04677 下北大湊祭
青森県むつ市(旧大湊町)
四」地区、四社の合同歳。
兵主神社 大湊上町
近川稲荷神社 大湊浜町(下町)
神明宮 大平町
宇田八幡宮 宇太町
□祭は九月上旬。
四地区、四社の合同歳に舟型山車を曳く。
□祭は九月上旬。
四地区、四社の合同歳に舟型山車を曳く。
□山車
・大神丸 大湊上町
延宝七年 (一六七九) 三月氏子の勧請にして鎮座、。
兵主神社は、釜臥山山上に奥宮が祀られる、拝殿(里宮)は「下居兵主大明神」といい、
明治二年に社名を兵主神社とあらたまった。祭神はイザナギノミコト(伊弉諾命)とあるが、社名よりオオナムチノミコト(大己貴命)、イソタケルノミコト(五十猛命)とも推定される。境内には忠魂碑があり、戦争犠牲者の慰霊のため招魂祭が行われる。
四輪の木枠臺に舟一艘をのせる。舟の上に無蓋の屋形を設け、大幕でかこみ、その上を水引幕で覆う。上臺には青竹が立つ。黒塗の勾欄をめぐらし祭神を祀る。
舟尾には松をたてる。
・神明峯(弁天丸)大平町
神明宮は、元和元年 (一六一五)に鎮座。江戸時代は神明社といったようで、
明治八年に「神明宮」となった。祭神はアマテラスオオミカミ(天照大神)か?
・稲荷丸 大湊浜町(大湊下町)
近川稲荷神社の祭神は、倉稲魂命、大物主命。創祀は寛永三年 (一六二六)。
大物主命は享保五年(一七二〇)の勧請。さらに明治十年に讃岐金刀比羅神社より分祀
を受けている。
・八幡丸 宇太町
八幡宮は、寛政四年 (一七九二)の創祀。 明治六年に「八幡宮」と定まった。
祭神は應神天皇。
舟型山車で、舟腹には極彩色の龍が描かれる。舟上には朱塗の勾欄がめぐらされる。上臺にも刎勾欄がつくが、勾欄柱、平桁は黒塗である。
□汎論
むつ市大湊町は津軽湾に面し、集落ごとに鎮守の神を祀っている。創祀はふるく早くから舟山車を曳いたようである。当初は海上で操船している舟を浜に引き上げて装飾し、曳いたとも言う。下北半島には風間浦など他の地区にも舟山車が曳かれる。
青森県むつ市(旧大湊町)
四」地区、四社の合同歳。
兵主神社 大湊上町
近川稲荷神社 大湊浜町(下町)
神明宮 大平町
宇田八幡宮 宇太町
□祭は九月上旬。
四地区、四社の合同歳に舟型山車を曳く。
□祭は九月上旬。
四地区、四社の合同歳に舟型山車を曳く。
□山車
・大神丸 大湊上町
延宝七年 (一六七九) 三月氏子の勧請にして鎮座、。
兵主神社は、釜臥山山上に奥宮が祀られる、拝殿(里宮)は「下居兵主大明神」といい、
明治二年に社名を兵主神社とあらたまった。祭神はイザナギノミコト(伊弉諾命)とあるが、社名よりオオナムチノミコト(大己貴命)、イソタケルノミコト(五十猛命)とも推定される。境内には忠魂碑があり、戦争犠牲者の慰霊のため招魂祭が行われる。
四輪の木枠臺に舟一艘をのせる。舟の上に無蓋の屋形を設け、大幕でかこみ、その上を水引幕で覆う。上臺には青竹が立つ。黒塗の勾欄をめぐらし祭神を祀る。
舟尾には松をたてる。
・神明峯(弁天丸)大平町
神明宮は、元和元年 (一六一五)に鎮座。江戸時代は神明社といったようで、
明治八年に「神明宮」となった。祭神はアマテラスオオミカミ(天照大神)か?
・稲荷丸 大湊浜町(大湊下町)
近川稲荷神社の祭神は、倉稲魂命、大物主命。創祀は寛永三年 (一六二六)。
大物主命は享保五年(一七二〇)の勧請。さらに明治十年に讃岐金刀比羅神社より分祀
を受けている。
・八幡丸 宇太町
八幡宮は、寛政四年 (一七九二)の創祀。 明治六年に「八幡宮」と定まった。
祭神は應神天皇。
舟型山車で、舟腹には極彩色の龍が描かれる。舟上には朱塗の勾欄がめぐらされる。上臺にも刎勾欄がつくが、勾欄柱、平桁は黒塗である。
□汎論
むつ市大湊町は津軽湾に面し、集落ごとに鎮守の神を祀っている。創祀はふるく早くから舟山車を曳いたようである。当初は海上で操船している舟を浜に引き上げて装飾し、曳いたとも言う。下北半島には風間浦など他の地区にも舟山車が曳かれる。
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