2014年を終えるにあたって、やはりSTAP細胞事件について何らかの区切りを私自身もつけたいと思い、書いておくことにしました。ここにおいても、いくつか日記を書いてきましたので、それを見直しながら、私自身の件の論文に対する考えの変遷を振り返ります。
まず2月1日、発表の直後に
「今回の発見は多くの幹細胞研究者が一度は夢見ていた、あるいは心に抱いた現象だったのではないでしょうか。
今回の快挙にまずは賞賛を送りたいと思います。発見者の小保方さんだけではなく、彼女をフォローした若山さん、笹井さんも本当に立派だと思います。それもこれもカドヘリンの発見者である、竹市雅俊先生が率いる理研再生・発生科学総合研究センターであったからこそ、成し遂げられた仕事だと思います。
(中略)
がん細胞の誕生とはまさしく今回のストレスによる分化細胞の幹細胞化、ともいえるのです。これからそのメカニズムの詳細の研究が進むことによって、分化の本質、がん細胞制御の技術が生まれてくることを予想します。本当に楽しみな状況になってきました。」
と書きました。
このころ論文は斜め読みでしたが、やはり責任著者として笹井氏の名前があったことから、詳細を検討せずにこの論文の主張を信用しました。しかし、あの派手な発表の仕方や、その後の小保方氏に関する報道での取り上げられ方には異常なものを感じていました。
その後米国への出張中に論文への疑義が挙がっていることを知りました。正直な話し「やっぱり」という気持ちがあったことは確かです。あまりにもリセットをおこす条件が非特異的すぎたためです。また、がん化の際に起こる幼若化とどのように区別するのかも不明だったからです。
その後論文を熟読した後の疑問点について2月後半から3月にかけて何度か書きました。
その最中に理研CDBの丹羽先生からプロトコールが新たに提出されました。これがまた、だめ押しのような酷いものだったことも書きました。特に論文における最も重要な主張要件が文中あっさりと否定されていたのは驚くべきことでした。このころは、私は自分の論理性がおかしいのか?自分の頭の方がおかしいのか?と自問自答せざるを得なかったくらい、巷の反応は鈍かったように思います。どう考えても筋の通っていない論文を擁護する人々がいることが信じられないと思いました。
論文への疑義が呈されたこの時期に、理研がまずやるべきであったのは『疑義の対象となっているSTAP細胞なるものが、真にそのような細胞であり、ES細胞ではない』ことを確かめることだったはずです。自分が当事者であったなら、そしてその研究成果に絶対の自信を持っていたなら「どうぞ調べたいだけ調べてください」と喜んでサンプルを提供し、ES細胞ではないことを証明してもらうことを、むしろ望んだでしょう。
今回の報告書をじっくりを読ませて頂きましたが、実に精緻にSTAP幹細胞のゲノム遺伝子解析が行われ、全ての細胞株がすでに存在していたES細胞と同一のものであることが明確に証明されていました。これこそが、まず最初になされる調査であったはずです。9月に発足したとされるこの委員会は約4ヶ月でこの報告書をまとめました。2月にこのような検討が開始されていたなら、6月にはこの結果が出ていたはずです。科学的事実に対しては科学的事実をもってしか説得力はありません。誰がどのような信念を持っていようが、いまいが、自然は真実を示してくれるからです。初期に科学的事実が明白に示されていれば事態の混乱はこのように長期化はしなかったはずです。また、亡くなる方は出なかったことでしょう。
なぜ、そうならなかったのか。
その原因を探ることは 、現在の理研、さらに生命科学界の抱える問題点を明白にすることでしょう。
誰が、何のために、問題の細胞を検証することを止めたのか?
この問いはSTAP細胞の政治的背景を明らかにすることでしょう。多くの組織と人々が関わっていたはずです。
誰が、何のためにES細胞をSTAP細胞に混ぜ込んだのか?
この問いによって、現在の生命科学研究の現場の問題点が明らかになることでしょう。
STAP細胞の直接の当事者が混ぜ込んだのか?この場合、当事者達は相当の悪意をもってこのストーリーを作り上げたことになります。あるいは途中からそうだったのか。初めからではないのかもしれません。つまり、実際に混ぜ込んだ方は論文当事者ではなく、単なるいたずらのような気持ちでES細胞を混ぜ込んだのかもしれません。それを論文当事者がSTAP幹細胞ができたと勘違いし、先へ進んでしまったのかもしれません。しかし、途中からだったにせよ、立ち止まってよく吟味するべき時点は何度もあったはずです。さらに実験ノート等の不備、論文内の他の文書からのコピー、画像のコピーや使い回し、切り貼りなどの違法な改ざんについても、論文の責任著者は気づいていたはずです。
それらをスルーし、あの派手な発表まで突き進んでしまったのは一体どうしてだったのでしょう?生命科学系の論文は約70%くらい再現不可能と言われています。これも大概だと思うのですが、だとすれば、たとえ世界中の研究者が再現できないと騒ぎ立てても「コツがありますから」で逃げ切れるとでも思っていたのでしょうか?この点に関してはまた稿を改めて東大分生研の問題について書くときに触れたいと思います。
ともあれ、2014年は日本の生命科学の問題点がまさに噴出した年となってしまいました。生命科学とは何なのか、来年からは厳しい再構築の道が待っています。私も引き続き問題点を少しずつ提示して行きたいと考えています。