臨済宗の徳源寺の次は曹洞宗の永平寺名古屋別院へ。
この道は山門前の桜通で、名古屋にはこのような広い道が多い。
だから走り易いと思っていたが、
とんでも無い道に遭遇して焦った。
それがこんな道。
これはネットで拾った画像ですが、
右車線を見ておかしいと思いません?
普通右折車は必ず右端ですが、
この道では右折レーンが真ん中より二つ目になっているんです。
名古屋のバスが走っている大通りでは、
こんな訳の変わらん道が存在しています。
この着色された右端のレーンはバス優先道路みたいだけど、
他の地域だとバスの優先道路は左端のレーンです。
さすが名古屋、まさしく我が道を行くといった感じですね。(苦笑)
今回初めてこんな道に遭遇したのでマジで戸惑う。(^^;
それで恐る恐る真ん中の右折レーンで待っていると、
左右のレーンをビュンビュン飛ばす車がいて怖かったわ~。
しかもバス優先レーンを飛ばしている車が多くて、
さすが運転が荒いことで有名な愛知県です。(苦笑)
大阪の和泉ナンバーの車も運転が荒いことで有名ですが、
名古屋に住んだことのある知人曰く、愛知県は特別だそうです。(苦笑)
ふぅ~、永平寺名古屋別院に参拝して心を落ち着けて整えよう。
所在地:愛知県名古屋市東区代官町41-32
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:文政4年(1821)
開基:徳川斉朝
開山:瑞岡珍牛禅師
【縁起】
文政4年(1821)に尾張十代藩主徳川斉朝公が、
瑞岡珍牛禅師に帰依し、隠居所として建立された慶雲軒に始まり、
境内地は七代藩主宗春公が隠居した御下屋敷の一角である。
瑞岡珍牛禅師は永平寺五十世玄透即中の提唱した古規則の復古を
推進した高僧で、二世は弟子の黙室良要が就き、
尾張徳川家の祈願所として基礎を固め、慶雲軒を尾張の曹洞宗教学の中心地とした。
三世円爾は寺号の取得に努め、永平寺五十七世戴庵禹隣を勧請開山として、
永平寺直末となり護国院を公称、安政3年(1856)には永平寺六十世臥雲童龍によって、
四門首の次席につぐ格式に序せられ、珍牛禅師の法孫によって法燈が継承されていました。
しかし明治初年に尾張藩主徳川家よりの財政援助が無くなり疲弊しましたが、
門内大英が復興に努め、承陽大師遥拝所の称号を本山より賜り、
東海地区の中心寺院として再発足することになりました。
昭和20年(1940)戦災の為全山消失し、直ちに再建に着手したが、
資金枯渇により頓挫。
そこで永平寺熊沢泰禅は昭和33年(1958)に永平寺別院として昇格させ、
本堂、庫裏を再建、不老閣を某旧家より移築、
次いで開山堂、座禅堂等の伽藍が整備され、別院としての景観を整えました。
現在は座禅会、写経会や会社の研修会等に寺院を解放し、
一般の方々との交流を深めています。
【山門】
平成17年(2005)に建立されたもので立派なものです。
境内に車を停めることが出来ました。
【寺紋】
【本堂】
とても立派な本堂です。
平成28年(2016)に再建されただけあって、
ピカピカで大変綺麗ですね。(^^
参拝した時は知らなかったけど、
地下室もあるようです。
多分納骨用だと思います。
【内陣】
簡素だけど貧乏臭く無いのが曹洞宗らしい。(^^
御本尊様も曹洞宗らしく小さなものです。
こちらも新しく感じました。
【一葉観音】
【白山社】
今年こそは白山に登拝するぞ。
【十三重石塔】
【舎利塔】
【地蔵尊】
【宝篋印塔】
【桜】
まだ早かったです。
【御朱印】
若い雲水さんの案内で別室に通され、
お茶菓子までいただきました。
とても素晴らしい振る舞い、対応をしてくださったので、
御朱印代は500円にさせていただきました。
決してお菓子を貰ったからでは無い。(笑)
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