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共有地の悲劇とコミュニケーションコスト

今日の出社が楽しい経済学は共有地の悲劇であった。

「共有地の悲劇」って理論的には分かるんだけどいまいち実感できない。そんな無料の共有地を自分だけが使った方が得だという理屈は日本人に馴染まないと思う。全体最適を望む知恵が日本人には有ると思うのだ。(ということはそれを知らない外人相手に国内で仕事をするのは大変ということ。)

それを裏付けていると思うのが昨日(3/14)の日経プラスワン(土曜版)の「遅刻、何分まで許せる?」だ。日経プラスワンでのアンケートでは「相手の遅刻に対する自分の許容」>「自分の遅刻に対して相手へ求める許容」となっている。一般的な日本人にとって当然かもしれないが上記の差は理論的にはイコール(=)になるはずだ、自分の遅刻でも他人の遅刻でも正当性があればそこに軽重は無いはずだから。ところがアンケートの結果は他人のミスには許容できるけれども自分のミスには少し高いハードルを設けているということ。一般に自分に対する言い訳は他人に許容されない論理を含むことがあるので一段高いところにハードルを置いた方が無難ということを共有しているのであろう。また自分は不利な立場に立ちたくないという感情が含まれているのかもしれない。交渉力を優位に保つための知恵が遅刻をしないというインセンティブだということ。

これってコミュニケーションコストを下げる意識が共有されているということではないであろうか。「遅刻」というミスに対する損失を共有しているから「相手も遅刻をしたくてしたわけではない」という意識を想定し、だから不可抗力には寛容ということになる。そして「遅刻」で相手に不快な思いをさせたので例えば「コーヒーを奢る」ということが暗黙の了解を共有できているのだ。日本人は「常識」ということを重んじるがコミュにケーションコストを下げる意味合いであろう、「常識」が通用しない相手と面倒なやり取り(極めて高コスト)をするよりは暗黙の了解(低コスト)を優先するのは自明の理なのだ。「共有地の悲劇」を初めとした全体最適を常に意識することが求められているのであろう、そしてそれを理解できない輩は排除される、それが「座」だの「組合」だの「自治会」なのであろう。その点で日本のサービス業が外国人を商売相手から排除しているというのは理解できる。

欧米では商売相手が誠実かどうかが分からないのでまずは顧客として優等かどうかを探る手続きが必要だという。だからこそ食堂などでは給仕のサービスがぞんざいであったりるすとか。日本では一見の顧客でも優良な顧客だという前提でサービスが行われる、なので低コストで優良なサービスを受けることが出来る。もちろん日本人でもある一定以上の客は不良顧客なのだが、不良顧客ということが判明してからお引取りを願っても問題ない。不良顧客が悪いのであって店が悪いとは普通の人は思わないからだ。なので日本では皆無とは言えない会員制の店のメリットが知れ渡っていない。会員制の店は不良顧客を予め排除するのが目的であるが、そもそも不良顧客が少ないので利点が理解されにくいと思われる。

日本のサービス業の値段の安さは異常だと思う、限界利益が少ないという意味ではなく。業態に対する顧客がその業態のルールを理解してサービスの利用をしているから成り立つと思うのだ。ようはコミュニケーションコストが低いから低コストでサービスが共有できていると。そして業界ルールを読めない顧客は排除、それが「外人お断り」というわけだ。

経済学で言うところの均衡を模索するのは非常に高コスト(だと思う)、特にコミュニケーションコストが。日本では「常識」をもとにしたコミュニケーションコストが安いので全体最適を取ることが容易だった。今後グローバルは結構だけれども均質的な「常識」が成り立たないグローバル国家に日本がなりえるのであろうか。そうなると物価が上がるであろう、全ての取引にさらなるコストがかかることを意味するからだ。

日本人は人口密度が高い割にはある一定の「常識」を共有できている。それがコミュニケーションコストを下げることでき、結果取引コストを下げることが出来ている。例えば「系列」でなくても大手と取引経験のある日本企業であればトヨタと取引が可能かもしれない、一方日本での納入実績がない企業はハードルは高いであろう。日本が発展できたのはこのような「常識」を共有できたのでコミュニケーションコストを低く見積もれたからではないか。グローバルな時代になってISOなどという国際標準を求められるとコミュニケーションコストを意識せざるを得ない。ISOに対して疑問を抱くのはコミュニケーションコストを無料(極低価)だと思っているからではないか。ISOのキモは標準を外部に保証してもらうシステムなので、そもそもそれが通用している社会に「何故お金を払って意味の無いことをするのか」ということになる。なので日本企業同士の取引はその点が低コストだ。さらに人口密度が高く、人口多いという事は取引先が多いわけで、競争もスムーズに行われる。

ISOを理解できない土壌というのは特殊であろう、標準とか保証とかがすでに組み込まれているからそれに「改めてコストを払う」ということを理解できないのであろう。それは低コストで品質に対する企業情報を得られていたということであり、そのような美点を日本人が共有しているからであろう。私もサプライヤーさんとはそういう立場で接する、逆に言えば納入実績のない企業の営業マンにはこちらが御社と取引をしたメリットを文書で寄越せ的なことを言う。競りに参入するプレイヤーが同じ商取引概念を持っているか、品質に対する概念が共通か?とかいろいろあるのだ。日本は「常識」を共有できたから、常識を共有するために高いハードルをお互いに課し、それがものづくりに上手くいったのであろう。

 

追記)だから日本企業は競争力を培うことが出来たのであろう。欧米の巨大企業が自企業の最適化のために国家間をまたいで交渉していたのが、日本企業はコミュニケーションコストが低い状態で発展できた。人口が少なく企業の絶対数が少なかった台湾や韓国はこのような発展が出来なかったのも理解できる。

 

 

*「電車が遅れた」「仕事が忙しかった」は一般的に許容できる遅刻の理由だと思われるが、「昨日の準備に追われ寝た時間が遅くなった」「化粧が決まらなかった」というのは遅刻の理由にはならない、自分本位であればどちらも優劣はつけられないかも知れない。しかし他人の評価軸を一定以上持つことでお互いのいざこざを防いでいると思われる。

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