山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

麻原死刑執行、上祐記者会見。ろくに質問追究しない記者の責任

2018年07月06日 10時33分02秒 | Weblog
今、元オウムの上祐氏の記者会見を見ていて、違和感、不満がたまった。上祐氏といえば「ああいえば上祐」という標語が一世を風靡したように、オウムの広報担当として犯罪はなかったという隠ぺい工作、世論操作の先頭に立っていた。今日の10分の記者会見では、自らの犯罪責任を述べることなく、自分と「ひかりの輪」集団は麻原と縁を切り、今も麻原を信仰する「アレフ」への脱会工作をしているといった。また被害者団体への賠償をしているといった。これだけ聞いたら、上祐にころっとやられてしまうところだった。たしかに反省の上に行動しているのだろうが、大規模凶悪犯罪で直接殺人行為はしていないとしても、それを擁護し、犯罪を隠蔽する活動をすすめた己の過去を何ら語ることなく、今は脱会工作と賠償をしていると宣伝をした。あっというまに会見は終わった。ちょっと待ってという声もなし。上祐氏は時間を持て余したような感じで会見を終わった。
 最初に麻原死刑執行へのコメントを読み上げた後、質問があれば、と上祐氏がいっても、質問は出なかった。えっ、記者は何してるんだ、と思った。画面で見る限り、周りは10台以上のテレビカメラが取り囲む中、パソコン入力に必死の記者は機敏に反応しない。ようやく質問があったのだろうテレビでは聞こえなかったが、上祐が答え、今は縁を切り、脱会活動をし、賠償にとりくんでいるということをいった。もういちど同じような質問があったのか、上祐は同様の答えをした。もう突っ込む記者はなしだ。賠償しているというなら、いつ、どうれだけ、どのように、いつまで、賠償の範囲はなど聞くべきではないか。脱会工作も突っ込んで聞くべきだ。その前提として、上祐自らの責任問題を問うべきだ。当時の自らの役割と犯罪との関係、麻原らとどういう関係だったか、広報担当として麻原らとどんな打ち合わせしていたのかなど、つぎつぎと問い詰めるべき、貴重な会見の場だった。せっかく出てきたのだから、ちゃんと迎え撃つべきだった。だが、質問は続かず、静かに終わった。
 法務省記者クラブ(おそらく)の面々は、どういう人たちなのだろう。ジャーナリストとしての責任感にかけるといわざるをえない。パソコンに入力するのがジャーナリストの第1の任務か。録音しといたらいい。神経張りつめて追及するのが仕事じゃないのか。各新聞、テレビ局の責任が問われるあわれな記者会見だった。
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