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原理主義って迷惑だな

宗教・自然・九条・科学、原理主義って本当に迷惑。Wikipediaによると「原典を絶対視する主張・態度を差す用語」とある。自然なんかは色々な派閥があり、環境系とか無農薬有機農法至上主義とかGM(遺伝子組み換え作物)反対とか農業系や工業化学・薬学反対の科学拒否派とか。被っている場合もあるだろうし、単体もいるみたい。

ようは何かを金科玉条として、その何かと軋轢を及ぼすことを斟酌しないと言うことであろう。一番分かり易いのが宗教だが。宗教は奇跡を真実として扱うことが多い、また開祖の言葉を絶対視するとか。それを信じない人々にとって見れば笑止千万なのだが、敢えてそこを突っ込む人は少ないのであろうが、それを強要されるとなると別だ。時代が変わって、例えば男女平等の時代になって、金科玉条に女性は家を守るものと言われてもちょっと。いや彼がそうするのは反対しない、それを他人に強要するのは違うんじゃないのってこと。

環境・自然派と括ったが、彼らの主張は原理主義なのでいちいちダメダメ。そしてそのおかげで人がどんどん死んでもダメなものはダメ。自分が実践するのは構わないけど、大量殺人者の片棒だと気付いて欲しい。DDTを反対することに一部の意義はあったと思うが今となっては迷惑でしかない。人を死ぬのを放っておいて守るべき環境と言う意義が分からない。GM反対も同様に貧困の死への対策を反対する意義がもう分からない。

何かの原典を金科玉条とする考え方は「科学的事実」、「調整」とか「現実的対処」という概念とは相容れないのであろう。科学的に間違っていても認めないのは宗教的ではないか。いやその表現は宗教に失礼だった。

九条派も原理主義だ。原理を押し通すために「北朝鮮は襲ってくるはずが無い」とか、自衛隊を派遣したくないために「海賊放置」とか。本質よりも原典を重視するのは原理主義の特徴であろう。

悲しいのは科学でも見られることだ。科学は客観的事実を検証する作業のことだ。科学的に曖昧な表現を許さない、科学的に正しくない表現を消費に結びつかせないと言うのは科学原理主義者なのだ。星新一が看破したように科学的合理性だけを突き詰めた世の中は無味乾燥的で、消費に結びつかない、それは共産主義が理想と掲げた世の中と被る。合理的でさえあれば良いという傲慢さを感じる。

あらゆる商品は科学を便利に使いつつ、利便・機能・デザイン・流行・娯楽・感性に訴えて消費を促進する。その場面では科学は一部になっているのだ、それを原理主義的に突っ込むのはナンセンスだと言うこと。

多くの原理主義は自然科学的な間違いを含むことが多く、周りに喧伝されるのはよろしくないのは事実。でもいちいち突っ込む、疑似科学批判とか疑似科学批判批判も原理主義に見えることも事実なのだ。

ちょっと脱線した。原理主義者は放っておけばいいのだ、どうせ少数だし。理想主義者が理想理論を駆逐して内ゲバを繰り広げたのは記憶に新しい。

おぉーっと、では何故原理主義者の唱える理想が幅を利かせているのであろう?日本はクジラを捕れないし、GMの作付けは進まない、日本船籍が海賊に襲われても交渉で何とかなるという意味不明も跋扈する。一方で土壌改良ならともかくEM菌に河川改良の税金が支出される、ゲルマニウムなんちゃらは飛ぶように売れている。事実は複雑だ。

やはりまだまだ啓蒙は必要だということか。日本の高校進学率は9割を超え、大学進学率は5割を超えるというのに。これって科学教育の失敗じゃないの?

で、ちょっとした疑問。対話が出来ないとか原理主義だよねとか言われている人は自分で自覚があるのかしら?自覚が無いのであれば議論は平行線だね、だとすると議論をすることは不毛なんだよね。あー、頭が痛い。

 

*参考)「ビタミンAがなければリンゴを食べればいいじゃない」byヴァンダナ・シヴァ~幻影随想

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コメント
 
 
 
初めまして (TAKESAN)
2009-02-05 01:40:23
今晩は。お邪魔します。

疑似科学批判が原理主義的に見える、との事ですが、私にはその部分が、今ひとつ掴み切れませんでした。

昨今の「ニセ科学」批判においては、科学的に誤りであると判明したもの、あるいは、未だ正しいかどうか確認されていない、もしくは確認の途中にあるもの、が、事実と異なったかたちで主張された場合に、「ニセ科学」と看做されます。

こちらのエントリーを拝読する限り、その意味での「ニセ科学」と、こちらで論じておられる「疑似科学」は異なる概念に思えますが、その理解でよろしいでしょうか?

