外国ワインの輸入増大が目立ち出したのは1980年代後半ころ。関税の引き下げ、酒税法の改正、円高による貿易品目の変化などで、さまざまな産地から特色あるワインがたくさん入ってきたこともあって、ワイン愛好家の裾野が広がるとともにニーズも多様化しました。百貨店などの売り場でも、輸入ワインの占有率がどんどん大きくなったのは言うまでもありません。 このような中で、ワイン通と呼ばれる方々から下に見られていた国産ワインは、外国のワインと明確な違いを持つこと、日本固有の品質を前面に打ち出すことで世界のワインと勝負しようと努力してきました。 さまざまな苦難を乗り越え、近年では外国でも日本料理の素晴らしさを理解してくれる方が増えたおかげもあって、「日本料理には日本のワインを…」 との要望が高まってます。1月には晴れてEUに販売用として輸出されるまでになりました。 日本のワインに携わってきた皆さん、日本のワインを応援して下さった皆さん、ようやくここまで来ましたね。並大抵の努力ではなかったでしょう。 ・ 酒屋になりたてのころ、ワインの勉強をしていた時に見つけた写真です。 明治10年(1877年) 秋、正しい葡萄の栽培法と正しいワイン造りを学ぶため、高野正誠(25歳)と土屋龍憲(19歳)が、シャンパーニュ地方の南、オーブ郡トロア町の ピエール・デュポンの指導を受けました。 葡萄の苗木づくり、醸造・貯蔵の技術、気象条件、土壌にいたるまで貪欲にワインに関する知識を得ることに専念し、1年7ヶ月後に帰国・・・ (メルシャン・ワインコムより) 彼らの努力が勝沼ワインの基礎となり、のちの国産ワインの発展に大きく貢献したそうです。なんだか心に沁みる写真ですよね。 その偉大な先人の功績をたたえ、勝沼ワインのボトル肩部には二人をデザイン化した装飾が施されています。 上の写真と見比べてみると… ああ、なるほどって思いますなぁ。 これは丸藤さんの甲州シュール・リーのボトル。 日本の代表品種「甲州」で醸した風味には、国産ワインが歩んできた歴史が凝縮されているのでしょう。