暘州通信

日本の山車

◆井波

2018年02月01日 | 日本山車論
◆井波

 これは仮説である。

 井波・いなみ
 この名称の町が富山県にあった。平成一六年(二〇〇四)の合併により、福野町、城端町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口村、福光町が合併して現在は「南砺市」となっている。
 井波町は、井波彫刻の町として知られるが、その淵源を遡ると【斐太ノ工】にゆきつく。
 『延喜式神名帳記載』にも記載される、越中國一宮 高瀬神社が鎮座し、浄土真宗 
井波別院瑞泉寺の宏壮な伽藍は、城端町の善徳寺とともに、が参詣者を圧倒する。
 瑞泉寺、善徳寺の建立のため、京都から派遣された工匠の委奴氏・斐太ノ工らの子孫が井波町に定住したと伝えられる。飛騨市古川町の山車彫刻はこの井波町の大島五雲のさくであるが、このほかにも、井波彫刻が施された山車が各地で曳かれている。