飽海地域歴史研究会の課外授業のメインは、旧阿部家で「田沢の中世期について」を加藤寛英氏から
「旧阿部家に学ぶ古民家再生~その歴史を今につなぐ」と題して小野寺雅昭氏よりの講座があった。
その前に、昼食をこの阿部家で頂くことになっていたのだが、あまりに参加人数が多くて、急遽酒田市平田中央公民館(やまもと農村交流センター)の講堂に移動することになった。
出された郷土料理は、地元の若い奥さん達のグループが作ってくれたもの。
ご飯は、生姜ご飯で味噌汁は懐かしいくじら汁だった。
ご飯は、生姜ご飯で味噌汁は懐かしいくじら汁だった。
農村センターから旧阿部家までは、目と鼻の先である。
旧阿部家の様子は こちら
3つの座敷を使っても、縁側にあぶれた人間が居た。(私もだけど)
スライドまでは遠い。
大事な講義の最中、蜂が飛び交う、チョウチョは舞う。
酒田以前の飽海の中心が砂越だった頃、日本海側と太平洋側を結ぶルートが、最上川の舟運と、陸路では坂本(山元)から与蔵峠を抜けるルートだった。
坂本の林道には、山菜採りやきのこ採りで随分と入ったが、与蔵沼には一度も入らず、ここが古代のメインルートとはつゆほども知らなかった。
前回では見れなかった仏間にも入ることが出来た。
阿部家には玄関が三箇所もある。
旧阿部家の裏には、水を引いて水車が回っていた。
その水の先には池があり。
丸々と太った鯉が泳いでいた。
昼食の時、自治会長さんが、「丁度蕎麦の花が見頃なので、小林の方へ足を伸ばして見てください。」と仰った。
至る所、そば畑で延々と続いていた。
温泉がでる。有料だが誰でも入れる。
看板の近くの民家
不動杉も見に行く。
ともかく大きい。
ただ、あまりに道路の傍なので、少々有難味に欠ける。
とんでもなく山の上だったら、汗水たらして見に行ったろうと思う。
とんでもなく山の上だったら、汗水たらして見に行ったろうと思う。
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