山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

山出保『まちづくり都市 金沢』(岩波新書)を読んで大阪を考える

2019年04月16日 17時28分10秒 | Weblog
 昨日、川口さんの追悼文集の打ち合わせに上六に行ったついでに、近鉄で、金沢市長を長く務めた山出さんの本を見つけ読んだ。金沢の街づくりについて書いた本だ。山出さんは保守の政治家だが、立派な見識を持っていることに敬服した。
 思いつくままに感想を書いてみたい。
 山出さんは、北陸新幹線開業によって賑わいがでたことを喜びつつ、負の側面をしっかり指摘する。交通混雑・渋滞と観光マナーの問題だ。もうけ本位の外部資本のふるまいも問題にする。北海道の企業家9条の会の内山さんも、小樽が観光客であふれているが、外部資本の店が大量に利益を吸い上げ、本社が他所なので税金が小樽に納入されない問題を指摘していた。せいぜいアルバイトの人数が増えたことによる貢献くらいだと。山出さんは、近江町市場で地元の人が買い物がしにくくなったという弊害を指摘し、観光にかかわるすべての人に「自制の論理」をよびかける。金沢では、持続可能な観光のために、宿泊税を導入したこと、民泊新法(2018・6)にあわせ、民泊業ができる場所や営業日数を制限する条例をつくった。住宅専用地域での平日営業禁止している。単に儲かればいい、客が増えればいいという姿勢はとらない。立派だ。大阪では、5,6年も前から、宿泊施設のない地域でキャリーバッグを引くアジア系の人がいっぱいいた。勝手に民泊だ。
 北陸新幹線沿線地域で魅力的なまちづくりをしている自治体を紹介している。そのなかの長野県小布施町は「価格を競わない」「文化のクオリティの高いもので競いあう」ことをモットーにしているそうで、「知的な刺激が洗練された雰囲気をつくり」心を引き付けるのだという。
 おもしろいのが街づくりのコンセプトの違いだ。日本中、大きな街の駅周辺で、高架橋や地下道がつくられた、しかし金沢はちがう。その象徴が金沢駅だ。金沢駅といえば鼓門(つづみもん)。「世界で最も美しい駅」4駅のひとつにも選ばれている。金沢駅では、改札を出たら迷わずまっすぐ、街なかに歩いていけるようにしたのだ。特定の設計者はおかず、専門家会議で議論をかさねて16年で完成にこぎつけた。全国を席巻している駅前モデルを排したところがおもしろい。駅周辺は広告物の設置が最少減に抑えられている。これが街づくりでのポイントだ。
 近江町市場の再開発も興味深い。高層ビル案が何度も出たが、山出市長は「身の丈に合った整備に変えよう」と呼びかけた。再開発=高層ビルという既成概念にとらわれず、身の丈に合った低中階層開発があっていいと。これはいい。地方のプチ権力者が自分を誇示するために巨大ビルを建てたがるが、それを退ける姿勢がいい。
 山出は、街づくりにおいて、保存すべき区域と開発すべき区域の二つを明確に区別すべきだ、この両者が混同されたら、金沢の街の個性も魅力も失われるという。われわれが思い浮かべる金沢はみな保存すべき区域に入る。すでに1968年に、金沢は全国で初めて、伝統的な環境の保存を定めた条例をつくった。なんか日本のバルセロナのような街だ。金沢城・兼六園に近い石川県庁移転に際し、跡地にホテルをとかマンションをという声が出たが、庁舎の一部を残し迎賓館とし、そのほかは緑地として整備した。「何もつくらないことが見識」と山出はいう。結果、金沢城・兼六園・旧県庁・四高跡・21世紀美術館が広大な自然・文化ゾーンとなって金沢の魅力の中心を形成している。
 金沢大学付属幼・小・中学校の移転跡地につくった21世紀美術館について、現代美術館にとの案に、市民からは伝統の街に現代美術は似合わないとずいぶん批判が寄せられたが、歩いて10分の県立美術館は伝統的本格美術館だからと市民に理解を得た。それがいまや世界から注目を集める「金沢21世紀美術館」だ。
 ここでの注目点は、歩いて10分の所に県立と市立の美術館が並立していることだ。大阪の維新政治のもとではありえない。二重行政の無駄だとやり玉にあがること間違いない。なにしろ府立図書館は東大阪市にあるのに、大阪市立図書館は二重行政で無駄だ、廃館にすると橋下市長はわめいた。200万冊も収蔵する図書館をいらないという野蛮はさすがに通らなかったが。だが府立の国際児童文学館はつぶされた。世界でも稀有な漫画を含む児童文学館がもし存続しておれば、世界への日本文化の発信基地として存在価値を増しただろうに、野蛮な維新府政の犠牲になった。住吉市民病院は2キロのところに府立病院があるといって、廃止した。住吉は産科が中心で必要があって存立してきたのに、有無を言わさず廃止する。金沢の見識と大阪の野蛮。大阪の伝統文化といえば大阪発祥の文楽だが、維新橋下はこれをバカにし、補助金を大幅に削って締め上げた。金沢ではオーケストラ・アンサンブルを設立し、音楽堂もつくった。大阪市は市立音楽団に対し、その価値を認めず支援を打ち切った。金沢では旧大和紡績工場レンガ棟を金沢市民芸術村として再生させ、若い音楽・演劇家の練習・発表の場として格安料金で提供している。前田利家が文化芸術を保護したように、現代の金沢は芸術家の卵を育てる施策を展開している。大阪では維新知事が登場した10年前、真っ先にやったのは、府立青少年会館の破壊だった。青少年会館は中高校生・青年が安い料金で文化芸術を発表できる場として重宝されていた。それをつぶすのが維新政治の幕開けの政策だった。まさに青少年の文化破壊から始まった。跡地は売り払われた。
 山出はいう。「効率化や合理化を理由に、施設の廃止や統合・再編は、安易にすべきではありません。優れた施設がゆかりの地にいくつかあることが、まちに魅力をもたらす契機になります」「施設は、為政者の恣意や偏見によってつくるものではないはずです。あくまでも市民の意見を尊重し、学識者、専門家の意見も聴きながら、立地とその整備の過程で絶えず市民の納得を求めていく謙虚な姿勢が大切でしょう。」全くその通りだ。大阪の維新政治家に聞かせてやりたい。聞いても理解する能力を持たないだろうが。
 山出さんは、市民と職員の関係でも傾聴に値することをいっている。「職員一人ひとりのスキルを高める研鑽を怠らず、合わせて多様な市民ニーズをしっかり見定め、たくさんの選択肢から取捨するとき、専門家の意見は貴重です」「質の高いまちづくりには、職員一人ひとりに知性と磨かれた感性が必要なことはいうまでもありません。」職員の知性と感性、研鑽の重要性を言う。ここには職員の力を引き出す信頼がある。大阪維新の橋下氏はかつて、職員は勝手に市民の意見を聞くな、職員は民意を語るな、市長のいうことが民意だと命じた。知性と感性をみがいて、市民の声を聴いて政策提言することを厳しく禁じた。選挙で多数の票を得た、すなわち民意を得た市長の口から出る言葉が民意だという。なんということだ。選挙の後は、独裁ということだ。
 山出さんの金沢の実践の総括的文書を読んで、その精神、まちづくりの基本に感動を覚えた。それに比べて大阪の政治を席巻している維新のやってきたことはなんだ。
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