山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

中国では大同炭鉱万人坑にいきました

2016年09月13日 22時13分04秒 | Weblog
9月18日は、1931年の「9・18柳条湖事件」=満州事変85周年に当たる。関東軍(日本軍)傀儡国家の下で、1932年の9月16日には「平頂山事件」が起こされた。平頂山事件は、抗日ゲリラが南満州鉄道の経営する撫順炭鉱を襲撃し、日本人職員を殺害したことをとらえ、平頂山住民がゲリラと通じていると決めつけて、村民を殺害した事件だ。子どもから老人まですべてを集めて、機関銃で殺害し、土砂で埋めた。犠牲者はおよそ3000人だ。この殺害現場を平頂山万人坑という。万人坑は単純に1万人を意味するものではない。
かつて平頂山万人坑を訪れた際、その惨状に息をのんだことが思い出される。こんどの山西省大同市への植樹ツアーの行程に万人坑が入っていた。訪れたのは「大同煤鑛万人坑遺址記念館」だ。盧溝橋事件を機に中国全土に攻め込んだ1937年から敗戦の45年までの間、大同炭鉱で石炭採掘をした。日本は石炭を1400万トン略奪したと書かれていた。買ったのではないから奪ったのだ。中国人労働者に賃金は払っただろうが金額はわからない。大同炭鉱には20の炭鉱がある。その20か所で万人坑が形成された。非人間的な労働環境で死亡した、あるいは働けなくなった労働者を投げ入れたところが万人坑となった。説明では6万人と書かれていた。
 1966、67年に12名の学者がこの万人坑を掘り出し、死体判定をした。死体の衣服の名札と鉱山所有の履歴書のようなものとが照合された写真が6~7体分展示されていた。万人坑の遺体の名前が、一部ではあれ特定されていることに衝撃を受けた。折り重なる遺体の展示もあった。
 中国人の教育用の施設として整備されたもので、日本人の訪問者はごくわずかのようだ。
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