無知の知

ほたるぶくろの日記

感謝の奉納

2012-03-22 17:55:53 | 日記
寒暖の差に身体がついていっていません。一昨日のお休みはありがたい休養日でした。このところは公私ともに物理的に忙しく少々くたびれ気味でありましたし、ひたすらありがたいなあ、と思っておりました。

ところで、先日ふとおもったことです。農業や漁業など一次産業をされている方は、自分の育てた野菜なり獲った魚介などを頂く際に、自然の恵みを頂くのだ とごく自然に思うことができるように思います。自然から頂く現場にいらっしゃるから。私の場合、ベランダで子ネギやハーブを育ててそれを使うとき、とても有り難く豊かな気持ちになるのですが、それは『自然の恵み』をダイレクトに感じられるからだろうと思うのです。

スーパーで購入した野菜や食肉魚介も、もちろん『自然の恵み』なのですが、貨幣と交換します。ですから、スーパーの食材はきれいにパッケージされ、整然と並べられ、実に人工的に美しい商品につくられています。商品=貨幣と交換されるように作られたもの とはそういうものなのですから。その過程で、食材たちは感謝するべき対象を見誤らせる魔法をかけられるのでしょう。これって神社における不届きな眷属さんたちの振る舞いと似ているような。本来は感謝を仲介するお役目だったのが、いつのまにか自分が感謝されていると勘違いしてのさばってしまった眷属さん。ということは、近いうちにその魔法も解かれる ということかもしれません。貨幣、金融システム。これが、一次産業を、生命を破壊しているのです。人間サイドから言えば『自滅』しているのです。

これがどこまで続いていくのか。自分のなかにもその魔法にかかっている部分があります。もっと想像力を働かせてみましょう。いくら貨幣があっても、自然の恵みがなくなってしまったら、私たちは生きることも叶わないのです。今までに何度もこういう経験はしてきたはずです。ああ、でも直近では戦後のものがなく激しいインフレが起こっていたときでしょうか。直接体験していない私たちの世代がこの国の中枢のメインになりつつあるのですが、ぜひとも想像力を発揮して、私たちが自然によって生かされているということに深く気づいていきましょう。何をすればいいのかは、自ずとわかるはずです。