非常食用のアンパン、コーヒー牛乳、幾つかの果物を車に詰め込んで、朝6時に北へ向けて出発する。
カーナビと携帯のGoogleアプリがあれば大丈夫と思っていたら、この2つが全く違う方向へ行けと言う。
特に象潟IC付近で、カーナビがグルグル回りだした。
カーナビと携帯のGoogleアプリがあれば大丈夫と思っていたら、この2つが全く違う方向へ行けと言う。
特に象潟IC付近で、カーナビがグルグル回りだした。
まぁ、目指すは能代なので体制に影響はない。
能代城を目指すと思っていたらそんな物はなく、正式は檜山城だった。
檜山安藤と自分も言っていたではないか。
石垣の上の山吹の黄色に見とれていたら、前方左に檜山城への登り口があった。
何故、今檜山安東の城を訪れたのかと言うと、この檜山安東は日本海交易に重要欠かせない武士だった。
酒田湊の歴史を辿ると、交易には相手側がいる。最も檜山安東の方が酒田よりも早く日本海ルートを牛耳っていた。
酒田市砂越にある砂越城とも、この檜山安東は繋がっていて、砂越城の姫君が嫁入りした先でもある。
まずは本丸を目指して山道を走る。
平たい所に出たが、ここが何なのかが解らない。
塚が建っていた。
周りは堀切と呼ばれる山の斜面を削って、段々にしたものが周りに位置している。
平らな所には武器や武士を配置し、切り立った壁を設けることによって、攻めにくくしている。
それが至る所に配置されている。
地形を有意義に利用した、戦国時代の山城なのである。
西に目を向けると高台があった。
石碑が建っていたが、これは皇室の殿下が訪れた事を記念する物だった。
歴史上の碑ではない。
能代の町と日本海が見えた。
遠くに見えるのは北神山地である。
階段がついていたので登ってみる。
中央が一段高くなっている。建物があったのだろうと思われる。
長谷堂城の戦いの山城も面白かったが、ここは複雑な地形をうまく利用した城だと思う。
古寺方面
秋田名物に檜山納豆が有名だが、檜山はお茶の栽培でも最北だと言う。
今まで新潟県の村上が最北かと思っていたが、ここも歴史があるらしい。
オレンジ色の服を着た男性に檜山茶の事を聞いてみた。
そろそろ八十八夜でもあるが、ここは少し遅れて茶摘みをすると言う。
お茶は「買いたい」と言う人が現れたら、茶摘みをするのだそうだ。
今回は山城を訪れたが、能代の町には檜山城本丸と呼ばれる平城があったようだ。
城跡をカーナビも携帯でも位置を示した。そこは田んぼの中に見えた。