無知の知

ほたるぶくろの日記

日本のお正月

2013-01-08 16:54:39 | 日記
お正月の日本は今でもやはり静かで厳かな時間が流れます。心なしか最近のクリスマスは以前に比べ静かになったような気がします。若い方たちを中心に西洋文化の呪縛から自由になっているのかもしれないと思います。先日も久しぶりに若い方の多い街に出かけましたが、大正時代くらいのモチーフをあしらった小物などを持っている方が結構いらっしゃいました。表層的とはいえ日本の文化が受け継がれている一面をみることができるのはうれしいことです。
 
お正月は日本の社会で唯一真に宗教的な国民的行事であるように思います。そしてなんとなく神社仏閣にお参りをします。しかし面白いことにいわゆるお祭りとは異なって宗教的熱狂とは無縁ではあります。お正月は古来お盆とともに先祖をお祭りする行事であったようです。仏教の伝来とともにこの行事はお盆が中心になり、お正月は歳神さまをお迎えする行事ということになっていったと考えられています。そんなことから祖霊とともに歳神さまをお迎えする静かな儀式として日本人の深層意識に定着しているのかもしれません。
 
数え年を重んじていたときは文字通り年取りであり、一年を無事に生き延びることができたことを寿ぐ意味合いもあったでしょう。現在の私たちにとって表面的には「お正月は年が改まる」ということの他にはあまり意味もありません。それなのにそれがこんなにも人々を特別な思いに誘うのです。この国の人々が知らず知らずなんとなく大変にありがたい厳粛なことであるとしてお正月を迎えているのは心強いことです。
 
私もまたそんな人々のひとりです。意味もよくわからないまま、しかし何か大変に厳粛な思いで一杯になります。これは子どもの頃からずっとです。私の子どもの頃は無神論が全盛期でありましたし、両親は宗教とは無縁でありましたからどこにもお参りにさえ行きませんでした。どちらかと言えば正しい無宗教無神論で「人間神頼みしているようではいかん、自分で何とかしなくては」「お化けより生きてる人間の方が余程恐ろしい」という人たちでした。それはそれで良かったのだと思います。法事なるものもあまり縁がなく、かろうじてお葬式でお経に接するだけでした。
 
若いときには宗教一般としてキリスト教、仏教の歴史を調べたりもしましたが、深入りすることはなく今日に至りました。神道に関してはやはり先の大戦との関連で国家神道=神道の視点からの文献などに接していたと思います。まことに標準的な日本の宗教哲学環境を生きてきました。しかし心の中に何か厳粛な存在の在ることをずっと感じていました。多くの日本の方はこんな感じなのではないでしょうか。
 
日本は宗教的に曖昧な国である、とは無宗教の国である、と同義ではありません。既成宗教教団とは無縁になった人々の国ではあるかもしれませんが、心の中の神様を感じ取っている方が多いのだと思います。自然の美を観るたびに自神が呼応し何かを思いだすことができ、良心を育てることができる。そんな人々が多く暮らす国なのだと思います。有り難いことです。