知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

バランスが一番大事。

2013年08月21日 | スキルアップ
異常気象。

このブログでも何度か書いていますが、
 最近では猛暑、少雨、洪水
というニュースが世界中を駆け巡っています。

中国も干ばつと洪水が農村部を苦しめていますし、
 欧州でも「こんなの初めてだ」という洪水
が起こっています。

日本の猛暑も市場最高。
41度超。


環境が大事だということは、世界中で認識しているのに、
 本格的な取り組みは、経済を打撃する
のでできない。

これは、原発も同じ。
汚染水漏れがあれほど深刻であるにもかかわらず、
 原発再開の方向で動いている
のも、
 経済を重視している
からです。


最終的には、人間の「欲」と絡んでくるわけですが、
 自分たちの世代
が思考の中心となると、
 経済を重視する
ことになるわけです。

自分たちが死んだ後のことは、
 後回し。

これは、
 政治でも同じ。

有権者を中心とした「政策」をしなければ、
 議席を失う。
そのため、
 次の世代の有権者のことは、ないがしろにされる
ということです。

年金問題も、国債の問題も、
 先送りが支持される
ということです。


これを変えるのが、
 ナシオン主権の考え方。

プープル主権の考えは、
 現に今いる有権者(国民)の民意の反映
を重視する。

ナシオン主権は、
 今の有権者以外にも、これから有権者となる将来の国民の民意の反映
が必要であるということ。

ただ、ナシオン主権が機能するには、
 国民が知的で、将来のことを考え、今の自分の生活を犠牲に出来るほど、知的な人物である
必要があります。

結局、
 将来のことも考えないとね
といいながら、
 自分だけのことを考えた政策を唱える人が当選する
というので、
 机上の空論。

現在は、今の国民どころか、
 高齢者中心の政策
ということでは、
 さらに、狭い「国民(有権者)」概念
になっているわけです。

投票率が5割を切るような選挙で、民主主義国家といえるのか微妙ですが。
会議の場合、あまりに低いと、定足数を満たさず、そもそも決議すらできない。

投票に定足数がないのは、
 そもそも定足数を割るような事態を想定していない
ため。

 選挙権はようやく勝ち取った重要な権利なので、権利を行使するだろう
という前提にあります。



今の日本において、
 一部の権力者が、大多数の政治的無関心者を支配する
システムができつつあります。

政治的無関心者は、かつての農奴のように、
 日々の生活に追われる。

一部の権力者は、農奴をつかう貴族のように、富を蓄えて行く。

その境界は、
 知的に成長しているかどうか
ということです。

かつては、農奴と貴族の堺は分かりやすかったのですが、
 これからは、見えにくくなる。

給料が安くなり、税(各種負担)が高くなれば、
 結局は、農奴と同じようになる。

公務員内でも、
 パートのような存在から、国家1種でさらに出世コース組では、農奴と貴族の関係が成立するようになる。


ただ、こういう社会システムは、
 干ばつと洪水が繰り返される今の異常気象のように、全体的幸せをもたらさない。

政情も不安、治安も悪化、消費力が下がり、経済も停滞する。

一番いいのは、全体で豊かになるということ。

バランス良く、天気と雨の日が訪れる。


一部にカネが集中するのではなく、
 全体に(多くなくとも)カネが行き渡る。

そうすると、
 消費に向かうので、経済も潤い、お金が回り、仕事が創出され、人々はそれなりに幸せに生きられる。

そのために、一番重要なのは、
 教育。

そういう国家モデルを構築するには、
 どういう法制度、税制を築いていかなければならないのか
を提示できる国会議員、官僚。

その国会議員が当選できるよう、
 既得権益をもたない人が選挙に行く。

しかし、この国には、残念ながら、
 そういう国会議員も、そういった国会議員を誕生させるだけの選挙システム(有権者)もいない。

では、どうしたら?

 貴族側になって、農奴を開放すればよい。
 福利厚生が充実していたり、待遇がよい会社がこれにあたります。


そのためには、
 今のシステムを利用する側の人間になる。
 
知的に成長し、
 どうやったら、システムを利用する側の人間になれるのか
を考える。

今は、かつてのように、生まれた瞬間に、
 農奴だ
と決まっている社会ではありません。

農奴と貴族を分けるのが、
 知的な成長
だというのなら、
 コントロールできる領域である
ということです。

その点、かつてよりは公平だといえます。


ただ、今後、階級が固定化していくおそれがありますが…
(弁護士の子供が弁護士になるというケースが増えています。
ロースクールによって、試験自体が受かりやすくなったため。)

そのため、すでに弁護士で顧客を有する貴族的な弁護士は、子供に引き継げる。
その反面、就職先がなく、アパートで仕事をして、年収が300万円を切る弁護士もいるとのこと。
つまり、弁護士だから貴族だというのではなく、弁護士でも貴族と農奴が分かれるという見えにくい状態になっていく。

研修医と医師でも同じですが。

結局、バランスなどというものは、理想であり、
 弱肉強食の身分社会となりつつある
というわけです。

それを是正するのは、
 知的に成長して、システムを利用する側の人間になる
ということです。
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