もしそうであれば、初めに、こちらで用いている「疑似科学」という語がどのような意味内容を持った言葉であるか、をある程度詳細に説明する、というのも一つの手ではないか、と感じました。

疑似科学という概念は、古くから科学哲学などでも論じられているものですが、最近で言えば、専門の科学者による「ニセ科学」概念があります。そして、昨今WEBでよく話題になるのは、後者の方だと思います。具体的に言うと、大阪大学の菊池教授の論などが代表的でしょうか。

時折、そこら辺の整理が出来ておらず、混同したまま論を進めるものも見かけるので、もう少し丁寧に論じられた方が良いのではないか、と思った次第です。
 
 
 
Unknown (wood)
2009-02-05 21:36:19
TAKESANさんコメントありがとうございます。

ご指摘の通り、疑似科学とニセ科学を曖昧に取り扱っていました。ここでは商売のために科学を装ったり、信仰を主張するために科学を誤った方法で用いていることなどを漠然と指しています。どちらかと言うとTANESANさんの仰るようにニセ科学を指していると思います。ある程度詳細にすることで確かに信仰と情緒とのグレーゾーンをすっきりと説明できるかもしれません。ご教授ありがとうございます。

>疑似科学批判が原理主義的に見える、との事ですが、私にはその部分が、今ひとつ掴み切れませんでした。

原理主義とは違いますが違和感を感じる理由は、
理系で無い人間への突込みを一段上から入れ、その突込みが間違っていてもレトリックや他の議論で寄って集っていじめているような事例もありました。
http://d.hatena.ne.jp/shinpei02/20070412/1176369503#c1214673841
これが飛び火して
http://blackshadow.seesaa.net/article/59660792.html
そもそもの始まりは私の敬愛するニュートンの式f=maをshinpei02氏が与太と述べたことに起因します。この式はある質量をもった物体を無限大の力で加速すれば速度も無限大になることを意味します。これは特殊相対性理論の出現を待つまでも無く間違っています。しかしこれへの反論や応答は非誠実極まりないと感じる部分が多々あります。

また本エントリーだけでなく1/25と1/26のエントリーでも述べているのは、情緒の部分に喧嘩を売るのもどうかと思うわけです。例えば自然回帰と言う宗教的な信心を「無農薬有機野菜は植物毒が多いから危険で不味いよ」と説得するのはナンセンスだと言うことです。
ただし行政や社会的な問題は別だと思います。科学的データが出揃わないと議論すら出来ません。しかし環境原理主義は科学的なデータを示しても尚、原理主義的です(このblogでは環境原理主義に対する批判に多くの頁を割いています。)。
まただまされている人を救うために情報をupすることを反対しているわけではありません。NATROM氏のエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090204#p1
には非常に好感が持てます。

ちょっとひねくれた性格らしく、ネタっぽく書いています。ご機嫌を損ねましたことをお詫びいたします。あとご教授ありがとうございます。ネタだといってもいい加減で良いとは思いませんので。
 
 
 
>TAKESANさま (wood)
2009-02-05 23:37:03
少し科学について調べました。時間が無かったので1つのサイトしか見ていませんが、科学が立脚する立ち位置が哲学的には非常に危うそうだと理解しました。
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/saiFrame.html

であればなおさら謙虚でなくてはいけないとも思います。上から目線で「分かって無いなぁ、もう」という態度は好ましくなく、ニセ科学への論争も事実の提示で抑えるべきで、議論に勝つことを目的としなくても良いと思うのです。


追記というか。1/25のエントリーに下記のコメントが寄せられました。
>主観と客観
>観念論と唯物論
>存在と当為
>補遺
>配分と評価
>わかったような口きくなカス。
>何様のつもりか知らんが、ネタや面白ければ放言が許されるなんてことあり得ないだろ。
>考え直せボケ。

このコメントの意味は全く分かりませんが悪意があることは理解できます、そのうえ根拠も論理も何もありません。これはネトウヨと呼ばれている人たち同様な反応であると考えられます。このような反応はまさに原理主義です。相手を説得する意思を放棄して自分の宗教を押し付けているだけです。
 
 
 
Unknown ( )
2009-02-06 13:24:45
TAKESANの意図を理解もせずに,考えを押し付けているのはあなたでしょ?

