暘州通信

日本の山車

◆01567 保呂羽山霜月神楽

2010年03月27日 | 日本の山車
◆01567 保呂羽山霜月神楽
秋田県横手市(旧大森町)大森町八沢木字保呂羽山
保呂羽山波宇志別神社(ほろわさんはうしわけじんじゃ)
□祭神
アンカンテンノウ 安閑天皇
合祀 
ホムスビノカミ 火産霊神
スサノオノミコト 須佐之男命
キクリヒメノミコト 菊理姫命
オオヒルメノミコト 大日□命(□は文字なし)
スガワラミチザネ 菅原道真
カナヤマヒコノミコト 金山毘古命
ウカノミタマノミコト 稻倉魂命
オオナムヒノカミ 大名持神
スクナヒコナノミコト 少彦名命
イワトワケノカミ 岩戸別神
ヤオモイカネノミコト 八意思兼命
イザナギノミコト 伊邪那岐命
フツヌシノミコト 経津主命
サルタヒコノミコト 猿田彦命
天津御女命
タケミナカタノミコト 健御名方命
オウジンテンノウ 応神天皇
オオヤマツミノミコト 大山祇命
オオヤマクイノミコト 大山咋命
□神事は十一月上旬。
□汎論
 保呂羽山波宇志別神社は延喜式神名帳に記載される古社。神社の神事に付属して神職が古くから神楽を奉納してきた。古くは旧暦の十一月(新暦の十二月)に行われてきたので霜月神楽の名があるが、現在は、新暦の十一月に行われる。
 民俗伝承に、春になると山の神は山から里に降って、田ノ神となり、秋の収穫が終わるとまた山に戻って山ノ神にもどる。これにあわせて「神迎え」と「神送り」が行われる。神迎えの祭では、大釜に湯を沸かし、神官あるいは巫女は沸き立つ湯の中に竹や笹をひたし、この湯を参詣人に振り掛ける「湯たて神事」、「湯の花神事」が各地で行われる。富山県の雄山神社には驚くような湯立て釜が保存されていてかつては多くの参詣者があったことをうかがわせる。この湯にかかると一年を健康、息災に過ごせるといい、参詣人がひしめく。中部地方には岐阜県の羽島市をはじめ山車の上に巫女が立って大釜の湯(五色の色紙)を振りまくからくり戯にも取り入れられている。
 「山ノ神」はたいへん嫉妬深い女性とされるが、オオヤマツミノミコト(大山祇命)、オオヤマクイノミコト(大山咋命)は男性神なので「山ノ神」ではないので神代巻に一致しない。
 保呂羽山神楽は、保呂羽山波宇志別神社の里宮(大森町八沢木木ノ根坂)に神楽座を設け、保
呂羽山、御嶽山、高嶽山の三山の神々を勧請し、大友氏が斎主となって近郊の楽人や氏子が集まり、夕刻より 翌朝にかけて夜を徹して奉齋され、「寄合神楽」とされている。
 神楽は三十三番からなり、一番おきに、湯箒を持って四方を拝する「湯加持」を舞う。
十一番目の天道舞は湯立ての本舞いで、十九番が、「山の神舞」で、夜の丑の刻に舞う最も重大な
舞とされる。保呂羽山霜月神楽の次第は古記録が失われ、現存する「保呂羽山御開山以来之次第」記録に天正十八年(一五九〇)とあることから、この年を濫觴とする説があるが、起源はさらに古く、民俗行事と神事が褶合したと考えられる。国の重要無形民俗文化財に指定されている。保呂羽山の中腹には波宇志別神社の神楽殿があり国の重要文化財に指定を受けている。
保呂羽山(ほろわさん)は、秋田県横手市大森町にある矢まで標高四三八メートル、鳥海山系の山で、古代には山そのものをご神体とする神南備山であろう。「ホロワ」はアイヌ語で「神聖なる霊山」の意だという。横手市(旧大森町)の保呂羽山、湯沢市の御嶽山、大仙市の神宮寺嶽に祀られている三神は三姉妹だという民間伝承がある。


