鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

ジュニーニョ、正式決定

2011年12月27日 | Weblog
ジュニーニョ選手の加入について 2011/12/27
2012シーズンよりジュニーニョ選手が川崎フロンターレから加入することが決まりましたのでお知らせします。2012シーズン終了までの1年契約となります。

<選手プロフィール>
■選手名:
カルロス アルベルト カルヴァーリョ・ドス・アンジョス・ジュニオール
Carlos Alberto Carvalho Dos Anjos Junior

■登録名:
ジュニーニョ(Juninho)

■生まれ:
1977年9月15日、ブラジル バイーア州

■ポジション:
FW

■サイズ:
174センチ、67キロ

■経歴: ※カッコ内は加入年。川崎、鹿島以外はブラジルのクラブ
ECバイーア(1996)─ヴィラノヴァFC(1999)─ウニオン サンジョアンEC(2000)─SEパルメイラス(2000)─川崎フロンターレ(2003)─鹿島アントラーズ(2012)

■日本での公式戦成績:
J1リーグ通算 205試合107得点
J2リーグ通算 78試合65得点
ヤマザキナビスコカップ通算 39試合23得点
天皇杯通算 15試合10得点
AFCチャンピオンズリーグ通算 16試合6得点

■個人タイトル:
J2リーグ得点王(2004)
J1リーグ得点王(2007)
Jリーグベストイレブン1回(2007)


今朝、報じられたジュニーニョであるが、正式加入が決まった。
これは素直に喜びたい。
ここまで、やられ続けてきたジュニーニョが味方に加わるのは大いなる補強と言えよう。
高い決定力で鹿島に勝利をもたらせて欲しい。
赤き野獣・ジュニーニョに期待大である。

岡本、鹿島に加入

2011年12月27日 | Weblog
岡本 英也選手が完全移籍で加入 2011/12/27
岡本英也選手がアビスパ福岡から完全移籍で加入することとなりましたのでお知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
岡本 英也(おかもと・ひでや)

■生まれ:
1987年5月18日、大阪府出身

■サイズ:
183センチ、70キロ

■ポジション:
FW

■経歴:※カッコ内は加入年
ガンバ大阪堺ジュニアユース(2000)-ガンバ大阪ユース(2003)-ガンバ大阪(2006)-アビスパ福岡(2009)─鹿島アントラーズ(2012)

■公式戦成績:
J1リーグ 33試合8得点
J2リーグ 70試合8得点
Jリーグヤマザキナビスコカップ 2試合0得点
天皇杯 8試合2得点
AFCチャンピオンズリーグ 1試合0得点
スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点

■岡本選手コメント

アントラーズという素晴らしいチームでプレーできることに本当に感謝しています。
1試合でも多く、チームの勝利に貢献できるよう、精一杯頑張りますので応援よろしくお願いいたします。


福岡の岡本が鹿島に加入する。
これは驚きのニュースである。
岡本には田代の穴を埋めるべく活躍して欲しいところ。
また、スルガ銀行チャンピオンシップの出場経験があることも重要である。
この国際経験を活かし、鹿島にタイトルをもたらせて欲しい。
楽しみである。

川俣復帰

2011年12月27日 | Weblog
川俣慎一郎選手の復帰について 2011/12/27
ベガルタ仙台に1年間の期限付きで移籍していた川俣慎一郎選手が、契約期間満了により2012シーズンよりアントラーズに復帰することになりましたのでお知らせします。

<選手プロフィール>
■選手名:
川俣 慎一郎(かわまた・しんいちろう)

■生まれ:
1989年7月23日、静岡県出身

■ポジション:
GK

■サイズ:
188センチ、82キロ

■経歴:カッコ内は加入年
原里スポーツ少年団─ACNジュビロ沼津ジュニアユース─鹿島アントラーズユース-鹿島アントラーズ(2008)─ベガルタ仙台(2011)

■公式戦成績:
公式戦出場なし

■主な代表歴
2006新潟国際ユースU-17日本代表
2009カタール国際U-20日本代表

<川俣 慎一郎選手コメント>

1年間忘れることのなかった鹿島で再びプレーできることをとても嬉しく思います。仙台で学んだことを生かし、チームの優勝に貢献できるよう頑張っていくので、応援よろしくお願いします。

