朝起きたら快晴だ。ピリッとした空気。昨日の朝は雷鳴轟いて、激しい雨だった。そのため木々の葉はすっかり落ちてしまった。
我が家の白木蓮の葉も8割方落ちた。茶色の大振りの葉がびっしりと土とコンクリートをそしてスギゴケを覆う。並べた植木鉢の上も茶色のドームのようだ。黄葉でなく茶葉なのできれいとはいえないが、冬が迫ってきたことを感じさせる風情がある。淋しさを感じさせる。今日、青空の中の白木蓮の葉を見ると、垂れ落ちそうになるのを、微風に揺られながら必死にぶらさがっている。葉が落ちてしまって、間から青空が透けて見える。
十三公園の銀杏の周りは分厚い黄金の絨毯になっていた。歩道脇の銀杏から大量に落ちた黄葉が積もって、その上を歩くとふわふわとした感触だった。まさに自然の黄金の絨毯だ。
学校の銀杏もずいぶん葉を落とした。まだまだ残っている木もあるが、もうまばらになったものもある。プールの脇にある直径5、60センチの古い銀杏は、この雷雨でいっきに葉を落とした。数センチの絨毯を織り上げた。技能員さんに聞いたら建て替え工事で根を切られ、力が衰えたということだ。旧校舎の運動場にあった2本のクスノキのうち1本は残され、いま中庭のクスノキとなっている。だがこれもすぐ横に多目的ホールを建てたので根が切られ、その後すっかり元気をなくした。これも技能員さんにきけば、なんとか持ちこたえさすために周りの土を入れ替えたそうだ。また毎日雑草を抜いて養分を取られないようにしているという。
木々の少ない大阪でも、その時々の表情に注目すれば、なかなか潤いがある。自分のお気に入りの黄葉スポットがあると楽しいものだ。
我が家の白木蓮の葉も8割方落ちた。茶色の大振りの葉がびっしりと土とコンクリートをそしてスギゴケを覆う。並べた植木鉢の上も茶色のドームのようだ。黄葉でなく茶葉なのできれいとはいえないが、冬が迫ってきたことを感じさせる風情がある。淋しさを感じさせる。今日、青空の中の白木蓮の葉を見ると、垂れ落ちそうになるのを、微風に揺られながら必死にぶらさがっている。葉が落ちてしまって、間から青空が透けて見える。
十三公園の銀杏の周りは分厚い黄金の絨毯になっていた。歩道脇の銀杏から大量に落ちた黄葉が積もって、その上を歩くとふわふわとした感触だった。まさに自然の黄金の絨毯だ。
学校の銀杏もずいぶん葉を落とした。まだまだ残っている木もあるが、もうまばらになったものもある。プールの脇にある直径5、60センチの古い銀杏は、この雷雨でいっきに葉を落とした。数センチの絨毯を織り上げた。技能員さんに聞いたら建て替え工事で根を切られ、力が衰えたということだ。旧校舎の運動場にあった2本のクスノキのうち1本は残され、いま中庭のクスノキとなっている。だがこれもすぐ横に多目的ホールを建てたので根が切られ、その後すっかり元気をなくした。これも技能員さんにきけば、なんとか持ちこたえさすために周りの土を入れ替えたそうだ。また毎日雑草を抜いて養分を取られないようにしているという。
木々の少ない大阪でも、その時々の表情に注目すれば、なかなか潤いがある。自分のお気に入りの黄葉スポットがあると楽しいものだ。
住人の文化レベルが高いような気がいたします。
落ち葉一つ取りましても、
季節の移り変わり、自然の尊さと見るか?
単なる薄汚れた枯葉と見るか?
段通の絨毯か、へばり付くだけの落ち葉か?
後者の多い地域では、
樹木が直立した丸太のようです。
枝葉が全て切り取られ、
亡骸のような出で立ちにされています。
何の情緒も感じられません。
伸びやかな木々は、
枯葉を落とし滋養にしながら、
春に芽吹く準備を始めます。
もう少しいたしますと、樹皮が艶々と燻し銀に
輝き始めるでしょう。
毎日毎日、多くの葉が舞い散っても
掻き集めて、根元に置いてやりましょう。
きっと、春に煌めく様な美しい新緑に巡り合えるでしょう。
山上様
苔が生えるような環境は、丁寧な手入れが必要です。
お庭を大切にしておられるのがよく判りますね。
だんだん、若い頃に覚えていた短歌や詩を忘れてきました。いやだ。いやだ。とても好きな歌だったのに、与謝野晶子だったとは。。。
「金色の ちひさき鳥の かたちして
銀杏散るなり 夕日の岡に」
与謝野晶子(よさのあきこ)