>科学が立脚する立ち位置が哲学的には非常に危うそうだ

そこまで言うのなら,どう危ういのかを詳細に説明をすべきですね。

なんで唐突にネトウヨとやらが出てくるのかも意味不明だが,あなたのブログにはなんらかの政治的な意図があるとしか思えませんね。
 
 
 
Unknown (wood)
2009-02-06 20:02:10
ななしさんコメントありがとうございます。

あっ、確かに読めてませんでした。ご指摘ありがとうございます。私の定義は
>商売のために科学を装ったり、信仰を主張するために科学を誤った方法で用いていることなどを漠然と指しています。

で、TAKESANさんの定義は
>昨今の「ニセ科学」批判においては、科学的に誤りであると判明したもの、あるいは、未だ正しいかどうか確認されていない、もしくは確認の途中にあるもの、が、事実と異なったかたちで主張された場合に、「ニセ科学」と看做されます。

確かに全然違いますね(被る部分はありますが)。私は明らかな嘘・間違いを意識無意識に関わらず全て「疑似科学(もしくは)偽科学」としており、TAKESANさんは広い範囲を定義されています。重なっている部分では大きな違いは無いといえそうですね。

>>科学が立脚する立ち位置が哲学的には非常に危うそうだ
>そこまで言うのなら,どう危ういのかを詳細に説明をすべきですね。

Link記事は読まれましたでしょうか?そのままの表現で触れられています。

政治的な意図はありません。ただし情緒と絡めた主張を行っているのでそう取られても仕方が無い部分は有るかもしれません(でもどの点がそうなのか全く分かっていません)。

>ネトウヨ
反日に対する嫌韓・嫌中という反応に近いと比喩しました。単語の羅列に論理が宿してるとは思えませんし、後半は罵詈雑言の類だと感じてます。

反論や駄目な点の突っ込みは大歓迎なのですが抽象的な悪口には答えようがありません。
 
 
 
追記>ななしさん (wood)
2009-02-11 01:10:25
>あなたのブログにはなんらかの政治的な意図があるとしか思えませんね。

政治的な意図があるから悪いblogだと言うことですか?
本エントリーにはそのような意思が無いのは前述しましたがそれを「悪」のように捉えるのはいかがなものでしょうか。
 
 
 
原理主義は必要だよ (shinpei02)
2009-03-17 12:46:22
科学は論理を追求しなければならないの本質的に原理主義です。逆に「なんとなく間違ってるような気がするから理論を書き換えちゃえ」のほうが危険です。
ただし運用面では原理主義に陥ることは危険です。「ニュートン先生の学説ではこの位置に水星がいるはずだ」とロケットを飛ばすと水星にたどり着きません。(太陽のような大きな重力源の近くでは空間のゆがみの蓄積(数年分)が水星の直径よりも大きくなっているのです)実測をして微妙な軌道調整をしないと本物の水星の位置とずれてしまいます。
特に法律学や会計学などでは研究には原理主義が絶対に必要ですが、運用では絶対に原理主義に陥ってはなりません。もしここで原理主義に陥ると、国民全員が犯罪者となるという恐ろしい恐怖政治になってしまうからです。

もうひとつ危険なものは教条主義です。教条主義の場合は「自分の理想(利益)に合致する方向に教条を解釈しよう」という力が働いてしまうからです。そして教条主義に陥る人の大部分は「自分の理想が踏みにじられている」というルサンチマンを抱いているので、より攻撃的になりやすい傾向にあります。
イスラム原理主義者(教条主義者)の場合は「俺が貧乏なのは許せない」というルサンチマンを抱いている人が多いですし、キリスト教原理主義者は「まじめにしてたら堅物だと笑われた」というルサンチマンを抱いているように感じます。
件の論争相手の人々には「俺はこんなに頭がいい(勉強ができる)のに科学者として扱ってもらえない」というルサンチマンを感じました。その結果、「科学(者)とはこういう存在である」という教条を作り出して、その教条から外れたものを攻撃して溜飲を下げるという行動に出ているようです。「科学とは何ぞや?」と原理的に追及すると天動説も十分に科学としての条件を満たしているとは思うのですが。

