暘州通信

日本の山車

◆伊那

2018年02月02日 | 日本山車論
◆伊那

 これは仮説である。

 天竜川は、長野県の諏訪湖から流れ出て、掛塚(現在、竜洋町)で遠州灘にそそぐ。天竜峡は急流で知られ、かつては木曽川とともに筏流しが行われ、民謡「竜峡小唄」が唄われた。その流域にある伊那は、伊那谷の異名で知られる。現在は伊那市となっている。
 古代、委奴氏の定住した地で、斐太ノ工のふるさとである「飛騨」との結びつきも強く越年用の「越中富山(富山県)」の【寒鰤(かんぶり)】は、飛騨高山から「野麦峠」を超えて「信州伊那」に贈られた。伊那地方では、この寒鰤を【飛騨鰤。ひだぶり】とよんで珍重したという。
 飛騨高山の秋祭に曳かれる、寺内の屋臺【布袋臺】は、唐子がブランコをしながら「綾」を飛び移り、最後に布袋の肩にとまる「はなれはらくり」の妙技でもよく知られるが、この屋臺の意匠・彫刻を行ったのが【中川吉兵衛】であり、高山の著名な屋臺彫刻を数々残した谷口與鹿の師匠でもあったが、晩年は「信州伊那」に住んだ。
 【立川流】は、立川富重にはじまるとされ、信州高島藩(諏訪藩)の桶職に始まるとされるが、遠祖は「信州伊那」の【斐太ノ工】の家系である。
 中川吉兵衛は、この立川氏の招聘により信州に移ったのであった。



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