先日嵯峨野に行った際は参拝出来なかった清涼寺へ。
天龍寺から徒歩で行ったけどちょっとしんどかった。(^^;
所在地:京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
宗派:浄土宗
御本尊:釈迦如来(国宝)
創建:寛和3年(987年)
開基:然
札所:京都十三仏霊場2番
【由緒】
中国・宋に渡り五台山(一名、清凉山)を巡礼した東大寺出身の僧・然は、
宋へ渡航中の985年台州の開元寺で現地の仏師に命じて
1体の釈迦如来像を謹刻させた。
その釈迦像は古代インドの優填王が釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたという
由緒を持つ霊像を模刻したもので実は模刻像と霊像とが入れ替わったとする
縁起を持つため、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから
「三国伝来の釈迦像」と呼ばれている。
然は永延元年(987年)日本に帰国後、京都愛宕山を中国の五台山に見立て、
愛宕山麓にこの釈迦像を安置する寺を建立しようとした。
然は、三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで、
南都系の旧仏教の都における中心地としようとしたものと思われる。
都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる清凉寺を建立することで、
相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした、
という意図が込められていたとされる。
しかしその願いを達しないまま長和5年(1016年)然は没した。
遺志を継いだ弟子の盛算が棲霞寺の境内に建立したのが五台山清凉寺である。
【仁王門】
安永6年(1776)再建。
実に威風堂々とした山門で楼上には十六羅漢を祀られている。
【仁王像】
【本堂】
元禄14年(1701)に再建されたもの。
御本尊の釈迦如来が祀られています。
いつ見ても感動ものである。
残念ながら撮影禁止でした。
【一切経蔵】
一切経をおさめた輪蔵があります。
【愛宕権現社】
【多宝塔】
【阿弥陀堂】
嵯峨天皇の第12皇子・源融公の没後、遺族が建立したとされる。
【鐘楼】
【豊臣秀頼公首塚】
1980年大阪城の京橋口三の丸跡から地中深く埋葬された頭蓋骨が発見され、
調査の結果秀頼のものと推定され1983年清涼寺に秀頼公首塚が建てられ納骨。
発見された場所では隣に愛馬太平楽と思われる馬の遺骨も残っておりましたが、
その頭蓋骨が秀頼公であるか真贋は定かではありません。
しかしこの首塚には遺骨が眠っているのは間違いありません。
【薬師寺本堂】
御本尊の薬師如来像を祀る本堂です。
8月24日の地蔵盆当日のみ開扉されます。
弘仁9年(818)に嵯峨天皇の勅命により弘法大師空海が刻んだ
薬師如来像を祀る寺として創建。
寛永年間に大覚寺の宮である尊性親王によって再建。
明治時代に入るまで大覚寺派でしたが現在は浄土宗知恩院派に属します。
清涼寺の境内にあるので清涼寺のお堂かと思ってましたが、
独立した寺院だそうです。
ややこしい。(^^;
続きは後日に。
紅葉が綺麗でしたぞ~。
天龍寺から徒歩で行ったけどちょっとしんどかった。(^^;
所在地:京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
宗派:浄土宗
御本尊:釈迦如来(国宝)
創建:寛和3年(987年)
開基:然
札所:京都十三仏霊場2番
【由緒】
中国・宋に渡り五台山(一名、清凉山)を巡礼した東大寺出身の僧・然は、
宋へ渡航中の985年台州の開元寺で現地の仏師に命じて
1体の釈迦如来像を謹刻させた。
その釈迦像は古代インドの優填王が釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたという
由緒を持つ霊像を模刻したもので実は模刻像と霊像とが入れ替わったとする
縁起を持つため、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから
「三国伝来の釈迦像」と呼ばれている。
然は永延元年(987年)日本に帰国後、京都愛宕山を中国の五台山に見立て、
愛宕山麓にこの釈迦像を安置する寺を建立しようとした。
然は、三国伝来の釈迦像をこの嵯峨の地に安置することで、
南都系の旧仏教の都における中心地としようとしたものと思われる。
都の西北方にそびえる愛宕山麓の地に拠点となる清凉寺を建立することで、
相対する都の東北方に位置する比叡山延暦寺と対抗しようとした、
という意図が込められていたとされる。
しかしその願いを達しないまま長和5年(1016年)然は没した。
遺志を継いだ弟子の盛算が棲霞寺の境内に建立したのが五台山清凉寺である。
【仁王門】
安永6年(1776)再建。
実に威風堂々とした山門で楼上には十六羅漢を祀られている。
【仁王像】
【本堂】
元禄14年(1701)に再建されたもの。
御本尊の釈迦如来が祀られています。
いつ見ても感動ものである。
残念ながら撮影禁止でした。
【一切経蔵】
一切経をおさめた輪蔵があります。
【愛宕権現社】
【多宝塔】
【阿弥陀堂】
嵯峨天皇の第12皇子・源融公の没後、遺族が建立したとされる。
【鐘楼】
【豊臣秀頼公首塚】
1980年大阪城の京橋口三の丸跡から地中深く埋葬された頭蓋骨が発見され、
調査の結果秀頼のものと推定され1983年清涼寺に秀頼公首塚が建てられ納骨。
発見された場所では隣に愛馬太平楽と思われる馬の遺骨も残っておりましたが、
その頭蓋骨が秀頼公であるか真贋は定かではありません。
しかしこの首塚には遺骨が眠っているのは間違いありません。
【薬師寺本堂】
御本尊の薬師如来像を祀る本堂です。
8月24日の地蔵盆当日のみ開扉されます。
弘仁9年(818)に嵯峨天皇の勅命により弘法大師空海が刻んだ
薬師如来像を祀る寺として創建。
寛永年間に大覚寺の宮である尊性親王によって再建。
明治時代に入るまで大覚寺派でしたが現在は浄土宗知恩院派に属します。
清涼寺の境内にあるので清涼寺のお堂かと思ってましたが、
独立した寺院だそうです。
ややこしい。(^^;
続きは後日に。
紅葉が綺麗でしたぞ~。
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