ちなみに僕はレッテル的には文系なのですが理系的学問にも結構詳しくて、特に特殊相対性理論に関しては解説本を書けるくらいに詳しかったりするのです。で、特殊相対性理論的に天動説的物理モデル(マッハ理論みたいなの)を作るとニュートン物理学以下の誤差で世界が記述できちゃうのじゃないかと感じていたりします。面倒くさい上に無駄だからしないですけど。やってみたら意外と誤差が大きいかもしれないし。
 
 
 
あーなるほど (wood)
2009-03-18 00:12:14
コメントありがとうございます。
なんかすっきりしました。というか言いたい事はそれに尽きるわけで。

仰るように「原理主義」的なアプローチは学問の世界では必需品でしょう。哲学では論理だけで世界を構築しているのでしょうから。その子供の科学はそういう運命を持っているでしょう。そして量子力学のように理論が先行して現象が発見されるというに至っては科学の本質が垣間見えます。シュレディンガーの猫に至っては哲学だとしか思えません。

>特殊相対性理論
あれは解説書があれば高校物理でも理解できますよね、私も読みました。
そして我が敬愛するニュートン先生のF=maが成り立たないことを知り漠然としました(質量mが有意として存在し、Fを無限大にすれば加速度aが無限大となり速度vが無限大になってしまう)。

>科学的に正しくない表現を消費に結びつかせないと言うのは科学原理主義者なのだ。

この表現は拙いですね。コメント追記を考えます。
 
 
 
高校生には難しいです (shinpei02)
2009-03-18 20:48:45
特殊相対性理論の世界でもF=maは完璧に成り立ちますよ。一般相対性理論の世界ではどうか知らないけど。
力の伝達方法は作用と反作用しかないので、光速以上の物体が存在しない以上、光速以上の速度を与えることはできません。
燃料を大量に積んだロケットも光速近辺では時間が遅くなってしまうので、宇宙が終わるまで加速し続けたとしても光速は超えられません。(加速度とは単位時間当たりの速度の増加量なので、単位時間が過ぎないとそれだけの速度も増加できない)
しかし相対性理論の世界では本人はニュートン力学にのっとって運動していても、加速などをして慣性系が変化するとローレンツ収縮などで自分以外の空間や物体が変化してしまいます。その結果、ロケット打ち上げ計画時にニュートン力学で立ててた加速プログラムどおりにロケットを加速させても微妙に目的地を外してしまうのです。
 
 
 
F=ma (wood)
2009-03-18 22:45:43
こめんとありがとうございます。

あっ、そうか。a=dv/dt=(d^2x/dt^2)ですもんね、a→∞=t→0で釣り合いが取れるはずですもんね。


 
 
 
ん?変だ。 (wood)
2009-03-28 01:37:52
>a→∞=t→0で釣り合いが取れるはずですもんね。

これは釣り合いがとれない(はず)。時間が変化する環境でF=maは成り立ちますかね?
 
 
 
時間の概念は難しいよ (shinpei02)
2009-03-29 20:52:25
ロケットに乗ってる本人は1Gの加速をしていて、実際に彼の時計で計るとロケットの速度が毎秒ごとに9.8m/sずつ速くなります。
しかし地球から観測したときに彼の時計の進む速さが地球の10分の1だった場合はどうなるでしょう。ロケットは0.1Gの加速しかしておらず、当然にロケットの速度もあまり速くなりません。そしてロケットのノズルから出てくる推進剤の量も0.1Gの加速をするだけの量でしかないでしょう。
時間は変化しているように見えても、当人たちは自分の時間は正常だとしか観測できないので、時間の変化している環境などは存在しません。
 
 
 
Unknown (ピカリ)
2010-02-04 15:39:07
以前のコメントほったからしですみません。なんだか複雑なことが考えられなくてです。

『ナチス・ドイツの有機農業』―「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」藤原辰史著(柏書房)発見して読んでいるところです。文系の研究者の書かれる本は私にはむずかしく、途中何度も意識を失っております(汗)。有機農業やシュタイナーへのマイナスのプロパガンダでなくて、中立の立ち位置で書かれているのがたいへんよいです。有機農業やシュタイナー教育びいきの日本の人たちは、こんな歴史があったことはご存知なのでしょうかと思います。私は知りませんでした。以下引用
---------------
 本書の中心的課題は、こうした歴史を振り返ることで、現在の自然保護運動やディープ・エコロジー運動の基底をなす「人間非中心主義」の思想が---人間の平等をも強く訴えたこの思想が---なぜ、人間を差別し大量に殺害するその場で生き続けたかを考察することにほかならない。
 
