湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

輪番停電

2011年03月16日 | 日常生活
 輪番停電というそのことばをはじめて知ったのは、多分半年くらい前のこと。原発テロを題材にした東野圭吾の『天空の蜂』という小説を読んだからだった。

 ニュースで輪番停電の可能性ありということはわかっていたけれども、その晩遅くの地域の防災無線で翌日輪番停電を現実に行なうと知ったときは、本当に非常事態なのだと再認識させられたような気がしてなかなか寝付くことができなかった。

 需要が供給を上回ったとき、突然どこかで停電が発生する。突然ということで、その地域では深刻な事態が避けられない。需給を調整して、そういった事態を避けようとするのが輪番停電である。一方、電気というのは蓄えておくことができないエネルギーである。もちろんわずかな量であれば電池に蓄えることができる。しかし大量の電気を蓄えることは不可能である。であるならば、そのときの需給に問題がなさそうであれば予定していた地域にも電気を送ったほうが良い。でなければ発電した電気はただただ無駄になってしまう。えっと、理解の間違っているところもあるかもしれないけれど、僕はそんなふうに理解した。

 題材に特別な関心があったわけではなく、図書館の棚にあってたまたま手にとった小説だった。そしてサスペンスなのに、(よくあることだけれども)途中の経過や結末をほとんど覚えていない。でも輪番停電に関しては、不思議と記憶に残っている。電気を停めるということがいかに日常の生活に影響を与えるか、そしてそれにもかかわらず輪番停電を行なわざる得ないという決断に至るまでの描写をこちらも結構緊張しながら読んだからだと思う。そのときはまさか現実に輪番停電なんてことが行なわれるなんて思ってもいなかったけれど。

 原発へのテロがどうなったかも実はあまりよく覚えていない。こんなときに不謹慎のような気がするけれど、近いうちに再読しようかなと思う。それから今回の災害とは全然関係ないけれど、こんなときだからこそ再読したくなっている本もあったりする。なんだか不思議なことだけど。

 昨夜は地震の前に借りてあった『シンドラーのリスト』のDVDを部屋のノートパソコンで観た。伊坂幸太郎の何かの小説で、ちょっと意外な誰かが誰かを助けるか心配する場面で、「オレはこう見えても『シンドラーのリスト』に感動したクチなんだよ」みたいなことを言っていたけれど、久々観ましたけど、これはやっぱり感動する映画ですよね。

 ひとつの命を救うものが世界を救う

 きっと、そうなんだと思います。危険を顧みずにいま頑張ってくれている皆さん、本当にありがとうございます。