『川又南岳の宇宙展』 Ⅱ
この展覧会場、中央に八角堂を模した様にパネルが組まれて、内側は『魁』の書と大皿で構成されている。南岳さんにとって、昨年を象徴する字は『魁』だったのだろう。
陶板に書かれた『笑』等の額が13点で、今回の展覧会では特に目に付く。
川又さんの、あらゆる素材に書いてみる。の姿勢がみえる。
軸装の書が6本、額装の書が9点などで『川又南岳の宇宙』を表現している。
12日の夕方、フランス人の記者とカメラマン、通訳が会場を訪れ川又さんをインタビュウしていた。一部を立ち聞きした程度だが、外国人と日本人の『文字』に対する考え方が、かなり違うと、認識を新たにした。
ヨーロッパ人から見ると、文字は意思を伝達する手段。文字を装飾して描くカリグラフィーも有るが、中国の或いは日本『書』のように意義は持たないのだろう。
記者は『魁』という1文字を多様にいくつも何故書くのか?今まで沢山書いた1文字は何という字か?4㍍×4㍍のような大きな字を書くのは何故か?
他に書く人がいるのか?
次々と、沢山の質問を浴びせた。
南岳さんが回答を述べても、通訳を通してフランス人の記者に真意を理解してもらうのは難しそうと思った。通訳や記者がそれなりの知識が無ければ無理だろうし、もし僕がそれらの回答をしようとした際に、それらの事を考えてみた経験が無い。
ということが分かった。
近頃、書にいくらか興味を持ち始め、なるべく《墨と筆で和紙に字を書く》ことを心がけているので、興味有る遣り取りだった。
もともと文字を持たなかった日本人が、漢字と出会い中国の文字で中国の文章を書く能力をつけて後、漢字の音を借りての当て字表記となり、仮名の表記法を得て、日本独自の文字を持つようになった。漢字のみ、漢字と仮名交じり、かな文字のみの多様な表現手段の中で、見た目の装飾と同時に、文字のみで精神的な表現も可能にした。
これは、世界に誇る日本の文化だと思う。
対話を脇で聞いて、字を書くことの意義を感じ、もっと大切にしなければと反省した。
エビネンコ氏と東海ステーションギャラリーの『関南沖展』を観てきた。
初日は混雑していたが、今日は、細かい点まで観る事ができた。
水戸と東海の師弟の競演、日本独自の文化『書』を考える大きな機会だと思った。