強くあることをイメージすればその通りになる、という説があります。私など学歴偏重の風潮の中で育った世代は特にそういう刷り込みのようなものがあるのではないでしょうか。『ハングリー』であることを良しとする風潮ともいいましょうか。最近でこそ全ての分野において『競争』をあおる言説が多いのですが、以前から科学の分野では他国との『競争』を意識し『頑張らねばならない』という空気があります。特に戦後は日本もヨーロッパもアメリカに如何に対抗していくかというスタンスであるように思います。私も長年そのような雰囲気の中で仕事をしてきました。現在の職場にもこの傾向はあって、人々はかなり醜悪な争いを水面下でしています。
その中でいつも不思議に思っていたことがあるのです。これまで何度か本当に素晴らしいなぁ、という仕事をされている欧米、日本の学者の方とお会いしてお話させて頂く機会がありました。そうしますと、そういう方は実に静かで謙虚なのです。そして淡々と努力をされているのでした。しかも楽しそうに。自分が属している社会での常識である「ギラギラしたハングリーさがなくてはだめだ!」というものとはまったく異なった人々でありました。それ以来、自分のなかに何らかの違和感が芽生え、それはずっと埋み火のようにあったのでした。
「正しい努力」とは何であるか。「強い願望に根ざした執着による努力」との相違とは何か、を考えます。
先日、かなりひからびてしまって心配していたバジルと朝顔でしたが、いまはもうどちらも元気一杯です。朝顔は立派な花を咲かせていますし、バジルも青々とした葉を拡げ、元気そうにしてくれています。残念なのはアップルミントで、もしかしたら枯れてしまったかもしれません。同じプランターに植わっていたスペアミントやグレープフルーツミントなどは元気にしているのですが。乾燥に弱いのかもしれません。斑入りの葉で優しい感じの姿がお気に入りだったのですが。
お盆に入り、私もしきりと故人になった方々を憶いだします。知り合いに若くて亡くなった方が沢山おりまして。
知り合いのお父様はシベリアに抑留され帰還された方です。その方は定年後図書館に通い詰めて、先の戦争に関する何事かを調べていらっしゃったようです。何を調べているのか知り合いが尋ねても教えてくれなかったそうです。また、シベリアでのことについても決して語らなかったようです。その方も沢山の方を見送ったはずです。決して忘れることができなかったのではないかと思います。私も一度お会いしたことがありますが、小柄な方でしたが非常に強い意志のようなものを感じました。印象深く、心に残っています。
日本では戦争で過酷な体験をされた方は次々に旅立たれています。平和な世界に生まれ生活できることが、どんなにありがたいことであるかを認識できるかどうかは、人々の想像力にかかっています。これからますますその力が必要になっていきます。平和な世界は退屈だという感覚が自然災害や戦争などの破壊の縁を呼ぶのだと思います。一方で、創造の前提には常に破壊があります。破滅へ向かう破壊と創造を指向しての破壊について、私たちは敏感であるべきでしょう。破壊それ自体を恐れることは自然に反することです。気をしっかりともって惑わされることのないようにしたいと思います。
東京はこれから数日は別世界のように静かになります。故人を偲ぶのにふさわしい静けさで、毎年不思議におもっておりました。週末は私も実家に行って、家族で母のことなどを静かに憶いだしたいと思います。
このところ太陽の活動が活発です。黒点数も多く、宇宙天気ニュースも賑やかです。先日など大きな黒点であるため、太陽観察用の黒いシートを通して観察すると肉眼でも黒点が観察できたようです。先週のもっとも黒点数の多かった日には家族で海におりました。海はキラキラと輝いてほんとうにきれいでした。何を考えるということもなく波の様子をながめていました。波はおもしろく、飽きません。砂浜では波が引いたあと、二枚貝があわてて砂に潜っていきます。小さなカニも波打ち際まで行っては、波が打ち寄せるとそれっとばかり波から逃げる、というのを繰り返しています。彼らも遊んでるようにみえますが、彼らにとってはそれが生きてやるべきことなのでしょう。それぞれの生き物はその生き物らしく生きて活動するべきなんだろうなぁ、と思っていました。
