このお堂の中に隠れましたなぁ…
実姉の四十九日…故人の遺志で「樹木葬」として埋葬してきました。しかしねぇ、「樹木葬」とは名ばかりで、いわゆる共同墓地に埋葬したという感が否めない。埋葬料が16万円。嫁に出した以上は我が家の墓に両親と共になどと出過ぎた申し出も出来ず、故人の希望を叶えてやるのが弟としての務めかと何も申し上げませんでしたけれど…。誰にも連絡を取らず家族葬で見送って欲しいとの希望でしたから、それはそれで叶えてあげましたけれど、生き残っている人間にしてみれば、親類縁者への手前もある。埋葬後、今は亡き母親の実家(叔父宅)に久し振りに足を向け、事の顛末を報告して参りました。叔父たちも理解は示してくれましたけれど、心の中ではお悔やみのひとつもとの思いはあったようであります。(これも残された弟の役割でありますよ^^;)
道路改良が進み、母親の実家回りも見違えるような光景に変わっておりましたが、昔からの観音様のお堂が目印として残っておりました。
お斎のお食事会は「密」を避けて…
子どものころ、母親の実家に遊びに行った時のこと、お堂にあるブランコに乗りたくて順番を待っていたのでありますが、残念ながらよそ者の子は乗せてもらえませんでした。が、突然、ブランコが空いて『夢屋少年』が悠々と乗っていると、従姉が血相を変えて私をお堂の中に引き込んだのを今でも憶えております。お堂の格子から見た光景は…黒い大きな『暴れ牛』を大人たちが取り囲んでなだめている。牛は後ろ脚を跳ね上げ、そりゃ~子どもにしたら恐いったらありゃしない。それからですねぇ…牛が恐くなったのは。今でも牛たちが繋がれているというのに間を通り抜けないと目的地に行けないという私にとっては恐い夢を見ますから^^;
「牛は頭の良い動物だから騙してはいけない。」何度も祖母に教えられましたっけ。使役牛として飼われていた牛に、好物のビールをやるから働けと言ってだまし、後から何も与えないと怒って暴れるんですと…今でも信じておりますよ。
あの時は確か姉も居たよなぁ…古い姉弟の思い出話であります(笑)