◆35671 柳生の戸岩山
奈良県奈良市柳生町
天乃石立神社
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照皇大神
クシイワマドノミコト 櫛盤門戸命
トヨイワマドノミコト 豊盤門戸命
アマトイワトワケノミコト 天盤戸別命
□汎論
分割された磐。
いまから四〇数年前、奈良の平城坂にある般若寺の向かいあたりから柳生街道を経て柳生の里を訪れた頃は、当然細い地道で、途中、智拳印を結ぶ金剛界の大日如来で著名な、忍辱山円成寺を拝観して柳生の庄に着いたときには三時間ほどもかかってしまった。いまは一時間もかからない。当時、柳生にはお店すらなく、京都府の笠置方面からの道が交わるあたりに、おなかもすいていたので「十兵衛うどん」というのを注文した。なぜ十兵衛うどんなのか尋ねると、主人はにこやかな好人物で、小さな丸い椎茸が二個はいっている、これは柳生家の紋章である二蓋笠にちなんでいるいうことであった。店の中には野良着の老人がふたりいて、主人と三人でおしゃべりを始めたのだが、そのはなしを聞くともなしに聞いていると、保元平治から建武の中興にいたる歴史の話に夢中になっていたが、あまり一般的でもない元号、人物名をすらすらと語り合い、通常どこでも語られるような世間話ではなかったので驚いたものだった。柳生坂の上り口には夏草におおわれた石柱があり、たしか、「踏むなふむな草はくさとして花ごころ」と書かれていた。当時はその意味がわかりかねたが、あとになって、障害児の施設があったことを知った。
柳生家の菩提寺である芳徳寺の裏の墓苑には、柳生歴代の墓がたちならぶ。ここをあとにしたときはすっかり日が暮れて天乃石立神社は在所さへ不明であった。
天乃石立神社は芳徳禅寺の南東にある。延喜式神名帳に記載される古社。境内には巨石があり、なかでも、前立磐と後立磐の二石は一定の間隙を保ちながら斜立する特異な形状をしている。また一刀石とよばれる岩があり大きさは幅約七メートル、奥行約八メートル、高さ約二メートルで、中央あたりで左右に分断されている。
前立磐と後立磐、一刀石、また周囲に見られる巨石は岩の角が丸くなっていて、自然露頭によるものではなく、岩戸谷(別名、戸岩谷、万年渓)とよばれる渓谷の転石で、古代人がここまで運んで祭祀の対象としたと推定される。岩が二つに割れているのは、花崗岩の石質と節理によるだろうが、単にひび割れ状ではなく、一定の間隙があるのは、石の性質をよく知っていた古代人がここまで運んだあとで分断したものであろう。さもなくば、谷を転じ搬出の途時に割れるはずである。
天乃石立神社は、拝殿のみがあり、本殿のない神社で巨岩をご神体としている。神社創祀以前に分断された岩を祀る氏族があったとと考える。
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
◇日本の山車 ホームページ
http://hiyou.easy-magic.com/
◇西国街道17日目
2008/12/15(月) 午後 3:50
... 2号線とほぼ平行している旧街道を1時間少し歩くと[石立神社]へ到達!降り頻る雪でマフラーに薄っすらとホタン雪が張り付く。 ... 下りが整備された折に旧街道が分断されたに違いない!この辺りに来ると日差しが出てきて雪はやんでいる。 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/call1732/5440110.html
奈良県奈良市柳生町
天乃石立神社
□祭神
アマテラスオオミカミ 天照皇大神
クシイワマドノミコト 櫛盤門戸命
トヨイワマドノミコト 豊盤門戸命
アマトイワトワケノミコト 天盤戸別命
□汎論
分割された磐。
いまから四〇数年前、奈良の平城坂にある般若寺の向かいあたりから柳生街道を経て柳生の里を訪れた頃は、当然細い地道で、途中、智拳印を結ぶ金剛界の大日如来で著名な、忍辱山円成寺を拝観して柳生の庄に着いたときには三時間ほどもかかってしまった。いまは一時間もかからない。当時、柳生にはお店すらなく、京都府の笠置方面からの道が交わるあたりに、おなかもすいていたので「十兵衛うどん」というのを注文した。なぜ十兵衛うどんなのか尋ねると、主人はにこやかな好人物で、小さな丸い椎茸が二個はいっている、これは柳生家の紋章である二蓋笠にちなんでいるいうことであった。店の中には野良着の老人がふたりいて、主人と三人でおしゃべりを始めたのだが、そのはなしを聞くともなしに聞いていると、保元平治から建武の中興にいたる歴史の話に夢中になっていたが、あまり一般的でもない元号、人物名をすらすらと語り合い、通常どこでも語られるような世間話ではなかったので驚いたものだった。柳生坂の上り口には夏草におおわれた石柱があり、たしか、「踏むなふむな草はくさとして花ごころ」と書かれていた。当時はその意味がわかりかねたが、あとになって、障害児の施設があったことを知った。
柳生家の菩提寺である芳徳寺の裏の墓苑には、柳生歴代の墓がたちならぶ。ここをあとにしたときはすっかり日が暮れて天乃石立神社は在所さへ不明であった。
天乃石立神社は芳徳禅寺の南東にある。延喜式神名帳に記載される古社。境内には巨石があり、なかでも、前立磐と後立磐の二石は一定の間隙を保ちながら斜立する特異な形状をしている。また一刀石とよばれる岩があり大きさは幅約七メートル、奥行約八メートル、高さ約二メートルで、中央あたりで左右に分断されている。
前立磐と後立磐、一刀石、また周囲に見られる巨石は岩の角が丸くなっていて、自然露頭によるものではなく、岩戸谷(別名、戸岩谷、万年渓)とよばれる渓谷の転石で、古代人がここまで運んで祭祀の対象としたと推定される。岩が二つに割れているのは、花崗岩の石質と節理によるだろうが、単にひび割れ状ではなく、一定の間隙があるのは、石の性質をよく知っていた古代人がここまで運んだあとで分断したものであろう。さもなくば、谷を転じ搬出の途時に割れるはずである。
天乃石立神社は、拝殿のみがあり、本殿のない神社で巨岩をご神体としている。神社創祀以前に分断された岩を祀る氏族があったとと考える。
□外部リンク
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◇西国街道17日目
2008/12/15(月) 午後 3:50
... 2号線とほぼ平行している旧街道を1時間少し歩くと[石立神社]へ到達!降り頻る雪でマフラーに薄っすらとホタン雪が張り付く。 ... 下りが整備された折に旧街道が分断されたに違いない!この辺りに来ると日差しが出てきて雪はやんでいる。 ...
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