◆21428 小迫の延年 

2010年03月27日 | 日本の山車
◆21428 小迫の延年 
宮城県栗原市(旧金成町)
白山神社
□汎論
 旧金成町(かんなりちょう)小迫の延年(おばさまのえんねん)は、白山神社は三迫の総鎮守である白山神社の例大祭に付随して行われてきた。祭には、ちゃれこ舞とよばれる獅子舞、献膳、御山開きとよぶ御法楽、入振舞(長刀舞)、飛作舞(胡蝶舞と青陽舞)、田楽舞の奉納がある。小迫の延年は、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。
 岐阜県美濃の長滝にある美濃馬場の白山神社でも新年早々に延年が行われ、農事に則った所作が行われ、社前に飾られたお花を奪い合う「花奪い祭」が行われる。小迫の延年もまた、豊作を予祝する神事として行われる。飛作舞とよばれる胡蝶舞、青陽舞、また田楽舞は古式の神事として注目されるべきだろう。
 岩手県の平泉にある毛通寺にも延年が伝承されている。

◆05962 堤島神社祭

2010年03月27日 | 日本の山車
◆05962 堤島神社祭
岩手県志和郡紫波町大巻金矢
堤島神社(つつみしまじんじゃ)
□祭神
宗像三女神
イチキシマヒメノミコト 市杵島姫命
タギツヒメノミコト 湍津姫命
タゴリヒメノミコト 田心姫命
□祭は九月中旬。
山車一臺を曳く。
□汎論
 島神社の創祀は元禄十二年(一六九九)。
 紫波町の大巻地区には南部藩の農業振興のため農五町歩におよぶ業用水の貯水池である「大巻堤」があったが、たびたび決壊して氾濫し、村落に被害を及ぼしたため、これを憂慮した南部家第三十代南部信濃守行信公の子光源院は、江ノ島(神奈川県)の弁財天の分祀をうけ、大巻堤の守護神として勧請したのに始まると伝えられる。
 池の中には、大島(沖津宮)、中島(中津宮)、小島(辺津宮)の三つの島が築かれたと伝えられる。近年土地基盤整備により、中島、小島は無くなり、大島のみが残されている。


◆02375 志賀理和気神社祭

2010年03月27日 | 日本の山車
◆02375 志賀理和気神社祭
紫波郡紫波町桜町字本町川原
志賀理和気神社(しがりわけじんじゃ)
□祭神
フツヌシノミコト 經津主命
タケミカヅチノミコト 武甕槌命
合祀 
オオナムチノミコト 大己貴命
スクナヒコナノミコト 少彦名命
サルタヒコノミコト 猿田彦命
ウケモチノカミ 保食神
フナタマノミコト 船靈命
□祭は九月上旬。
□山車
・上組
・下組
・一番組
・橋本組
□汎論
 志賀理和気神社(しがりわけじんじゃ)は、延喜式神名帳に記載される古社。延暦二十三年(八〇四)、坂上田村麿が東北開拓の守護神として、香取・鹿島の二神を勧請して創祀したと伝わるがが、出雲系の神々が鎮座し、こちらのほうが祭神として古いのではないかと疑問がある。社名は、「しがりわけ」「しがりわき」「しかりわけ」などと称されてきたといわれるが、現在は「しがりわけじんじゃ」と称される。
 境内に「赤石」と呼ばれる霊石があり、斯波孫三郎詮直公が北上川で見つけた紫の石で、水波が紫色になったといい、この霊石が地名の紫波になったといわれる。もとは社殿のうしろにあったが、現在は移動し玉垣でかこわれている。佐渡の「赤玉石」とは同質のものだろうか。

◆01053 悪石島の来訪神

2010年03月27日 | 日本の山車
◆01053 悪石島の来訪神
鹿児島県十島村
□行事は七月中旬の盆の行事
 トカラ列島の「悪石島」を紹介した資料によると、悪石島の面積は七・五キロ平方メートル。人口は七〇人足らず、島の周囲は十三キロメートル、最高地点は御岳で五八四メートルとある。
 「ボゼ」とよばれる来訪神は、トカラ列島の中でも悪石島にのみ伝わる。
 異様な仮面をつけた来訪神が各家を訪ね、子供が怖がって逃げ回る。記録がまったくなく、いつごろどこから伝わったかまったくわからないという。然し、その面体は南洋方面の習俗をうかがわせ、秋田県に伝わる「なまはげ」にも通じるものだろう。