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MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

ヨコハマトリエンナーレ 2014

2014年09月03日 | アート・文化

3年に一度の現代アートの国際展の「ヨコハマトリエンナーレ(ヨコ・トリ)2014」に行ってきました。

「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」のタイトルが付いていますが、その意味がよく理解できません。
案内によると、小説「華氏451」は、世界で一冊しかない本で、本は無くなっても言葉は燃えないと意味を持ち、現代の社会で様々な忘れ物に思いを馳せる「忘却めぐりの旅物語」だそうです。
序奏と11話の挿話からなる心の漂流記なのです・・・・・ (判ったようで判らないですね~)

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序章は、横浜美術館のオープンスペースにある「低床トレーラー」です。
「アンモニュメンタルなモニュメント」で、人々や社会を支配する力、世界の中心に君臨しようとする欲望など力のシンボルとしてのモニュメントにいたずらを仕掛を企て、モニュメント性を脱力化させる芸術の力を表しているそうです。(意味が判りませんね~)

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壮大な作品には、驚くような繊細性がありゴシック調の素晴らしいアートですね。

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もう一つの序章作品の「アート・ビン」が美術館に入った広場にあり、高さ7Mのアートのゴミ箱です。芸術家の失敗作などをこのゴミ箱に投げ入れたアートゴミですが、何でもアートと名前を付けてしまうのは???ですが、無料で見られます。

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第1話「沈黙とささやきに耳をかたむける」では、「あっ、そうか」・「このことについては、黙っていることにした」・「はい、わかりました」・「心の中で、そっと舌をだした」 と4つの言葉が並びますが、沈黙が波風立たずにいいのでしょう・・・(笑)

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次のコーナーでは、「釜ヶ崎芸術大学」の書や創作品が雑然と並んでおり、「漂流する教室に出会う」スポットです。
忘却の町として日本の成長期に置き去りにされた町のあいりん地区に生きる心の糧であるアートを送るコーナーです。

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汚れたオレンジ色の汚水を目や口から吐き出している老人像?でしょうか・・・・

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第4話の「たった独りで世界と格闘する重労働」では、重いため息が充填された袋を引いているのかなあ?

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日本の能の衣服を身に着けた鷹の井戸を表現した姿のようです

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第5話の「非人称の漂流」では、「法と正座」と題した巨大な真っ赤な作品で法廷を造り、台の上からドカンドカンと裁判官が叩く槌の音が表現されています。

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意味深なタイトルの尻ランプとテイン子のランプ彫刻です。

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第6話の「おそるべき子供たちの一人芝居」では、粘土で作られた細い枝が縦横無尽に入り組んだ作品でその形や色彩が不思議な魅力ありますね。

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美術館の展示コーナーを一回りして、次の新港埠頭の新港ピア会場へ向かう。

こちらでは、第11話として「忘却の海に漂う」として、全てを見終えた観客が最後に見る茫漠たる忘却の海だそうです。
廃棄物を集めた作品のようで、その内部には、忘れられた写真が一杯張り繋いでいますが、これも何を表現しているのか、全く判りませんね

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新港ピアの入口広場に置かれたカラフルに飾られた移動舞台のトレーラーですが、超ハデハデですね。

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新港ピアを後にして、象の鼻テラスで行われている「ヨコハマ・パラトリエンナーレ」へ回ると、障害者によるアートが出展されており、ジャケットからは、音が奏でられていました。

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3会場を回り現代アートのハイレベルを鑑賞してみたが、「華氏451の芸術」や「忘却の海」が何を訴えているのか?不可解なものが多く理解できずに消化不良でした。

コメント (4)
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