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何故自衛隊はソマリアに行くのか

標題の件、ここで何故揉めるのかが分からない。自衛隊員や海上保安庁職員の命を心配して無いことだけは分かる。お金の心配でも無いようだ(費用に言及している意見も有るみたい)。法律が自衛隊の海外活動を決めていないというロジックも有るようだが、それならそれを決めればいいだけの話しだし。

うーん、わからん。webで主張をつらつら眺めてみると、論理を技巧的に扱っているようだけど、なんか根っこがあやふやで説得力がまるで無い。なぞなぞみたいな話なのだ。

想像だけど「自衛隊」が憲法違反で、(俺達が反対しているから)だからこそ自衛隊は限定的な存在で、それが海外で武力活動を行うなどもっての他だと主張しているように見える。間違っていたらごめんなさい。

だがこの主張の善悪は別にして、これが正しいと下記の理由が納得いく。

1)自衛隊の火器で、自衛隊の戦闘行為で人が死ぬのは罷りならないので、それ以外の事は二の次という姿勢が伺える。派遣される隊員や職員の安全は議論されないけれど、(自衛隊に撃たれるかもしれない)海賊の命については議論されていることになる。撃たれるのは、撃ってしまうよりも被害が少ないということになる。だから相手が撃って来るまで撃ってはならないなどということになるらしい。

2)目的よりも手段の方が問題となる。目的は海賊を鎮圧し、シーレーンを確保すること。その目的に一番適しているのが自衛隊だと主張されれば、「そうだね」普通の人は思う。ところがまずこの手段に異論があるので、目的は二の次ということになる。まぁ本質的には「目的」を達成することが大事なので、目的事態を否定できなければここで対策を主張しなくてはならない。しかし手段を反対しているからか各自頓珍漢なことを主張する羽目になる。

例えば第二東京弁護士会というインテリの文章を読んでも上記2点に合致する。まぁ彼らは「放っておけ」と言うのだがそれではあまりにも無責任であろう。しかもその理由が法律に違反するからというのだから、目的をなんとか達成することよりも法律を守る方が大事だという。法律家の鑑だ。

ところが汚職に関することや社会経済システムのルール作りなどでは当時の法を無視して時後訴求しようするのだから、やはり法律(憲法も法律だが)の問題ではないのであろう。法律の問題であれば法律を直した方がいいからだ。法律という規定したシステムの方が現実世界の問題より上位に来るなどというのは少し異常だ。

なのでもうちょっと分かり易い理由で反対してくれないかなぁ。私個人的にはソマリアの現実に詳しく無いので費用や効果を考えると両手を挙げて賛成とは言いたくないのです。隊員や職員の命も軽くは無いと思うし。しかし反対論者の言論が薄っぺらいというか、とても他人を説得できる代物では無いと思うのだ。

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