山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

歴史の検証に耐えられない、歴史を修正する安倍70年談話

2015年08月15日 10時57分07秒 | Weblog
 アメリカには事前に文案を送り了解を求めて発表した安倍・戦後70年談話。戦後50年談話にくらべほとんど値打ちのないものゆえ、文章の量だけは異常に多くし、一大政治ショーにするため、終始カメラ目線のねっとりした読み上げぶりだけが目立った。でも歴史には残らない。
 村山元首相が、自身の談話を「引き継がれた印象はない」「踏襲もしていない。出す必要はなかった」「焦点がぼけて、さっぱり何を言いたいのか分からない」「何をおわびしたいのか不明確だ」と切って捨てたのはのは当たっている。
 談話を聞いて、また全文を読んで、まず思うのは、主語のない文章だということだ。責任逃れの、たちの悪い文章は主語がない。もう一つは傍観者の文章だということ。そして徹底したごまかしと歴史の修正。これが安倍談話をつらぬく方法だ。また村山談話のいくつかのキーワードが入っているかどうかが注目されたが、人を小ばかにしたような扱いに、安倍首相の本質が露呈された。
 談話は言う。「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました」、しかし「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」という形で「植民地支配」というキーワードをずるいやり方でクリアする。だがこれはクリアとは言えない。植民地支配の問題は西洋諸国の問題だと自らを別の位置に置いて傍観し、あまつさえ、日露戦争を起点に朝鮮の植民地化を着々とすすめた歴史を隠し、逆に植民地に独立のエネルギーを与えたと位置づけるのだ。歴史の隠ぺいと修正。
 第1次世界大戦は「1千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました」、この戦争を機に「戦争自体を違法化する・・・潮流が生まれました」といいながら、満州事変以後の日本をこの新しい潮流・国際秩序への「挑戦者」だと位置づける。挑戦とは勇気を出していどむことであり、まったく不適切、「破壊者」と表現すべきものだ。
 世界恐慌から経済のブロック化がすすみ、これが戦争の原因かのように言う。遠い要因であるが、まったくの謬論だ。日本の軍国主義、アジア蔑視の侵略主義、天皇制ファシズムなどに触れない戦争論など子どもだましだ。
 侵略戦争への道のりを反省し、侵略の罪責を告白し、謝罪することなくして、植民地にされ、侵略された国民との和解はありえない。経済の行き詰まりが戦争に追いやったと他律的にえがき、満州事変以後を「挑戦者」扱いし、「進路を誤り」、「日本は、敗戦しました」と結ぶ。論理不明。歴史の修正。
 「先の大戦では、3百万の同胞の命が失われました」というが、第1次世界大戦が1千万の戦死者を出した記述との整合性はない。あくまで祖国のために「戦陣に散った方々」や「たくさんの市井の人々」の犠牲をいう。侵略した国々といわずに「戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました」という。自然現象として失われたのではなかろう。主語をつけ、自動詞で、日本がアジア諸国民2千万の命を奪いましたというべきだ。「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、愛する家族があった」などと文学的表現を各所に散りばめながら、主語のない傍観者の記述がつづく。
 「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。」日本軍慰安婦のことを指すのだろうが、そうとは明記せず、日本軍の責任を不問にし、自然現象のごとく描く。河野談話の頃にくらべ研究は格段に進展し、日本軍の関与と責任はまったく動かしようもなくなっているにもかかわらず、20何年前と同じことをくりかえす。慰安所は民間業者がやっていたことだと。歴史修正主義者は隠ぺいの作業はするが、歴史の真実を探求する精神がない。
 侵略については触れないのかと思ったら、4割くらいすすんだところで、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し・・・なければならない」という。事変、侵略、戦争で読点、丸だ。だが論理不明。いったいどこの国の侵略だ。つづく文も一般論。植民地支配からの訣別も一般論。主語のない文章だ。侵略について何も語らず、日本の1931年満州事変以後の戦争が侵略であったとは一言も言わない。侵略でなければ責任は問われない。植民地支配も無答責の一般論。安倍首相は何の痛みも感じず、キーワードを二つクリア。世界全ての国がとるべき戦後の一般論で日本の責任は溶けて消える。
 この談話の後半は、いっそう浮いた言葉が延々とおどる。ただその中に、見過ごすことのできない一節がある。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」謝罪はもう終わりだとの宣言だ。子や孫に責任がないのは明らかだ。だが、その国民が選ぶ政府が戦争責任がないかのごとくふるまうならば、子や孫の時代の国民の責任が生じることになる。それよりも問題は、今の政府が植民地支配と侵略戦争の責任を一点の曇りもなくはっきりさせ、明快な謝罪と後の世代の教育に力を尽くすことを明らかにすることだ。そのうえで、侵略された側が謝罪にはけじめがついたと言ってくれてこそ、解決する。もちろん時として日本の戦争責任はと問われることはある。そのときも変わらぬ態度をとることが必要なのはもちろんだ。いや、責任は前に言ったから、もういう必要なない、どうでもいいことだ、というのではすべて覆る。口先と行動、心の中が違うのが問題だ。50年の決議、談話に反対し、以後50年談話をくつがえすこと、ポツダム宣言にはじまる戦後レジームの転換を中心テーマに活動してきた安倍氏らの存在が、けじめをつけることを困難にしてきた。子や孫に謝罪の責任はない。だが政府にはある。子や孫に責任はないといういい方の中に、もうこれから後の時代には責任はないという意味を滑り込ませようとしている。じつに狡猾だ。
 安倍談話でおもわず笑いそうになったのは、「法の支配を重んじ」という言葉があったことだ。いちばんの側近が「法的安定性なんか関係ない」と繰り返しても、この人物を擁護する安倍首相だ。砂川判決が判決文で触れてもいないのに、最高裁も集団的自衛権行使は合憲だといっているなどといい、憲法改正の手続きによらず改憲行為をしているのが安倍首相だ。その人物が「法の支配を重んじ」というのだから、この談話も同等の重みしかない。
 キーワードはたしか4つあったはずだが、目に付かなかった。線を引きながら読んだ談話をもう一度ていねいに探すと、意味もない飾ったことばが並ぶ後半冒頭に、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」と、二つのキーワードを一気にクリアする。私はという主語をもちいて、あらためてお詫びするという、当然の態度を注意深く退けて、過去にくりかえし表明したといってできるかぎり薄めようとはかる。4つのキーワードをどうにか組み込むことに成功したが、そのキーワードのもつ意味をほとんど理解不能なまでに弱め、もはやキーワードではなくなってしまった。冗長なだけで、歴史的文書としては意味をなさなくなってしまった。
 最後の最後に、「積極的平和主義の旗を高く掲げ」と宣言している。アメリカ軍と一体になって自衛隊が集団的自衛権行使の旗のもと「これまで以上に貢献してまいります」という意味だ。戦後70年談話というより、新たな戦前談話となるものだ。
 歴史の検証には全く耐えられない談話だ。
  
 
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