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被災者はどこに住むのであろう

あの瓦礫の山を見て復興が大変だなぁと思ったのだが、ふと彼らはあそこにまた住むのかという疑問がわいた。

 

日本では以前から台風・噴火・地震・津波と数多い天災が見舞う地だ。そんななか人口密度が結構高く、天災にめげずに国土の開発・改修を行ってきた。そんなことは出来るはずはないのだけれど、天災の起き易い地形・地所があって、やはりそこには昔から人が住んでいる。今回は未曾有の天災であったが三陸地方は明治三陸沖地震をはじめ400年で15回以上も津波が来ている(Wikipedhia使えねