暘州通信

日本の山車

◆かぐや姫の山車

2011年02月26日 | 日本の山車 左甚五郎
◆かぐや姫の山車
 左甚五郎は、下野の國を旅していたときある町で、山車の彫刻を頼まれたが、題が『日本昔ばなし かぐや姫』だと告げられて、たいへん悲しそうな表情になり、注文を固辞して立ち去ったと言う。組内では仕方なく別の彫刻師に頼んで彫刻してもらったのだが、祭礼の前日に落雷があり、山車は一度も曳かれることなく炎上してしまった。
 この話がいつとはなく各地に広がり、山車を作るときは「かぐや姫」を避けるようになった。
 江戸時代、飛騨高山の国学者田中大秀は、その話を聞いてたいそう不思議に思い、多くの文献を渉猟して解明に当たったが、ついにその原因はわからなかったと言う。近年のことは不明であるが、江戸時代に建造された山車には「かぐや姫」にゆかりのある山車は無いらしい。
 田中大秀はこれが機縁になって、名著と言われる『竹取物語 解』を著述した。

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