無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

旧阿部家と人・物の交流史

2022-09-14 12:57:57 | 歴史


飽海地域歴史研究会の課外授業のメインは、旧阿部家で「田沢の中世期について」を加藤寛英氏から
「旧阿部家に学ぶ古民家再生~その歴史を今につなぐ」と題して小野寺雅昭氏よりの講座があった。

その前に、昼食をこの阿部家で頂くことになっていたのだが、あまりに参加人数が多くて、急遽酒田市平田中央公民館(やまもと農村交流センター)の講堂に移動することになった。
出された郷土料理は、地元の若い奥さん達のグループが作ってくれたもの。
ご飯は、生姜ご飯で味噌汁は懐かしいくじら汁だった。


農村センターから旧阿部家までは、目と鼻の先である。
旧阿部家の様子は こちら




3つの座敷を使っても、縁側にあぶれた人間が居た。(私もだけど)


スライドまでは遠い。


大事な講義の最中、蜂が飛び交う、チョウチョは舞う。


酒田以前の飽海の中心が砂越だった頃、日本海側と太平洋側を結ぶルートが、最上川の舟運と、陸路では坂本(山元)から与蔵峠を抜けるルートだった。
坂本の林道には、山菜採りやきのこ採りで随分と入ったが、与蔵沼には一度も入らず、ここが古代のメインルートとはつゆほども知らなかった。



前回では見れなかった仏間にも入ることが出来た。


阿部家には玄関が三箇所もある。


旧阿部家の裏には、水を引いて水車が回っていた。


その水の先には池があり。


丸々と太った鯉が泳いでいた。



昼食の時、自治会長さんが、「丁度蕎麦の花が見頃なので、小林の方へ足を伸ばして見てください。」と仰った。

















至る所、そば畑で延々と続いていた。


温泉がでる。有料だが誰でも入れる。


看板の近くの民家


不動杉も見に行く。


ともかく大きい。


ただ、あまりに道路の傍なので、少々有難味に欠ける。
とんでもなく山の上だったら、汗水たらして見に行ったろうと思う。


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