goo

モチベーションは維持すべきなのか維持させるべきなのか

ニュースをウォッチした雑感。ブッシュ氏が大統領の任期を終える、マスコミにたいそう受けが悪いようだが違和感も同時に感じる。例えば「戦争を数多く仕掛けた大統領」という批判は批判の体を為していない。「戦争・戦闘」はどんな理由でも避けなければならないという思考停止がより「テロ」を誘発する可能性もあるからだ。過去の為政者の多くは言葉尻を取り上げられないようにとか他国の不興を買わないように何を言っているのか分からない場合が多かった。ブッシュ氏の発言の多くは「米国の敵は攻撃する」という読み間違いの存在できないほど単純で明快な発言だった。米国が湾岸戦争前にこのようなメッセージを発信していたらそもそもイラク戦争は起きなかったであろう。フセイン氏も米国のメッセージを読み違えたからクエートを侵攻したし、イラク戦争で同じ間違いをしでかした。イランも表立っては動きは無いようだし成果はあったのではないかと思う。冷戦が終わった今、唯一の大国である米国の態度としては悪くないのではないかと思うのだ。

本題に戻ります。

最近企業研修とやらをさせられていくつかの疑問というか納得できない部分がある。それは企業人個人の「やる気(モチベーション)」をいかに引き出すかというテクニック論が幅を利かせているという点だ。例えば上司が部下のモチベーションを引き出すのが仕事のように研修では教えるが、そうじゃ無いだろってのが本エントリーの趣旨。以下意見を述べる。

モチベーションの源泉は何なのか?これは仕事はつまんない事も多い、しかし全神経を投入し、結果が出れば満足できるということを実感させる/することではないのか。それには「何が」成果かという点を明確にすべきであろう。部署にもよるが売上だったり利益だったり、研究・開発系ではヒット商品であったりと。売上も費用をふんだんに使って良いのかとか、とにかくなんか基準があるはずだ。個々の人間は部署にとっての最適化を目指すので、企業にとっては好ましくなくても部署にとって好ましい場合は多々あるであろう。例えば損をしてでも売上を伸ばすとか。

これは経営方針とか利益責任の所在がはっきりしていたらそれで済む話だ。だから課長はその部署の成果の最大化を目指せば良いのであって、それを理解した上で部下を教育したら良い。でもその研修は大前提が語られないのでかなり胡散臭いのだ。というのは下手したら部長・事業部長・本部長が大前提を理解しているか怪しいから。テクニック論は大前提が行き渡っているという前提での話しなのだ。例えば課長が「利益を考えつつ売上を伸ばそう」と言っても部長が「数字が足りない」と言えば部下は誰が「馬鹿」なのか理解できないという物だ。

なので人事研修では組織論を重点的に教えるのが良いと思う。組織の変更があればその意図はどこにあって、誰がどのような責任があるのかを明確に理解することだ。例えば営業部長と商品開発部長が並立していたら、営業部長が「商品が悪い」、開発部長が「売り方が悪い」と言うのは理にかなっている。その裁決は彼らの上司が決めれば良い。というかその上司が明確な指示を出せていないから営業部長と開発部長が揉めるのだ。ボンクラはその上司、以上。みたいな。

なので組織や経営方針が変わればどこを目指せばいいのかが明確である方がいい。でないと組織変更する意味ないし。それを教えないと管理職のチェック機能が働かない。先の例で言えば、その上司(例えば事業部長)の方針が明確で無いから部下同士が喧嘩をするわけで、仕事の進め方のコンセンサスが両部長と事業部長が得られていないことが分かる。その責任の所在が分かっていれば両部長がボンクラ事業部長をボイコットすることもできるし、(例えば)だめ開発部長を事業部長が首にすることもできる。この人事戦略をペイペイが理解していれば身の振り方も理解できるという物だ。

さらに難解なのは営業部長と開発部長が取締役のばあいだ。その場合各々の部下は自分の部長が言っていることがおかしいと思っても部としてそれを遂行するのが職務となる、課の場合も似たようなものであろう。組織というのは責任の所在であり、部下へのメッセージなのだ。まぁそのような教育を受けていないというか理解できない奴は「自分が正しい」と思うことをやり遂げどんないい仕事をしても煙たがれるんだろうけど。

そう考えると組織は非常に重要な意味を持つ。そしてペイペイ達はその「意思」を理解する必要がある。上司の言う事は納得できないけど理解してやるとか、自分の上司はボンクラかもしれないのでその上の上司に取り入るとか。

私は中間管理職まで到達していないけど部下(実質部下ではなく同僚なのだが)には「やる気は自分で見つけろ」と言っている。しかし、本質的には自分のやる気など企業にとってはどうでもいいことであり、自分のやる気と企業の望む仕事は一致しないことが多い。その上でいかに興味を持つかという点を延々と話している。嫌な先輩だなぁ。

でもしょうがない。モチベーションは自分で作るべき物かもしれない。でもそれは仕える上司の望む物でなくてはならないし、それは組織として明確にメッセージとして出ている。それを嫌って我が道を行くのも1つの手だし、バランスをとれということ。それにしては企業は「組織論」を教えてなさ過ぎだと思うのだ。標題の件はモチベーションを与えるのは上司ではなく組織だと思う。上司はそのサポートをするのであって、その根底にある組織論を教育しない企業では上司の教育の実力によって差が激しいと思うのは妄想であろうか。

前文が長い上、本文まで長くなり申し訳ない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )