山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

柳瀬式記憶調整法うまくいったように見えたが

2018年05月13日 09時20分11秒 | Weblog
 「記憶の限りでは会っていない」を1年間くり返してきた棚瀬唯夫元首相秘書官。ずっと記憶喪失状態だったのに、自民党と調整して記憶がよみがえった。
 そもそも記憶は調整したら蘇えるものなのか。記憶喪失はなはだしい私などは、呼び戻すための柳瀬式記憶調整法を知りたい。『柳瀬式記憶調整法』を出版したら、老人にはバカ受けになること間違いなしだ。
 柳瀬さん、参考人質疑の弁舌さわやかなことおどろきだった。苦渋に満ちた応答をするのかと思いきや、その記憶は細かいことに及んでいる。調整がうまくいって、つぎつぎ思い出したようだ。さすが東大卒高級官僚。50回も証言拒否をした佐川証人と違い、罪に問われないこともあり、自民党や官邸と詳細な調整をしただけあってよどみがなかった。

 加計関係者がメインテーブルに3人座り後ろに随行者で計10人くらいだった。愛媛県・今治市関係者がいたかどうかわからない。名刺もない。主に発言したのがメインテーブルの加計関係者、とくに吉川康弘元東大教授が話し、あまり話さなかった人は記憶からだんだん抜けていった。首相という言葉は使わないので「首相案件」には違和感がある。安倍首相から指示を受けたり報告したりしたことは一切ない。

 だがそのよどみない答弁に、愛媛県中村知事がカウンターパンチをくらわした。
 4月2日の人数は6人で全員メインテーブルで県職員3人は右側に座った。名刺交換し、現物がある。県職員は積極的に発言した。子どもの使いではない。吉川元東大教授は出席していない。総理という言葉は地方では使わない。首相案件と総理案件は同義語だ。

 流暢とも思える柳瀬氏の答弁のほとんどが崩れた。残ったのは首相に報告したことはないという秘書官の行動としてはありえない答弁だ。2017年1月20日に初めて加計の応募を知ったという安倍首相の虚偽答弁を防御する最後の防波堤だ。23の国家戦略特区で300近い認定業者がいるが、柳瀬氏が会ったのは加計学園だけだ。安倍首相が別荘に呼ぶ親友の案件で会った報告を一切しない、しょっちゅう夜の食事を首相とともにする秘書官がゆったりした場面でも一切しゃべらなかったというのはありえない。絶対ウソだ。橋本龍太郎首相の秘書官を務めた江田憲司衆院議員は「総理秘書官は総理大臣と一心同体だ。許認可や補助金の対象業者と会うと、それは総理に類が及び、疑念を招く。その常識をくつがえしてまで会ったということは、やはり総理大臣が政務秘書官、首席秘書官からのしじがあったとしか考えられない」と述べている。当然報告はする。

 柳瀬元秘書官が「報告していない」、安倍首相が「報告は受けていない」といっている限りは、防波堤は崩れない。もしこれが裁判だったら、柳瀬氏の証言は信ぴょう性がないとして、「報告していない」との証言は証拠能力がないとされるのは必至だ。だがこれが裁判ではないので実に歯がゆい。口裏合わせが成り立っている間はウソが堂々と通用する。
 総理大臣の名代である秘書官には誰でも会えるものではないと常々言われている。ところが柳瀬氏は、アポイントがあれば時間の許す限り誰とでも会うと国会で公言した。そこで「日刊ゲンダイ」がアポイントを取ろうとしたが門前払いだったそうだ。
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