無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

檜山安藤(安東・安倍)の山城跡へ

2024-05-07 11:35:40 | 歴史


非常食用のアンパン、コーヒー牛乳、幾つかの果物を車に詰め込んで、朝6時に北へ向けて出発する。
カーナビと携帯のGoogleアプリがあれば大丈夫と思っていたら、この2つが全く違う方向へ行けと言う。
特に象潟IC付近で、カーナビがグルグル回りだした。

まぁ、目指すは能代なので体制に影響はない。



能代城を目指すと思っていたらそんな物はなく、正式は檜山城だった。
檜山安藤と自分も言っていたではないか。

石垣の上の山吹の黄色に見とれていたら、前方左に檜山城への登り口があった。





何故、今檜山安東の城を訪れたのかと言うと、この檜山安東は日本海交易に重要欠かせない武士だった。
酒田湊の歴史を辿ると、交易には相手側がいる。最も檜山安東の方が酒田よりも早く日本海ルートを牛耳っていた。
酒田市砂越にある砂越城とも、この檜山安東は繋がっていて、砂越城の姫君が嫁入りした先でもある。





まずは本丸を目指して山道を走る。


平たい所に出たが、ここが何なのかが解らない。


塚が建っていた。


周りは堀切と呼ばれる山の斜面を削って、段々にしたものが周りに位置している。



平らな所には武器や武士を配置し、切り立った壁を設けることによって、攻めにくくしている。


それが至る所に配置されている。
地形を有意義に利用した、戦国時代の山城なのである。



西に目を向けると高台があった。


石碑が建っていたが、これは皇室の殿下が訪れた事を記念する物だった。
歴史上の碑ではない。



能代の町と日本海が見えた。






遠くに見えるのは北神山地である。


























階段がついていたので登ってみる。


中央が一段高くなっている。建物があったのだろうと思われる。





長谷堂城の戦いの山城も面白かったが、ここは複雑な地形をうまく利用した城だと思う。











古寺方面





秋田名物に檜山納豆が有名だが、檜山はお茶の栽培でも最北だと言う。
今まで新潟県の村上が最北かと思っていたが、ここも歴史があるらしい。
オレンジ色の服を着た男性に檜山茶の事を聞いてみた。
そろそろ八十八夜でもあるが、ここは少し遅れて茶摘みをすると言う。
お茶は「買いたい」と言う人が現れたら、茶摘みをするのだそうだ。

今回は山城を訪れたが、能代の町には檜山城本丸と呼ばれる平城があったようだ。
城跡をカーナビも携帯でも位置を示した。そこは田んぼの中に見えた。



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