長閑な風景を見ながら鹿島神宮へ向かう。
この鹿島神宮は全国でも名が知られた有名な神社で一宮。
しかも私が敬愛する春日大社の御祭神である武甕槌大神は、
藤原永手が勧請したもの。
大阪の枚岡神社と同じく元春日といえる神社です。
ここと意外にも知られていない元春日である香取神宮は、
今回の旅で絶対に外せない憧れの神社でございます。
早く到着したくて51号線をついつい飛ばしてしまう。(^^;
鹿島神宮に近い北浦にかかる神宮橋を走っていると、
水上に大きな鳥居が見えた。
写真は撮れなかったが、あれが一之鳥居で、
水上の鳥居としては日本一大きい鳥居だそうです。
参拝後に近くに行く予定であったが、
香取神宮を参拝する時間を多く取りたかったので回避。
いつの日になるか分からないが次回は是非近くで見たいと思う。
所在地:茨城県鹿嶋市宮中2306-1
御祭神:武甕槌大神
創建:(伝)初代神武天皇元年
社格:式内社、常陸国一宮、官幣大社、勅祭社、別表神社
【由緒】
鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。
神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、
武甕槌大神の韴霊剣の神威により救われました。
この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神を、
この地に勅祭されたと伝えられています。
その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、
やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、
また奉幣使が頻繁に派遣されました。
さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。
中世~近世になると、源頼朝、徳川家康等、
武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。
現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、
楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、
いずれも重要文化財に指定されています。
【大鳥居】
いよいよ到着しました。
さすがに人気の神社だけあって駐車場探しに苦労する。
しかし、何とか有料駐車場(500円)を見つけて参拝開始。
この鳥居は平成26年(2014年)再建されたものですが、
以前の鳥居は東日本大震災により倒壊したそうです。
東日本大震災は茨城県でも甚大な被害が出ていたんですね。
【稲荷社】
【楼門】
寛永11年(1634)水戸徳川初代藩主頼房公により建立されたもの。
重要文化財。
【拝殿】
渋い拝殿です。
元和5年(1619)徳川二代将軍秀忠公が寄進したもの。
重要文化財。
それにしてもお参りするのに一列になって並ぶのは止めませんか?
もっと横に4列ぐらいで参拝すれば、
スムーズに参拝出来るのに。
【宝物館】
国宝や重文の太刀が見れるとあって拝観しました。
刀が好きな方は拝観しましょう。(^^
【本殿】
こちらも元和5年(1619)徳川二代将軍秀忠公が寄進したもの。
重要文化財。
【高房社】
摂社。
建葉槌神が御祭神です。
【仮殿】
元和4年(1617)社殿造営の為に徳川2代将軍秀忠公が建立したもの。
【神庫】
【奥参道】
ここは春日大社の参道の雰囲気に似てました。(^^
毎年5月1日には流鏑馬神事が行われるそうです。
【鹿園】
やっぱり鹿がいないとね。(^^
でも放し飼いではありませんでしたね。
【熱田社】
御祭神 素盞鳴尊・稲田姫命
明治以前は七夕社と呼ばれていたそうです。
【奥宮】
広い境内ですから、かなり遠いのかと覚悟してたけど、
本殿から約300メートルぐらいの距離に鎮座していたので助かった。(^^;
奥宮は慶長10年(1605)に徳川家康公が、関ヶ原戦勝の御礼として、
現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、
その14年後に新たな社殿を建てるにあたり現在地に遷してきたもの。
【御手洗池】
昔は参拝する前にこの池で禊をしたそうです。
エサやりが多いのか結構肥えてる鯉が多かったです。(笑)
【大黒社】
【御朱印】
御朱印は二種類ありました。
とても雰囲気の良い神社であった。
一之鳥居や要石等が見逃しているので、
いつの日かまた訪れたいですね。
一つ疑問なのが、何故春日大社の御祭神は、
鹿島神宮より勧請されたのであろうか。
古代のこの茨城県の地に凄い豪族とか居たのだろうか。
そもそもそんなに当時は人が住んでいなかったと思うし。
普通に考えたら大和国から常陸国という流れなら、
しっくりくるんだけどね。
その辺りの事を知ってる方がいたら教えてください。
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