無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

江戸しぐさ

2006-11-15 00:01:23 | 社会
明治時代に、日本を訪れた外国人が、日本人は品格が高いと驚いたと言う。
昔の日本人は、全てが学校へ通えた訳ではない。
家庭が、きちんと教育の場でもあったからだ。

庄内地方には、鶴岡市と酒田市とがある。鶴岡は酒井公の城下町で、致道館と言う藩校があり、武士達はここで学んでいた。明治大正になっても、その歴史を受け継いで、学問を受けるなら鶴岡へと、若者は集まった。ある時の卒業写真を見ていると、酒田のエジソンと呼ばれた人間や、世界的な数学者になった人間が、偶然にも同級生だったりする。

酒田は湊町で、商人の羽振りは大きかった。城も酒井公に属する亀ヶ崎城こそあったが、町民の自治が盛んで、学問に重きをおかなかった。不思議に酒田には女子高校が多いのは、ちゃんとした家に嫁にやるには、学問を受けさせ、子供の教育や家人の世話の出来る、女将としての教育が必要だったからだ。職人だった私の曾祖父は、息子達には仕事をして家族を養う様にと職人にさせ、娘達は女学校へ通わせた。現代だったら、到底考えられない事だ。

インターネットで、江戸仕草と言う物が見つかった。江戸の稚児の段階的養育法もあるのだが、昔どこかで聞いたような気もする。最近では、幼稚園や小学校で、行儀作法の教育を取り入れている所もある。オトナになった私でも、もう一度しっかりと学んでみたいと思うほどだ。

三つ心:三歳までに人間の心の糸をしっかり張らせる。
六つ躾:六歳までに躾を手取り足取りまねさせる。
九つ言葉:九歳までに人前でお世辞のひとつも言えるくらいの挨拶が出来るようにする。十二文:十二歳には一家の主の代書が出来るようにする。
十五理で末決まる:十五歳で森羅万象が実感として理解できるようにする。

参考:商人道「江戸しぐさ」の知恵袋 越川禮子著 講談社+α新書
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