ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
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昭和40年代前半の鉄道写真(53・名鉄)

2015-04-09 | 昭和40年代の鉄道(名鉄)

<名鉄>大衆冷房特急車

昭和40年に撮影した名鉄電車の記録を<名鉄>として形式別に掲載する。


近鉄が新ビスタカーの運転を始めた34年、名鉄は国内初の特別料金を不要とする大衆冷房車5500系を投入した。
名鉄は、SR車(スーパーロマンスカー)5000系を30年に、その改良形である5200系を32年に製造した。
5500系は、5200系の性能、スタイルを継承しているが、冷房装備に伴って電装を変更している。
また、ユニットクーラーを搭載するために5200系よりも屋根がやや低く設定されていた。

先代のSR車同様、全てが電動車であり、34年中に1次車16両、2次車14両の計30両が製造された。
先頭車5500形の中間に5550形2両を組入れた4両固定編成、5500形のみの2両編成の各5編成である。
当初から6連に仕立てられた5編成が、岐阜・名古屋・豊橋を結ぶ本線特急として運行を開始した。

赤クリーム、チョコレートのツートンカラーは、当時の名鉄特急を象徴する塗色で、気品があり愛着もあった。
小学生時代の夏休みの絵日記では欠かせない存在であったが、思うようにこの塗色が描けずに苦心した記憶がある。

2年後の36年にパノラマカーが投入され、その後の増備によって順次本線の特急運用から外される運命であった。
撮影当時、5500系は主に支線直通の特急用に使用されていた。

40年は犬山線の定期特急運転開始の年、本線を行く5500系6連の新鵜沼行特急


河和線定期特急の運転は前年に開始、本線を行く5500系の河和行特急

1965.9 金山橋・神宮前

事故車を高運転台化した復旧車5509最後尾の4連新岐阜行急行

1965.7 須ヶ口駅

名鉄本線高速化時代の幕開けは、名鉄初代のSR車とされる高性能電車5000系が登場した昭和30年であった。
30年は、東海道線の米原電の完成により名鉄と競合する区間で国鉄が湘南電車の運転を開始した年である。

5000系は、カルダン駆動車、セミモノコック構造の軽量車体で、転換クロスシートが採用された。
前面形状は非貫通式、曲面ガラス使用の2枚窓で、名鉄の広報はユニークなタマゴ形の流線形車体と紹介していた。

全てが電動車で製造され、制御車5000形の中間に5050形2両を組入れた4両固定編成である。
30年、まず2編成が本線の特急に投入されてから、翌年に3編成を増備して5編成20両が出揃った。

32年、本線特急の混雑緩和のため6両運転を開始。中間電動車5150形を増備し全編成に2両組入れている。
その後39年に5150形を連結から外し、再び4連に戻された経緯がある。

34年の5500系投入以後は本線の特急運用から外され、撮影当時は犬山線、常滑線等の急行に使用されていた。

本線を行く5000系4連の河和行急行

1965.7 須ヶ口駅

本線を行く5000系4連の常滑行普通

1965.8 国府宮駅

39年、各務原線が1500Vに昇圧されて新鵜沼で犬山線と直通 犬山経由の5000系4連の新岐阜行急行

1965.8 犬山遊園駅

32年、5000系の改良型として、5200系が12両製造された。
本線の特急、急行のみならず、犬山線、常滑線の急行に高性能車を投入するための増備と記録されている。

前面貫通式、パノラミックウィンドウを採用、前照灯を3灯設置した垢ぬけたスタイルにモデルチェンジした。
5200系は、制御電動車5200形2両で組成、6編成が製造され、本線では6連で運行された。

39年、前述した5000系4連化によって外された中間車5150形が5200系に組入れられることになった。
これにより、2両1編成を除く5編成が5150形2両を連結した不揃いの2系統の4両固定に編成替えされた。

撮影当時、5200系は支線直通の特急、急行に使用されていた。
前述したとおり5500系と形状はほぼ変わらないが、屋根上のユニットクーラーの有無で容易に判別できた。

本線を行く5200系4連の河和行急行


39年から三河線直通特急に投入された5200系4連の碧南行特急

1965.9 金山橋・神宮前

5200系の4連碧南行特急、2、3両目に断面の異なる5150形を組入れ側面が不揃い

1965.7 須ヶ口駅


41年、パノラマカーを除くクロスシート車を中心に、ライトパープルへの車両の塗替えが開始された。
しかし、不評で1年後にストロークリームに赤帯塗装に変更し、SR車は43年にスカーレットに白帯塗装に再変更。
45年からはスカーレット一色への塗替えが始まり、全車統一されていくが、当時は目まぐるしい変更があった。
いずれにせよ、伝統の気品あるツートンカラーの特急色が消滅してしまうことが極めて残念であった。

次の写真は43年、開業前の東海道線、名鉄金山駅付近である。左奥に中央線金山駅ホームが見える。

ストロークリームに赤帯塗装の5200系、前方2両は旧塗装の5500系の4連常滑行特急

1968・3 中日球場前・金山橋   


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