天間から引き上げてもらっても、まだ米軍はいっぱい居座っているではないか。無条件返還をためらう必要はまったくない。
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