山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

入学共通テストの「英語民間試験活用」中止せよ

2019年09月16日 13時25分49秒 | Weblog
 2020年度からの大学入学共通テストで英語だけ外部民間業者丸投げでやるという文科省のやり方が、いよいよぬきさしならぬ問題をはらんでいることが、大学側、高校側から指摘されている。今日の「朝日新聞」の調査でも、共通テストで「英語民間試験」を活用することに問題があるが、高校で89・1%、大学で65・4%にも達している。近づくにしたがって、反対がふえている。
 英語の「読む・聞く・話す・書く」の4技能を評価できる7種類の民間の英語試験を現在の高校2年生が3年になった4~12月までに受けて、2回までの成績が大学に送られて合否判定に使われるというのだが、様々な問題が指摘されてきた。「各試験間の成績の公平性が担保できない」「希望の生徒が全員受験できない」「家庭の経済力が影響する」「入試のほかに複数回の英語試験費用がかかる」「地域格差が広がる」「大学での活用方法がばらばらでわからない」「高校の授業が民間試験向けに変質する」「塾や予備校により通うようになる」
 指摘されている問題の核心は、「試験の公平性が確保できない」という点につきる。7つの試験を一つの物差しに統一することは絶対できない。マラソンのオリンピック代表選出について、かつていくつかのレースの成績を評価して決めていたが、一つの物差しに統一することは不能で、激しい批判、不満を呼び起こしてきた。試験間の公平性だけでなく、地域格差、家庭格差がその土台に横たわり、激しい不公平をつくりだす。地方やへき地など不利は明らかだ。
 7月25日、全国高校校長会が「先が見通せないほどの混乱状態だ」と文科省に異例の申し入れをした。
 今日の「朝日」に載った文科省の回答がふるっている。「家計や地域による受験機会の格差などを心配していることがわかった」「丁寧な説明に務めつつ、実施団体や大学に要請を続け、受験生の不安を減らしたい」だと。なだめて不安を減らす。試験の最も大事なのは公平性だ。そこに穴が開いていると指摘されているのに、不安を減らすとの回答は人を馬鹿にしている。安倍首相が強行採決の後にしっかり説明したいというのに似ている。
 そもそもこの「改革」は経済界からの強い要望によるものだ。日本の英語教育ではしゃべれないではないかと。でも有名企業の経営者はみな英語を流ちょうに操っているではないか。その気になって訓練すればできるようになるのだ。それは英文法を土台にした英語教育があったからだ。会話が必要な人はにわか勉強をすればいい。あらかじめ、だれでもいつでも英会話ができなければならないのか。外人客が増えた黒門市場では店員さんが、必要の範囲で英語をあやつっているではないか。必要は会話の母だ。ひるがえって、数学の力を日本人皆が建築設計などの仕事でいつでもつかえるレベルにすべきだろうか。それは無理だ。それぞれ学力をつけた人がその分野にすすめばいいのだ。
 英文法を土台にした日本の英語教育は間違っているのか。土台、柱をはずして、英会話教育に横滑りさせるべきなのか。そんなことをしたら英語力は崩壊するし二度と立て直らない。言語の構造が違う日本語と英語、それをつなぐ文法的理解がなければ学校を出た後の英語力の構築もできない。そのもっと土台になるのが国語力だ。文科省は財界の要求に押されて、国語教育も変質させようとしている。「ハズキルーペなしでは契約書も読めなーい」と国語教育を契約書読解レベルに陳腐化しようとしている。
 教育「改革」というやつは反省なしに勝手にどんどんやるものというのが決まりのよう。新自由主義と歴史修正主義の結合した権力のやることには
ひとときも気を許してはならない。
 
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