仙台にレンタルしておった川俣が復帰するとのこと。
これは嬉しい。
ホームの仙台戦に於いてはベンチ入りし、凱旋したもののポジションを奪うまでには至らなかった。
ここは心機一転し、鹿島でのポジション争いに参入することとなる。
ポスト曽ケ端がさんまなのか川俣なのか、いまいち君なのか楽しみである。

杉山、札幌移籍

2011年12月27日 | Weblog
杉山 哲選手がコンサドーレ札幌へ移籍 2011/12/27
2011シーズン限りでアントラーズとの契約が満了した杉山 哲選手のコンサドーレ札幌への移籍が決定しましたのでお知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
杉山 哲(すぎやま・てつ)

■生まれ:
1981年6月26日、熊本県出身

■サイズ:
184センチ、78キロ

■ポジション:
GK

■経歴:※カッコ内は加入年
宇土東小学校-宇土鶴城中学校-熊本国府高校-福岡大学-鹿島アントラーズ(2004~)

■公式戦成績:
Jリーグヤマザキナビスコカップ 1試合出場

■代表歴:
2001年 東アジア大会日本代表 (於大阪:優勝)
2001年 ユニバーシアード日本代表 (於中国・北京:優勝)
2003年 ユニバーシアード日本代表 (於韓国・大邱:優勝)

<杉山選手コメント>

このような形で鹿島を離れることになりましたが、8年という長い間いろんな仲間とサッカーができて幸せでした。サポーターやファンの皆さんに温かく応援してもらい、充実した8年間でした。心残りはリーグ戦に出場することがかなわなかったこと。この経験を生かして、これから違うチームでしっかり結果を求めてやっていきたいと思います。引き続き応援していただければ幸いです。

12月4日に契約満了が発表されトライアウトに参加しておった杉山であるが、札幌への加入が決まったとのこと。
これは重畳。
同じカテゴリーであるJ1で戦うこととなったため、相見える日もあるやも知れぬ。
お互い切磋琢磨してその日を待ちたい。
対戦が楽しみである。

観客動員数は前年比77.1%

2011年12月27日 | Weblog
震災、人気クラブも直撃…J1入場者14%減


 Jリーグが発表した今季の入場者数総括によると、J1の1試合平均は1万5797人と、前年から約14・3%の大幅減となった。

 史上2位の1万9202人を記録した2008年から3年連続で下落。東日本大震災による大幅な日程変更や、人気クラブの苦戦などが響いた形だ。

 最も大きく数字を落としたのは、被災地の鹿島で、前年比約22・9%減の1万6156人と2万人台を割った。本拠地のカシマスタジアムが被災して6月までリーグ戦で使えなかったなどの事情があった。仙台も、6月は2試合で平日日中の開催を強いられたが、チームの4位躍進で1割程度の落ち込みに食い止めた。

 目立つのは、平均観客数が多い人気クラブの落ち込みだ。前年に2万5000人台を達成した横浜Mは、優勝争いに絡みながらも約18・1%減。浦和もリーグ中最多の座は守ったが、下位に低迷したこともあり、2番目に多い新潟とともに15%ほど落とした。

(2011年12月27日10時08分 読売新聞)

今季、最も入場者数の数字を落とした鹿島である。
これは痛い。
震災による日程変更に、カシマスタジアムが使えなかったこと、などが理由に挙げられよう。
しかしながら、不甲斐ない成績に終えたことも大きな要因である。
成績についても震災の影響は大きかったと言えなくもないが、やはり、決定力に問題があることは明白。
この部分に大きくメスを入れるであろう来季の新生・鹿島はどのような変貌を遂げるのであろうか。
強い鹿島を聖地に甦らせ、観客をスタジアムに呼び込みたい。

ジュニーニョに正式オファー

2011年12月27日 | Weblog
ジュニーニョと交渉、最終局面に…鹿島
 鹿島が昨季まで9年間川崎に在籍したFWジュニーニョ(34)に対し、獲得の正式オファーを出したことが26日までに分かった。関係者によれば、すでに交渉は最終局面を迎えており、近日中に結論が出る見込みだという。