ところで、催眠です。催眠療法というものが技術として存在しているのですが、使い方によっては人を廃人にする可能性があります。いわゆる医師のおこなう治療ではなく、日本では国家資格もありません。
ずいぶん昔から催眠はあります。食べられなかったものが食べられるようになったり、立てないと思っていた人が立てたり、最近ではノダメにもありました。暗示を受けやすい変成意識状態を作り出し、無意識に働きかける「技術」だそうです。いかにも憑依現象を招きそうな技術ではあります。洗脳やマインドコントロールなどへはあと一歩です。職場などの人心掌握術などもこれが応用されていたりします。暗示にかかりやすいとは変成意識状態になりやすいといえます。危険なことです。
催眠という技術は本来必要のない技術のように思います。なるべく遠ざかっていたいものだと思います。
あるところで
地獄界。。。。受身的に自分を罰する世界。
魔界。。。作為的に他人を貶める意思の集団。
というのをみました。なるほどな〜と思います。
職場の方の顔がいくつか浮かびました。繰り返し繰り返し自虐的に自分を責めている方。薄笑いをしながら他人が困るのを楽しそうに眺めている方。ひどいときにはそういう状況に陥るよう仕組んでいる方もいます。少しでも油断していますとそれらの人々の世界に引きずられてしまいます。
職場の組織の上層部の方では水面下で激しい戦闘が始まっています。職場の組織内のことではなく、外の組織をも巻き込んだものです。それもこれもやはり根本は「金銭」です。いかに他を搾取し、甘い汁を吸い取るか。そのような堅固な構造をいかに巧妙につくるか。そんなことに一日中知恵を絞っている方々がいるようです。
あきれてものがいえません。しかしまことにこの世的な出来事です。
ともかくひたすらこうして仕事がてきていることに感謝をしつつ日々を過ごしていこうと思っております。
涼しい二日ほどのあと、昨日からまた暑い日になっている東京です。今年は日傘を新調しました。子供のも買いました。子供のサングラスはリゾート地ならともかく、普段にはちょっと無理ですが、日傘ならOKかなとおもいまして。最近はUVを完全に遮断する素材のものが売られており、これまで持っていた涼しげなレースの透け透け日傘とは趣がことなります。なんとなく暗幕のような風情ですが、周囲をオーガンジーのような生地で縁取って涼しさを演出しています。差してみますと、遮光効果が完璧なので頭が光から守られ大変快適です。頭を直射日光から守り、加熱しないことで身体全体の体温調節が保護されているように思います。同じ気温でも汗の出方が違いますし、その後涼しい電車の中に入ってもあまり冷えない感じがします。
この日傘を買った経緯もちょっと不思議でした。ふと子供と出かけたのですが、少し前にみたニュースで今年は日傘の売れ行きが好調、というものがあり、なんとなく日傘でも買ったらいいかな?と思っていました。機能重視で選んでみたのですが、結果はOKだったようです。日傘は単なるアクセサリーではなく、今や雨傘と同じくらいの必需品なのではないかと思います。
話しは変わって、またもや首の話しです。実は私の首問題は長いのです。肩こり、腰痛とともに10代前半から始まっていたのですから。今の歳になって過去を振り返ってみますと、もう少しこうすればよかったということも多いです。私は普通の方にくらべ筋力が弱い傾向があります。これは子供の頃、自力で三輪車がこげなくて悔しい思いをしたことに始まり、ことあるごとに感じてきたことです。病気ではないけれど運動するのには努力が要る身体を頂いて、今まで生きてきました。身体を動かして、ああ、気持ちよかった~と思った経験も少ないです。そこで鍛えるつもりもあって、通学通勤時には努めて重い荷物を担いでおりました。歩けるところはなるべく歩くことも心がけてきました。
おかげさまでなんとかここまでやって来れたのですが、最近はもう少し異なった鍛錬をしないとだめかもしれないと思います。歳のせいでしょうか、これまでのように無理矢理身体を使うことをしていますと危険な感じがするのです。
筋力を意識するよりも体中の筋肉をくまなく動かし、バランスよく使い、あちこちの血流を改善する、ぐらいがいいのかもしれません。そうしてまめに家の中を動き回り、仕事場での仕事をこなしやっていくことが今の私には最善でしょう。