2月に参拝した六請神社の隣にある真如寺に念願の参拝です。
普段は非公開のお寺ですが、
今日は年に一度の半僧坊大権現大法要で一般開放されるんです。
今日のような法要がなくても、
拝観は3人以上で予約すれば拝観受付けするとのこと。
運良く平日に団体さんの予約があった場合、
一人でも受け付けてくれるそうです。
所在地:京都府京都市北区等持院北町61
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:宝冠釈迦如来
創建:暦応5年(1342)
開山:無学祖元
開基:無外如大尼
【縁起】
無学の弟子で京都尼五山筆頭の景愛寺住職であった、
無外如大尼が無学の遺爪髪を祀るための塔所として正脈庵を築いたのが始まりである。
無外如大尼没後、正脈庵もまた崩壊に瀕していたが、
無学祖元の法孫である夢窓疎石が暦応5年(1342)4月15日に足利尊氏の執権高師直、
尊氏の弟の足利直義の外護を受け、庵を東側に移して寺院として整備し、
この際に無学祖元初住の中国浙江省台州真如寺(現在廃寺)に倣い寺号を真如寺とした。
そして無学祖元(仏光国師)を勧請開山に、無外如大尼を勧請開基とし、
夢窓自身は第二世として入寺した。
扶桑五山記二 日本諸寺次位によると真如寺は十刹次第の第八位に列挙され、
ついで翌康永2年(1343)の重沙汰により第六位、
康暦2年(1380)の重沙汰では第七位に数えられていた。
應永17年(1410)十刹位次では等持寺、臨川寺に次ぐ京都十刹の第三位となり、
塔頭を要するなど、室町幕府の手厚い保護を受けた。
だが、寛正2年(1461)に焼失後、応仁の乱の混乱もあり、寺は一時期廃寺状態となったが、
明應8年(1499)以降、方丈や仏殿が段階的に復興された。
天文4年(1535)に宝鏡寺門跡となった花屋尼長老は、
無学祖元、無外如大尼の深縁を慕い、天正4年(1576年)当寺を墓所として埋葬された。
これ以後宝鏡寺歴代の菩提所となる。
明暦2年(1656)には後水尾天皇によって本格的に法堂が再興された。
大正7年(1918)に鎮守として奥山半僧坊大権現を相国寺山内塔頭より、
境内に遷座するなどをして、現在に至る。
【南門】
関係者用の駐車場しかありませんので、
御注意ください。
【参道】
趣のある良い参道です。
【カキツバタ】
【山門】
【圓通殿】
11時頃から法要が始まり半僧坊大権現が御開帳。
残念ながら撮影禁止でした。
【法堂】
お~、いかにも禅宗のお堂ですね。
こういう普段入れないお寺に参拝出来るのが、
本当に嬉しい。
堂内も当然のように禅宗様式ですね。
【敷島辯才天】
【五輪塔】
【七重石塔】
【敷島辯才天】
こちらにも同じ辯才天が鎮座してました。
【稲荷社】
【表門】
500円を支払って客殿と書院を見学。
【書院前庭】
【扁額】
【屏風】
【西湖図】
【書院前庭】
とても落ち着くいいお庭です。
【備前焼】
【客殿】
こちらでお抹茶をいただくことが出来ます。
【客殿庭園】
【書院】
【書院前庭】
名残り惜しむかのように庭を散策。
【御朱印】
僧侶の方に御朱印帳に書いていただきました。
これにて真如寺の参拝終了。
参拝出来て本当に良かったです。
普段は非公開のお寺ですが、
今日は年に一度の半僧坊大権現大法要で一般開放されるんです。
今日のような法要がなくても、
拝観は3人以上で予約すれば拝観受付けするとのこと。
運良く平日に団体さんの予約があった場合、
一人でも受け付けてくれるそうです。
所在地:京都府京都市北区等持院北町61
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:宝冠釈迦如来
創建:暦応5年(1342)
開山:無学祖元
開基:無外如大尼
【縁起】
無学の弟子で京都尼五山筆頭の景愛寺住職であった、
無外如大尼が無学の遺爪髪を祀るための塔所として正脈庵を築いたのが始まりである。
無外如大尼没後、正脈庵もまた崩壊に瀕していたが、
無学祖元の法孫である夢窓疎石が暦応5年(1342)4月15日に足利尊氏の執権高師直、
尊氏の弟の足利直義の外護を受け、庵を東側に移して寺院として整備し、
この際に無学祖元初住の中国浙江省台州真如寺(現在廃寺)に倣い寺号を真如寺とした。
そして無学祖元(仏光国師)を勧請開山に、無外如大尼を勧請開基とし、
夢窓自身は第二世として入寺した。
扶桑五山記二 日本諸寺次位によると真如寺は十刹次第の第八位に列挙され、
ついで翌康永2年(1343)の重沙汰により第六位、
康暦2年(1380)の重沙汰では第七位に数えられていた。
應永17年(1410)十刹位次では等持寺、臨川寺に次ぐ京都十刹の第三位となり、
塔頭を要するなど、室町幕府の手厚い保護を受けた。
だが、寛正2年(1461)に焼失後、応仁の乱の混乱もあり、寺は一時期廃寺状態となったが、
明應8年(1499)以降、方丈や仏殿が段階的に復興された。
天文4年(1535)に宝鏡寺門跡となった花屋尼長老は、
無学祖元、無外如大尼の深縁を慕い、天正4年(1576年)当寺を墓所として埋葬された。
これ以後宝鏡寺歴代の菩提所となる。
明暦2年(1656)には後水尾天皇によって本格的に法堂が再興された。
大正7年(1918)に鎮守として奥山半僧坊大権現を相国寺山内塔頭より、
境内に遷座するなどをして、現在に至る。
【南門】
関係者用の駐車場しかありませんので、
御注意ください。
【参道】
趣のある良い参道です。
【カキツバタ】
【山門】
【圓通殿】
11時頃から法要が始まり半僧坊大権現が御開帳。
残念ながら撮影禁止でした。
【法堂】
お~、いかにも禅宗のお堂ですね。
こういう普段入れないお寺に参拝出来るのが、
本当に嬉しい。
堂内も当然のように禅宗様式ですね。
【敷島辯才天】
【五輪塔】
【七重石塔】
【敷島辯才天】
こちらにも同じ辯才天が鎮座してました。
【稲荷社】
【表門】
500円を支払って客殿と書院を見学。
【書院前庭】
【扁額】
【屏風】
【西湖図】
【書院前庭】
とても落ち着くいいお庭です。
【備前焼】
【客殿】
こちらでお抹茶をいただくことが出来ます。
【客殿庭園】
【書院】
【書院前庭】
名残り惜しむかのように庭を散策。
【御朱印】
僧侶の方に御朱印帳に書いていただきました。
これにて真如寺の参拝終了。
参拝出来て本当に良かったです。
うーん。まだまだ、修行不足です。何かきっかけがあれば、興味も持てるんだろうなぁ。えーと、枯山水、は、本で読みました!
庭ですか?
ブログなたまに書いてますが、
私はそんなに庭には興味かありません。
ただ、それでも良い庭だなぁと思うこともあります。
人それぞれの好みを重視していけば、良いのではないでしょうか。