 鹿島は今オフ、決定力不足解消、マークが集中したFW興梠への負担軽減を目的に、得点力のあるブラジル人FW獲得を最優先課題に据えてきた。11月にはブラジルまで強化担当者を派遣。新戦力発掘に努め、複数の候補選手をリストアップした中から、J1通算107得点(出場205試合)と実績のあるジュニーニョに絞り、交渉を行ってきた。

(2011年12月27日06時01分 スポーツ報知)

12月16日にリストアップ、12月21日には本格調査に入ったと報じられておったジュニーニョであるが、正式にオファーを出したとのこと。
彼ほどの実績を持つ選手を移籍金0円で得られるのは大きい。
調査に調査を重ねたオファーであるので、負傷やジュニーニョ本人の意向なども鹿島に揺らいでおると考えて良かろう。
金銭面でもさほど問題がないのではなかろうか。
ジュニーニョには是非とも鹿島のユニフォームを纏って欲しい。
吉報を待ちたい。

鹿島ライン、ロンドン五輪へ後押し

2011年12月26日 | Weblog
U22がジーコとタッグ!イラク弟分と試合
 “神様”が関塚ジャパンのロンドン五輪出場を後押しする。U-22(22歳以下)日本代表が、元日本代表監督のジーコ氏(58)がA代表の監督を務めるイラクのU-22代表(アルエラヤウィ監督)との練習試合を調整していることが25日、分かった。ジーコ監督は直接指揮しないものの、大切な橋渡し役になる。アジア最終予選シリア戦(2月5日)前に、1月25日から行うカタール合宿での貴重な強化試合になり、仮想中東勢としては最高のマッチメークと言える。同地では元鹿島監督のパウロ・アウトゥオリ監督(55)率いるU-22カタール代表とも強化試合を調整中だ。同代表はこの日、千葉県内で短期合宿を開始した。

 日本のサッカー界に多大な貢献をしたジーコ氏が、再び日本サッカー界とタッグを組む。5大会連続の五輪出場を目指すU-22日本代表との強化試合の懸け橋となり、ロンドンへ続く道を明るく照らす。

 アジア最終予選を戦う同代表は、来年2月5日にアウェーでのシリア戦を控える。勝利すれば予選突破に大きく前進する一戦を前に、1月25日からカタールでの中東合宿を行う。その地でジーコ氏が9月から指揮するイラク代表の「弟分」にあたる五輪代表との試合が組まれる可能性が高くなった。同じ中東勢と、敵地決戦を前に、これ以上ない予行演習になる。

 まだ最終決定はしていないが、関係者は「2試合組みますが、どちらも中東にいるチームです。ちゃんとやってくれるところです」とし、交渉は順調に進んでいる。U-22イラク代表もアジア最終予選を戦っており、お互いにとって、五輪出場権獲得へ、最高の強化試合になる。

 カタールでのもう1試合も、中東勢で調整中だ。U-22カタール代表で、06年に鹿島を率いたアウトゥオリ監督が指揮を執っている。選手、総監督として深く鹿島にかかわったジーコ氏、鹿島時代にコーチ業で研さんを積んだ関塚監督と同様、アウトゥオリ監督も鹿島と縁深い人物だ。2試合とも中東勢と組めれば、予習は完璧になる。日本の名門が作る“鹿島ライン”が、ロンドンへの大きな後押しとなる。同代表も最終予選を戦っており、3チームとも境遇は同じで、障害なく交渉は進んでいくものとみられる。

 内乱の影響でシリアが国内で試合を行うことは難しく、2月の試合は中立地開催がほぼ決定している。場所はヨルダンが有力だ。6月のアジア2次予選では、敵地のクウェート戦で1-2と敗れた。苦杯をなめた中東での戦いで同じ轍(てつ)は踏めない。神様の力を借りて、何としても勝利をつかむ。【阿部健吾】

 ◆ロンドン五輪出場への条件 アジア最終予選各組1位が出場権を獲得する。各組2位の3チームはアジア第4代表を決めるアジアプレーオフ(マレーシア)に進み、セントラル方式のリーグ戦を実施。首位のチームがアフリカ第4代表とホームアンドアウェーの大陸間プレーオフを行い、その勝者が五輪出場権を得る。

