暘州通信

日本の山車

39281 朝鮮系の神社

2008年04月24日 | 日本の山車
39281 朝鮮系の神社
朝鮮半島には、「神と神社」の概念がないのであろうか? 日本の各地には、朝鮮を意図した神社がいくつも存在する。
たとえば、延喜式神名帳の「宮中式内社」に「韓神社」が記載されるのをはじめ、各地に「韓国神社」、「高麗神社」、「白髭神社」なおどがあり、祭神は韓国からの渡来人である、ほかにも数例をあげると、出雲大社、兵庫県姫路市の射楯兵主神社、福井県敦賀市の気比神宮、和歌山県和歌山市の伊太祁曾神社ほかがあり、ほかにも確証はないものの、大阪府能勢町の岐尼神社、兵庫県篠山市の佐佐婆神社、滋賀県草津市の久佐佐神社、岐阜県高山市の荏名神社などがあげられよう。このように国内には数多くの朝鮮系の神社が存在する。
だが、ひとたび韓国に目を向けると、神社というものがまったく見当たらない。
イソタケルノミコト、スサノオノミコトが降臨したとされる、朝鮮のソシモリ(曽尸茂梨)はその所在が把握できないのみか、名称さえも解釈できないありさまである。
朝鮮にも、かつて各地に神が降臨した形跡はみられる。先祖を祀る文化は存在しないのだろうか…?
そうすると日本の各地に存在する朝鮮系の神社はどうなるのか…?
推定だが、出雲文化は、氏族の「祖神」をもって国を形成し祀る国体を基本理念として経営したのではないだろうか…? 

39281 朝鮮系の神社

2008年04月24日 | 日本の山車
39281 朝鮮系の神社
朝鮮半島には、「神と神社」の概念がないのであろうか? 日本の各地には、朝鮮を意図した神社がいくつも存在する。
たとえば、延喜式神名帳の「宮中式内社」に「韓神社」が記載されるのをはじめ、各地に「韓国神社」、「高麗神社」、「白髭神社」なおどがあり、祭神は韓国からの渡来人である、ほかにも数例をあげると、出雲大社、兵庫県姫路市の射楯兵主神社、福井県敦賀市の気比神宮、和歌山県和歌山市の伊太祁曾神社ほかがあり、ほかにも確証はないものの、大阪府能勢町の岐尼神社、兵庫県篠山市の佐佐婆神社、滋賀県草津市の久佐佐神社、岐阜県高山市の荏名神社などがあげられよう。このように国内には数多くの朝鮮系の神社が存在する。
だが、ひとたび韓国に目を向けると、神社というものがまったく見当たらない。
イソタケルノミコト、スサノオノミコトが降臨したとされる、朝鮮のソシモリ(曽尸茂梨)はその所在が把握できないのみか、名称さえも解釈できないありさまである。
朝鮮にも、かつて各地に神が降臨した形跡はみられる。先祖を祀る文化は存在しないのだろうか…?
そうすると日本の各地に存在する朝鮮系の神社はどうなるのか…?
推定だが、出雲文化は、氏族の「祖神」をもって国を形成し祀る国体を基本理念として経営したのではないだろうか…? 

44005 墾系と出雲系の同盟関係?

2008年04月24日 | 日本の山車
44005 墾系と出雲系の同盟関係?
播磨、尾張など「ハリ」のつく地名は古代の「ハリ氏」にゆかりがあると考える。
愛知県犬山市の国宝犬山城が築かれた地には「針綱神社」があるが、これも「ハリ氏」にゆかりがある。また名古屋市内に「平針」の地名があるが、これも「ハリ氏」であろう。
姫路市に、伊楯兵主神社があるが、祭神は伊楯と兵主の二神である。
イソタケルノミコト(五十猛命)およびオオナムチ(大己貴命)に代表される出雲系と墾系ははやくに同盟関係が成立していたということになろうか。



43005 邪馬台国の謎

2008年04月24日 | 日本の山車
43005 邪馬台国の謎
論証も得られないまま、邪馬台国論争は尽きるところがないように見える。
「魏志倭人伝」とは、中国西晋代の陳寿が記述した、中国三国時代の「魏書」烏丸、鮮卑、東夷伝の倭人の条をいう。
魏志倭人伝は中国から邪馬台国に到る旅程が記述されるが、その邪馬台国はどこであったか謎のままである。
邪馬台国は畿内か? 九州か? は二大説である。ほかにもたくさんの説があり、それぞれ説得力があるがるが、結論は、卑弥呼の陵墓が見つかる時点まで続くであろう。
しかし、それまでまったく謎のまま、まったくわからないだろうか? 
これはひとつの推論だが、
1 邪馬台国という名称のよびかた
邪馬台国の読み方は、「ヤマタイコク」もしくは「ヤバタイコク」であろう。
語尾の「タイ」は九州地方の方言で、本義は「タ」である。
2 八幡という名称のよびかた
八幡という名称の、「ヤワタ」もしくは「ヤバタ」であろう。
3 八幡という神社の祭神は、神功皇后、応神天皇を祖神とする。
4 邪馬台国とは「八幡を祖神」とする国ということになろうか。
5 八幡宮は日本で一番多い神社とされるが、本宮は大分県の「宇佐八幡宮」である。
6 三世紀の日本は空白の三世紀といわれ、おおいに国の乱れた時代であった。その乱れの元は、大己貴命の天皇への国譲りにあったと推定する。
7 混乱の収拾は、海人族と、住吉族の講和が成立したこと。その功績者は神功皇后であったと推定する。
8 神功皇后は畿内に戻っているが、墳墓は畿内に築かれたであろう。
9 卑弥呼とは、神功皇后のことであり、邪馬台国の所在地は九州、墳墓は畿内であろう。