「ちょせん、ちょせんと、パカにすな、おなじコメくて、とこちがう」を初めて聞いたのは、中学校の国語の先生からであった。
昭和40年代の四国のド田舎には、土着の日本人がいるだけで、在日朝鮮人なんて、見た事も聞いた事もなく、純粋な中学生の私には想像さえも出来なかった。それでも差別的な響きがあるのは理解出来たし、強烈なインパクトがあり、記憶に強く残った。
誰かが創作した訳でなく、本当に使われてた可能性も高いが、日本人の歪んだ優越感で、韓国人が濁音の発音が苦手なのと一般的に激しいと思われる気骨を上手に表現した名文句(迷文句?)だと思う。
で、時と所は変わって、ドイツはデュセルドルフの繁華街にある韓国焼き肉レストラン。
チョゴリをきた韓国人の女将さんが、濁音、吃音バリバリのドイツ語でサーブしているのを見たときはひっくり返りそうになった。
この気持ち、「わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~」
昭和40年代の四国のド田舎には、土着の日本人がいるだけで、在日朝鮮人なんて、見た事も聞いた事もなく、純粋な中学生の私には想像さえも出来なかった。それでも差別的な響きがあるのは理解出来たし、強烈なインパクトがあり、記憶に強く残った。
誰かが創作した訳でなく、本当に使われてた可能性も高いが、日本人の歪んだ優越感で、韓国人が濁音の発音が苦手なのと一般的に激しいと思われる気骨を上手に表現した名文句(迷文句?)だと思う。
で、時と所は変わって、ドイツはデュセルドルフの繁華街にある韓国焼き肉レストラン。
チョゴリをきた韓国人の女将さんが、濁音、吃音バリバリのドイツ語でサーブしているのを見たときはひっくり返りそうになった。
この気持ち、「わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~」
繁華街にある韓国料理屋ですか。私が知っているのは日航ホテルの裏と、三井物産ビル(まだあるのか?)の近くだけですが、確かにそうでしたね。ま、こっちのドイツ語も言えたもんじゃないし、喋るということでの前向きさは向こうの方が全然上ですけど。
私は、(カタコトの)日本語を喋る韓国人も、英語を喋る韓国人もあまり知らないので、イメージだけが選考してます。
仕事関係で知っている大学の時からアメリカに留学していた韓国人(20後半)の英語は下手です。(この人の場合、センス無い感じでしたけど)
もう10年以上も前なので、記憶も怪しいのですが、駅(デュセルドルフ駅?)の近くで、石畳でレストランが一杯ある所だったと思います。向かいにスペイン料理屋があり、ガス式のトーチの様な暖房器があり、寒いときでも外で食べた記憶があります。
韓国レストランは、奥に細長い店で、トイレは奥の地下にあった様な記憶が。
そこはたまに行きました。あの辺りは「ドイツで一番長いカウンター」と呼ばれる、デュッセルドルフのビールであるアルトビールの店がいくつもあるところですね。で、意地でも外で食べたがるドイツ人の為にヒーターがあるんですよね。底までしなくてもいいのに、とある意味感心しました。
1600年代に出来たレストランもいったことがあります。
薄暗かったイメージしか残ってませんが。