 ◆日本代表監督後のジーコ氏と日本人選手 指揮官ジーコ氏と日本人選手との対戦は少ない。ジーコ氏がフェネルバフチェ(トルコ)の監督をしていた06年2月3日、07年5月19日に、稲本潤一(現川崎F)のガラタサライと2度対戦。いずれも稲本はフル出場しながら、ジーコ氏のフェネルバフチェが2-1で勝った。

 [2011年12月26日6時47分 紙面から]

イラク代表監督を務めるジーコの厚意でU-22練習試合を調整出来そうとのことである。
これは素晴らしい。
また、アウトゥオリが指揮するU-22カタール代表との試合も調整中とのこと。
関塚、ジーコ、アウトゥオリと鹿島に縁深い人々の尽力でU-22日本代表はロンドンを目指す。
楽しみにしたい。

山村くん、異種目アスリートから刺激を受ける

2011年12月26日 | Weblog
山村復帰!なでしこ丸山と励まし合った

骨折から復帰した山村は別メニューで練習をする(撮影・たえ見朱実)

 U-22(22歳以下)日本代表MF山村和也(22=流通経大)が25日、左足小指骨折によるリハビリから代表復帰を果たした。この日は別メニューだったが「ある程度走れるようになったし、順調です」。都内の国立スポーツ科学センターでのリハビリでは、なでしこジャパンのFW丸山桂里奈(28=千葉)らと励まし合ってきた。来年も主将就任が濃厚で、今日26日に合流するFW大津祐樹(21=ボルシアMG)ら海外組については「いつも通りの、いい雰囲気で迎えたい」と話していた。
 [2011年12月26日7時5分 紙面から]

山村パワーUP!なでしこ丸山とリハビリ
2011.12.26 05:01


左足小指付け根の骨折から回復した山村和也

 サッカー・U-22日本代表候補合宿(25日、千葉県内)左足小指付け根の骨折で11月のアジア最終予選2試合でメンバーから外れたMF山村(流通経済大)が復帰。別メニューながらボールを蹴る練習もこなし「久しぶりの雰囲気の中でやれるのはうれしい」と頬を緩めた。離脱中には都内施設で右ひざ靱帯(じんたい)を負傷していた女子代表FW丸山桂里奈(千葉)とともにリハビリをこなした。「なでしこのこととかいろんなことを話しました」と“なでしこパワー”を御利益に五輪での再会を誓っていた。(習志野市)
(紙面から)


U22山村 3か月ぶり合流、筋トレでパワーアップ
U―22日本代表候補合宿


日本代表候補合宿初日、別メニューで調整する山村(右)
Photo By 共同


 U―22日本代表MF山村が左第5中足骨亀裂骨折から復帰して約3カ月ぶりにチームに合流した。

 練習は別メニュー調整だったが、スパイクを履き左足でボールを蹴るなど順調な回復ぶりを印象づけた。リハビリ中は積極的に筋力トレを行い「ケガをする前は筋トレがおろそかになっていたので、もう一度見つめ直した」とパワーアップに成功。リハビリ施設ではフェンシングや柔道など他競技の選手との交流もあり「意識の高い集団の中で刺激を受けた」と収穫を強調した。



<サッカーU-22代表合宿>流経大・山村が別メニュー調整する

[ 2011年12月26日 06:00 ]

U-22日本代表候補合宿で汗を流す山村くんである。
別メニューながらもチームに合流し、自分のおるべきところを再認識した様子。
また、リハビリ中は異種目の選手と交流し、アスリートとしての意識を高めたとのことで、来季からのプロ生活に弾みが付くと思われる。
負傷を完全に治し、そして気持ちを高えたところで鹿島に合流して欲しい。
期待しておる。

2012ユニフォーム決定

2011年12月25日 | Weblog
2012ユニフォームについて 2011/12/25
2012ユニフォームについて以下の通りデザインが決定しましたのでお知らせします。