 
 
辛口ですが (wood)
2010-02-07 02:05:13
ピカリさんコメントありがとうございます。いろいろ突っ込んでくださるのはうれしいです。

ナチスは民主的な手続きで第1党になったと理解しています。当然真っ当な政策を掲げていたのでしょう。

しかしそれと「有機農業」を推進したナチスが素晴らしいとは基本的に関係ないと思います。

もっと言うと「有機農業は素晴らしい」は科学的にはなんの根拠もないと思います。「有機農業」が素晴らしいのはなんとなく理解できますが、「非有機農業」が駄目な理由は無いと理解しています。また「無農薬農業」が少しだけいい点があるのは理解できますが「慣行農業」が駄目な理由があるとは思えません。またそのような論理的な主張を目にした事はありません。大概は情緒に訴えてるのではないでしょうか。

「>間非中心主義」が先進的でもないし最良の概念ではなく単なる思想であるということです。
なので別に最良の思想では無いわけですから、最悪の結果を引き起こしても全然不思議では無いと思います。

そもそも「有機農業」を至高としているという点で間違いだと言いたいわけです。

少し戯言を。
「自然との共生」という概念は自然をある程度克服したからこそ言える概念で極めて傲慢だと思います。歴史的に見れば「自然を克服する」のが最大の目標であり、現在でも地震や台風はその範疇でしょう。
飢饉に備えて冷害に強い作物を準備するとか、日照り対策に溜池や灌漑を設けるとか。波浪や高潮に備えて湾内に港を設けるとか。

ちなみに私の近所にはいわゆる田園風景と言うのが無理やり(税金を投入して)残されており、感情的には心休まる風景です。(論理的にはおかしいのですが)自然風致地区みたいな感じで、生物もたくさん生きているようです。それはそれで素晴らしいと思っています。

でもそのために税金を使っていいのかという反復は必要だと思います。「コスト」というと自然や環境保全に馴染まないという人も居ますがそのために際限なくお金が使えないのも事実なのですから。

ちょっと辛口で申し訳ありませんでした。懲りずに突っ込みを期待します。
 
 
 
ダイヤモンドインパクト (メタラジスト)
2015-01-10 22:44:26
 アインシュタインは「神はサイコロ遊びをしない。」といったが、熱力学は等確率の原理から導き出され(アインシュタインは間違い)、巧妙な極限操作で建造されたスーパーコンピュータにも及ばない数理世界を作っている。だからタイムマシーンはできないことも証明される。
 しかし、確率的に平等に運動する世界の1つの粒子はランダムウォークと呼ばれ、まったく予測不能なのに、集団化するとそれが傾向(存在確率=濃度)として拡散理論などに現れ永遠の命は実現出来ないことを人は悟る。
 物理学というものは世界の現象に対する、数理模型を提示することであって、神の啓示を読み取るものではない。神様は、心の中にあって外界の世界の現象とは違うものなのだと思う。それを無理に一致させようとする科学神秘主義は可笑しい。
 それでは化学はどうだといえば、あまりに数理化できていない現象競合の豊富な世界であり、本来数理化するのであれば、複数の原理や理論をどう重ね合わせるかという問題がおとずれるのは医学を含め否めない。
 だからといって、安易なランダマイゼーションを唱える「統計学は最強の学問」というのも組しない。ランダマイゼーションは、モデルの発生現象の組み合わせが同じ確率で怒るというモデルを計算していき、実測値とのずれをモデル化することで、決定論と確率論の合成理論を作り出そうとするアプローチである。
 しかし、それでは何故正規分布か?中心極限定理(どこが定理?)かがわからない。それをハイゼンベルグが教えていたのにもかかわらす、アインシュタインが横槍をいれいまだにバラツキの根源がわからず、信頼性工学は勝手な確率密度関数をつくりだし、バラツキをブラックボックス化し制御工学的になアプローチが工学にはびこっている。輸入学問国家からの脱却が急務だ。

 
 
 
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