鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

ジョルジーニョ監督と合意

2011年12月31日 | Weblog
ジョルジーニョ氏の来季監督就任について合意 2011/12/31
クラブOBのジョルジーニョ氏と、2012年シーズンの監督就任について合意に達しましたのでお知らせします。契約締結後、正式発表となります。

<プロフィール>
■監督名:ジョルジーニョ JORGINHO
■本名:ジョルジ・デ・アモリン・カンポス JORGE DE AMORIM CAMPOS
■生まれ:1964年8月17日、リオデジャネイロ生まれ
■指導者歴:
2006 アメリカRJ(伯)監督
2006-2010 ブラジル代表ヘッドコーチ ※2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会出場
2010 ゴイアスEC(伯)監督
2011 フィゲイレンセ(伯)監督 ※全国選手権7位、ブラジル年間優秀監督賞第2位
■選手歴:
▽クラブチーム
アメリカRJ(1982、伯)─CRフラメンゴ(1984、伯)─バイエル・レバークーゼン(1989、独)─バイエルン・ミュンヘン(1992、独)─鹿島アントラーズ(1995)─サンパウロFC(1999、伯)─CRヴァスコ・ダ・ガマ(2000、伯)─フルミネンセFC(2002、伯) ※2003現役引退
伯:ブラジル
独:ドイツ
(西ドイツ時代を含む)
▽代表チーム世界大会
1983 FIFAワールドユース(U-20)ブラジル代表
1988 ソウル五輪ブラジル代表(現在とは出場資格が異なりますのでU-23ではありません)
1990,1994 FIFAワールドカップブラジル代表
▽主な実績
フラメンゴ 1986リオ州選手権優勝、1987ブラジル全国選手権優勝
バイエルン 1993-94ブンデスリーガ優勝
鹿島アントラーズ 1996、1998Jリーグ優勝(1996年は年間最優秀選手)
Jリーグ通算103試合17得点
1997ナビスコカップ優勝(最優秀選手)、第77回天皇杯優勝
U-20ブラジル代表 1983ワールドユース優勝
ブラジル五輪代表 1988ソウル五輪銀メダル
ブラジル代表 1989コパ・アメリカ優勝、1994FIFAワールドカップ優勝
国際Aマッチ 67試合3得点
■クラブ歴代監督 ※カッコ内は就任年月(月表示のないものはシーズン最初から)
1.宮本征勝(1992)
2.エドゥ(1994.6)
3.ジョアン・カルロス(1996) リーグ1、天皇杯1、ナビスコ1回優勝
※関塚隆氏による監督代行期間あり
4.ゼ・マリオ(1998.8) リーグ1回優勝
5.ジーコ(1999.8、総監督)
6.トニーニョ セレーゾ(2000) リーグ2、天皇杯1、ナビスコ2回優勝
7.パウロ・アウトゥオリ(2006)
8.オズワルド オリヴェイラ(2007) リーグ3、天皇杯2、ナビスコ1回優勝
9.ジョルジーニョ(2011)


来季の新監督としてジョルジーニョと合意に至ったとのこと。
年の瀬に大きな報である。
12月22日にニッカンが報じて以来、続報がなかったため、不安に思っておった者も多かったであろう。
この公式発表で安堵の気持ちになったのではなかろうか。
世界を知り、鹿島を知り、勝利を知るこの人物が指揮を採ることで、鹿島は更なる新化を遂げるであろう。
ジョルジーニョと共に勝利に向かい進んでいきたい。

今年の漢字

2011年12月31日 | Weblog
[ ゆく年くる年:今年の漢字 鹿島 ]


いろいろなものが壊れてしまった1年だったように思う。東日本大震災によりクラブの活動は休止。キャンプで積み上げたものが壊れたままAFCチャンピオンズリーグが始まり、しばらくするとJ1リーグ戦も再開。オフに加入した新戦力が融合する時間もとれないまま、シーズンが終わってしまった。
また、ホームのカシマスタジアムは地震で甚大な被害を受け、使用できるようになったのは6月から。国立競技場での代替開催の影響もあってか、毎年5割以上を保ってきたホームでの勝率も、クラブ史上初めて割り込んでしまった。鹿島が誇ってきた神話が「崩壊」。今季でオズワルド・オリヴェイラ監督も退任し、来季からは新たな監督を迎えることが決定している。一つの時代が終わったことを告げる1年だった。


Text by 田中 滋

今年の漢字に「壊」を選出する田中氏である。
震災の影響は大きく、施設も記録も、そしてチームまでも壊れてしまった。
監督は退任し、チームの主力も移籍を決断した。
この影響は来年にも及ぼされる。
とはいえ、これを機会に来季は心機一転し、災い転じて福としたい。

2011年を振り返って

2011年12月31日 | Weblog
2011年を振り返ってみたい。

大量補強。
カルロンを筆頭にアレックス、ヒゲくん、西、そしてプラチナ世代の4人に加え、三月にはアルシンドの息子であるイーゴルが加入した。
リーグ戦の巻き返し、そしてアジア制覇を目指し大型補強を敢行したことが大きく報じられた。
これほどの大量補強は鹿島に於いては珍しい。
クラブとしての意気込みを感じさせられた。
その裏ではレンタルも含む大幅な選手放出があり、寂しい思いもあったことは事実である。

ユースにキッカ監督就任
ジーコに導かれ若き世代を指導することとなったキッカ監督は、震災にも心が折れることなく強化に努めた。
その結果、ユースは大躍進し、三人のトップ昇格がかなった。
来季以降も期待したい。

ゼロックス・スーパー杯。
1-1のドローもPK戦にて惜敗。
残念な結果ではあるが、練習試合としては悪くなかったように思える。

開幕戦。
ゴラッソを決められるも、三度追いつきドロー。
アディショナル・タイムの田代のヘディングが入っておれば、劇的逆転勝利であっただけに無念なスタートとなった。

ローテーションの採用。
ACLとリーグ戦を平行で進めるため、選手のローテーションを採用した。
大量補強がそれを可能にしたが、連携不足は否めなかったように思える。
選手固定を否定する声を毎年のように聞いたが、ローテーションにも弊害があることを理解したのではなかろうか。

震災。
鹿島だけでなく、日本全体に大きく影を落とした歴史的惨事である。
ただ、残念なのは十分に被災した茨城であるが、東北に比べて報道されなかったことは悲しい事実と言えよう。

不調。
震災でチームを一時解散し、再集合してACL、リーグ戦と戦ったものの、コンディションをそろえることが出来ず、チームの調子は上がらなかった。
カルロンやガブさんは、未曾有の震災と原発事故の影響で、本来の力を発揮出来なかった。
また、岩手の惨事を目の当たりにした小笠原満男主将は、サッカーに集中することは出来ず、チームの中心選手としての役割を全う出来なかったことも大きく影響した。

ACL敗退。
グループ・ステージこそ突破できたが、Round16はFCソウルに為す術なく敗戦。
悔しいを通り越した感情を持ったことは事実と言えよう。
震災を理由にするのは簡単ではあるが、カルロンの誤算と田代の負傷が痛かったことも付け加えたい。

伊野波、カルロン移籍。
伊野波はクロアチアに、カルロンはスイスへと旅だった。
伊野波の移籍はシーズン最初から予想されており、CBは中田コとの併用が成さされておった。
カルロンはほぼ戦力外となっておったので、二人の移籍とも特に問題はなかった。

夏場の好調。
苦手の八月を無敗とする好調を維持し、一時的に希望を抱かせた。
得点だけ見れば、結果を出した田代に注目が集まるが、大迫の自覚と成長が大きかったように思う。

ナビスコ杯制覇。
不調であったリーグ戦を尻目に延長戦を三度戦い、優勝を果たした。
MVPの大迫は全ての試合で得点を挙げ貢献。
岳のプレイにも魅せられた。
若手の躍動が感じられ、未来に夢を馳せられる大会となった。

リーグ戦。
序盤の躓きが響き、夏場こそ盛り返したものの秋の訪れより勝ちきれぬ戦いが続いて結果的に六位。
序盤こそ震災をいいわけに出来ぬではないが、後半は昨季と同様の決定力不足に泣いた。
そのためのカルロンであり、田代の復帰であったが、克服出来なかったと断言出来よう。
ホーム最終戦である、清水戦で本山が輝いたことが救いであったやも知れぬ。

オリヴェイラ監督退任。
ナビスコ杯の優勝から来季も指揮を採って貰えるようオファーを出し、本人も乗り気であったが、ブラジルへ帰国し退任となった。
非常に残念と言えよう。
子供との生活が理由と語っており、決断にはかなり苦悩したとFreaksでもAntlers Reportでも述べられておる。
采配を振るったこの五年全てに於いてタイトルを得た、素晴らしい指揮艦であったと言えよう。
彼の足跡は確実にクラブの歴史に刻み込まれた。
この経験はクラブの財産になったのである。

天皇杯敗退。
オリヴェイラ監督との最後のタイトルを目指して戦ったが、四回戦にて敗退。
チャンスはあったが、不甲斐ない失点にて京都に敗れた。
リーグ戦と同様の内容であったように思える。

来季に向けて。
監督の交代、主力である田代と野沢の流出など、最後の最後に波乱があった。
不安に思う部分も多かろう。
しかしながら、ジュニーニョの獲得、岡本の獲得と補強は怠りなく、新人も、日本代表にも選出経験のある山村くんに評判の高い伊東くん、鹿島を知っているユース三人衆と強力である。
新監督の下、必ずや国内征伐を果たしてくれるであろう。

良いお年を。