<ファースト>
 ファーストはチームカラーであるディープレッド(県花のバラの色)を前面に打ち出し、「原点に戻る」意味を込めたシンプルなデザインとした。これまでのユニフォームにも必ず取り入れてきたネイビー(紺)をポイントとしてあしらっている。

<セカンド>
 20年にわたって“第2のチームカラー”の意味を持ってきたネイビーを、初めてベースカラーとして採用した。これにホームタウン5市(鹿嶋、潮来、神栖、行方、鉾田)を象徴するブルーを加えたデザインとなっている。

<サード>
 2009シーズン以来3年ぶりに採用するサードユニフォームは、相手チームとのカラーマッチング上、ファーストもセカンドも着用できないケースで使用することを想定し白をベースとした。2011ヤマザキナビスコカップを含め、近年のタイトル獲得時に着用していたケースが多い「勝利の白」に、セカンドユニフォーム同様ホームタウンを象徴するブルーを加えている。
<ホームタウンブルー>
 セカンド、サードのデザインに加えたブルーは、水郷筑波国定公園に位置し利根川・霞ヶ浦両水系と太平洋に囲まれたホームタウンをイメージしている。このブルーについては、2008年以来右肩につけているホームタウンマークにおいてもベースカラーとなっている。


2012年ユニフォームについて公式発表がなされた。
1stユニについてはFreaksにて発表になっておったので、想定の範囲内であるが、驚きは2ndユニであろうか。
濃紺のユニフォームを纏いアウェイにて勝利を積み重ねたい。
楽しみである。

ユース、アルカス国際大会出場へ

2011年12月25日 | Weblog
鹿島弟vsバルサ、ユーベ、アヤックス
 鹿島の「弟分」が世界の強豪と相まみえる。鹿島ユースが、バルセロナやユベントス、バスコ・ダ・ガマなど超名門の下部組織が出場するU-17アルカス国際大会(来年1月8~17日、ドーハ)に出場することが分かった。鹿島関係者が24日、明らかにした。

 同国際は、11月の日本代表ドーハ合宿でも練習場として使用されたアスパイア・ゾーンで開催される。バルセロナやユベントスなどに加え、PSG、アヤックスも参加。開催国カタールからはエリート養成機関のアスパイア・アカデミーの2チームが出場する。

 鹿島ユースは今季からブラジル人のキッカ氏が監督に就任。育成部門のさらなる充実を図り、プリンスリーグ関東1部で優勝。来季の同プレミアリーグへの昇格も決めた。U-17日本代表DF鈴木ら3選手は、来季からのトップ昇格が決定している。育成面の成果が出ているところに、さらに刺激を与える。

 鹿島ユースの中東遠征は初の試みだ。伸び盛りの選手たちが、バルセロナやユベントスの同年代の選手と実戦で激突する貴重なチャンス。この経験は、未来のトップチームを支える人材輩出につながるはずだ。

 [2011年12月25日6時52分 紙面から]

ユースがU-17アルカス国際大会に出場とのこと。
これは素晴らしい。
今季、キッカ監督の下、大躍進を遂げたユースチームが更に強化されることとなろう。
ユースが強化されることにより、トップも力を付けることとなる。
若き世代に良い経験を積み、大きく羽ばたいて欲しい。
ユースチームの飛躍を期待しておる。

さらば、小谷野

2011年12月24日 | Weblog
小谷野 顕治選手がアルビレックス新潟に完全移籍 2011/12/24
小谷野 顕治選手がアルビレックス新潟に完全移籍することとなりましたので、お知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
小谷野 顕治(こやの・けんじ)
■生まれ:
1988年6月22日、茨城県出身
■ポジション:
MF
■サイズ:
170センチ、62キロ
■経 歴:カッコ内は加入年
鹿島アントラーズジュニア-鹿島アントラーズジュニアユース(2001)-鹿島アントラーズユース(2004)-鹿島アントラーズ(2007~)
■公式戦成績:
J1リーグ 4試合0得点
ナビスコカップ 0試合0得点
天皇杯 2試合0得点
AFCチャンピオンズリーグ 2試合0得点

■小谷野選手コメント
『ありがとうございました』という言葉では表現できないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。小学校1年生の頃から17年間、スタッフやファンの方々を含め、本当にいろいろな人たちにお世話になりました。自分を育ててくれたクラブで十分にチームに貢献できなかったことは残念ですが、アントラーズでの経験を次のステップに生かしたいと思います。鹿島は僕のルーツであり、ここでサッカーをできたことは誇りです。この先どこに行ってもアントラーズへの気持ちは変わりません。

鹿島アントラーズから小谷野 顕治選手 移籍加入のお知らせ
いつもアルビレックス新潟に温かいご声援をいただきまして、誠にありがとうございます。当クラブでは、鹿島アントラーズより、小谷野顕治選手(23)の完全移籍加入が決定いたしましたので、お知らせいたします。

小谷野 顕治 選手 Kenji KOYANO
■ポジション
MF

■生年月日
1988年6月22日(23歳)

■身長/体重
170cm/62kg

■出身地
茨城県

■経歴
鹿島アントラーズJrユース→鹿島アントラーズユース→鹿島アントラーズ

■出場記録

J1リーグ通算:4試合出場0得点、カップ戦通算:0試合出場0得点、天皇杯通算:2試合出場0得点、AFCチャンピオンズリーグ通算:2試合出場0得点

■コメント

今回の移籍は僕にとって新天地での大きな挑戦となります。
鹿島での経験を生かし、これまで以上に試合に出場して、チームに貢献できるように頑張りたいです。ビックスワンで大きく羽ばたけるよう、常に全力で挑みたいと思います。北信越の冬は寒いと聞いていますが、それに負けないファンの皆さんの熱い応援を期待しています。


12月20日に報じられたように小谷野が新潟に完全移籍することとなった。
新潟の黒崎監督から請われての移籍だけに、出場機会はかなりあるのではなかろうか。
小谷野は練習試合ではかなりの得点を決めており、ゴール感覚に優れる攻撃的MFである。
その才覚を認められ、ACL・シドニーFC戦に於いて先発出場を果たしておる。
この際、鈴木満強化部長からドルトムントの香川真司に例えられるほどの賛辞を得ておった。
伊達にメニコンカップMVPではないのである。
黒崎監督の指導で、小谷野の攻撃力に更に磨きがかかることであろう。
小谷野のドリブルで新潟に勝利を呼び込むのだ。
新潟・小谷野の活躍に注目である。

さらば、當間

2011年12月24日 | Weblog
當間 建文選手が栃木SCに完全移籍 2011/12/24
當間 建文選手が栃木SCに完全移籍することとなりましたので、お知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
當間 建文(とうま・たけふみ)
■生まれ:
1989年3月21日、沖縄県出身
■ポジション:
DF
■サイズ:
178センチ、72キロ
■経 歴:カッコ内は加入年
宇栄原FC-小禄中学校(2001)-東海大学付属第五高校(2004)-鹿島アントラーズ(2007~)
■公式戦成績:
J1リーグ 3試合0得点
ナビスコカップ 0試合0得点
天皇杯 4試合0得点
AFCチャンピオンズリーグ 0試合0得点
■代表歴:
U-18日本代表、U-20日本代表、U-21日本代表
■當間選手コメント
プロに入ってから5シーズン、いろいろな経験をさせてもらい、感動を味わわせてもらいました。もっともっと試合に出て恩返ししたかったのですが、それができなくて申し訳なく思っています。次のチームで活躍して、またアントラーズに帰って来られるような選手になりたいと思います。応援ありがとうございました。また皆さんに応援していただけるよう頑張ります。

當間 建文選手 完全移籍加入のお知らせ
この度、鹿島アントラーズ(J1)所属の當間建文選手が栃木SCに完全移籍することが決定致しましたので、下記の通りお知らせ致します。



當間 建文(Takefumi TOMA)選手
■生年月日 : 1989年3月21日(22歳)
■出身地 : 沖縄県
■ポジション : DF
■身長/体重 : 178cm/72kg
■利き足 : 右足
■経歴 : 宇栄原(うえばる)FC(沖縄県) → 小禄(おろく)中(沖縄県)→ 東海大学付属第五高校(福岡県) → 鹿島アントラーズ(2007~)
■代表歴 : U-18日本代表、U-20日本代表、U-21日本代表
■出場歴 : 
西暦   チーム      リーグ戦      カップ戦      天皇杯
                出場  得点    出場  得点   出場  得点
2007  鹿島  J1      0    0      0    0     0     0
2008  鹿島  J1      0    0      0    0     0     0
2009  鹿島  J1      0    0      0    0     0     0
2010  鹿島  J1      1    0      0    0     3     0
2011  鹿島  J1      2    0      0    0     1     0
通算        J1      3    0      0    0     4     0

【當間 建文選手コメント】

「栃木の一員になれてうれしく思いますが、一員になるだけでなく栃木に貢献できる選手になりたいと思います。早く始動して欲しくてワクワクしています。J1昇格を目指して頑張りますので、ファン・サポーターの皆さんには1試合でも多くスタジアムに足を運んでいただきたいと思います。応援よろしくお願いします。」

當間が栃木SCへ移籍。
予期しておったものの、実際に現実となると胸にこみ上げるものがある。
當間は篤人に憧れ右SBを目指したが、篤人の壁も、そして鹿島のSBのタスクの難しさも乗り越えることが出来ず移籍となった感が強い。
とはいえ、2010年の天皇杯・アルテ高崎戦では先制点をアシストしており、攻撃力の高さは魅せておった。
今年の天皇杯・筑波大学戦では左SBとして先発フル出場したが、タルタとのコンビネーションに難を示しておる。
攻撃的センスを見せつける絶好の場であっただけに残念であった。
来季は栃木のJ1昇格への起爆剤となれるよう、守備に攻撃に活躍して欲しい。
楽しみにしておる。

さらば、タルタ

2011年12月24日 | Weblog
タルタ選手との契約が満了 2011/12/24
フルミネンセから半年間の期限付きで移籍していたタルタ選手について、契約を更新しないことが決まりましたのでお知らせいたします。

<選手プロフィール>
■本 名:
ヴィニシウス シルバ ソアレス
Vinicius Silva Soares
■登録名:
タルタ TARTA
■生まれ:
1989年4月13日、リオデジャネイロ市生まれ
■国 籍:
ブラジル
■ポジション:
FW
■サイズ:
171センチ、65キロ
■経 歴:
フルミネンセFC(2008)-アトレチコ パラナエンセ(2010)-フルミネンセFC(2011)-鹿島アントラーズ(2011.7~)
■代表歴
2007 U-18ブラジル代表(仙台カップ国際ユース出場)
■公式戦成績:
J1リーグ 7試合0得点
ナビスコカップ 2試合0得点
天皇杯 2試合0得点


この夏からレンタルで所属しておったタルタとの契約は満了で退団とのこと。
これは少々寂しい。
若きタルタに助っ人としての活躍は難しかったのやも知れぬ。
途中加入という状況も戦術理解に時間を与えられず、タルタにとっては不幸であった。
ここで、鹿島とは別れることとあるが、この先もサッカー人生は続く。
大きく成長して、再び鹿島の地を踏んで欲しいところ。
これからのタルタに栄光あれ。

自主練中

2011年12月24日 | Weblog
2011年12月24日(土)

今日はチームオフとなっておりますが杉山選手、大迫選手、西選手が自主トレを行いました。

自主練を行う西と大迫である。
若手のカテゴリーに属する二人は、今季の出来に不満足であろう。
もっともっとやれたはず。
そう思っておるのではなかろうか。
来季は今季以上に活躍し、チームに貢献して欲しい。
それだけの才能を持つ選手であることは誰もが知っておる。
期待しておる。

山形・奥野監督、鹿島イズムを持ち込め

2011年12月24日 | Weblog
山形奥野新監督「J1昇格がすべて」

中井川GMと握手する山形奥野新監督(右)

 来季J2に降格する山形は23日、天童市内で奥野僚右新監督(43)の就任会見を行った。当初は緊張した様子だったが「1年でJ1昇格することがすべての目標であり、目的。昇格するためだけに来た」と自ら退路を断った。Jリーグ初監督で、指揮を執る経験は浅くとも、昇格請負人になる覚悟だ。

 J1最下位に沈んだチームをゼロから立て直す。「(現時点で)選手の評価は下していない。所属するすべての選手たちを見ていきたい」と横一線を強調。さらに「敵として山形を見てきて足りないと感じたものは」という質問には「弱点になる部分をわざわざ口にする必要はないと思う。お答えできず、申し訳ありません」と切り返した。穏やかな物腰の中に時折、常勝軍団鹿島に身を置いてきたしたたかさを漂わせる。

 2年の浪人生活を経て早大に入学した苦労人で、座右の銘は「虚心坦懐(たんかい)」。家族5人で山形に引っ越すことを決め「趣味は温泉巡りと散歩。県内をくまなく回ってみたい」と胸を高鳴らせている。フレッシュな“J監督1年生”に、チームの再建が託された。

 [2011年12月24日10時37分 紙面から]

奥野新監督、再建へ鹿島イズムでJ1昇格…山形

チームキャラクターのディーオ人形を掲げる山形の奥野新監督

 モンテディオ山形の奥野僚右新監督(43)が23日、山形市内のクラブ事務所で就任会見を行った。来季は4年ぶりのJ2となる山形は、Jリーグ通算15冠の鹿島で8年間コーチを務めた、若き指導者に再出発を託した。新監督本人も、1年でのJ1復帰を宣言して決意の1年契約を締結。さっそうと登場した山形の“オクノ手”が、再建にむけて舵(かじ)を取る。

 ぎこちない話し方が初々しかった。奥野新監督は、こわばった表情で第一声。「多少、緊張しているので口が滑らかではないですが」と前置きして抱負を語った。「Jリーグの監督として山形でスタート。クラブの歩みに名を連ねられて、大変光栄です」。1年1年が勝負という信念に基づく単年度契約。断固たる決意で山形の指揮官に就任した。

 鹿島イズムを持つ男だ。中井川茂敏GM(53)は、「優秀な3人のブラジル人監督の下での、8年間の指導経験は大きい」と招へい理由を説明した。DF出身ながら、今季まで在籍した鹿島では攻撃の練習を担当。居残り練習でもFW大迫勇也(21)にシュートを教え、U―22日本代表に送り込んだ。今季の山形はJ1最少の23失点。降格の最大要因は得点力不足。解消するには、これ以上ない人材を獲得できた。

 勤勉で実直な人間性で知られる。京都・山城高から2浪して早大に進んだ苦労人。「バイオメカニクスを学びたかった」と、人間科学部でフィジカルコーチも兼務できるほどの知識を身につけた。自宅に若手を招き食事を振る舞いながら、鹿島の教えを伝えた姿勢も、若返りを図るモンテには適任だ。さらに山形の監督には必須!?の田植えにも前向き。「土に触れることはとてもいいこと。畑仕事は大好きです」と、ブランド米・つや姫が胸スポンサーのクラブにはもってこいの人材だ。

 就任決定後は、サッカーを考えすぎて就寝前には頭痛がするという。「いかに頭を使ってこなかったか。現役時代も、いい試合の後はそうだった」と、サッカー人としてのスイッチはオンになっている。「J1昇格のためだけに山形に来ました」。目標を語った時だけは、言葉は滑らかだった。

 ▽生年月日、出身地 1968年11月13日、京都市出身。
▽サッカー歴 小1から始めて鹿島、川崎などで35歳まで現役。指導歴も含めると通算36年。
▽家族 夫人と2男1女。山形の監督就任は、「小4の次男に背中を押されて決めました」。一家で転居する。
▽趣味 温泉巡りと散歩。「県内をくまなく散策したい」と、今月5日に視察した際には山寺を訪問した。
▽自己分析 細かさと大雑把さが混在。「メンタル? 弱いかな」と謙虚。
▽座右の銘 虚心坦懐(きょしんたんかい)「わだかまりなく素直に物事を受け入れたい」

(2011年12月24日10時43分 スポーツ報知)

山形の奥野新監督会見がニュースになっておる。
山形に鹿島イズムを持ち込むこととなろう。
鹿島での経験が山形で開花することを望む。
是非とも攻撃サッカーでJ2を席巻して欲しい。
楽しみにしておる。