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ジャーナリズムに清廉潔白が求められてしまった案件

鳥越氏と石田氏が「政治家の矜持」と「ジャーナリスト(笑)」「文化人(笑)」とでは責任の軽重を自白した感があった。

その前段としてジャーナリストの位置向上として「署名記事」というのが増えたと感じている。「署名」をすれば身体検査の対象となるのであるがそのことを理解できない人が多いと感じる。「署名記事」によるジャーナリストの地位向上は同時に「責任」も課せられるのである。

「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」がジャーナリストの地位向上の帰結なので、批判に対する責任は存在すると思える。

名前を売って稼ぐのがフリージャーナリストの本質なので、炎上案件はどんどん燃やせばいいと思う。彼らが政治家に対する手法で、下半身も過去のつまらない案件も晒される覚悟があってのことであろう、政治家と同様に。

ジャーナリストに煽られた政治家・経済人等公人は、反論する権利があるし、その対象がフリージャーナリストであっても構わない。大手新聞社は組織運営が巧みなのでボロは出さないであろう。新聞社の特攻隊員がフリージャーナリストで、公人はスキャンダラスなフリーを雇った新聞社を攻めればいい。

 

標題の件だがそういう時代になったということだと思う。だからこその(無署名記事の)文春砲が威力を発揮する。

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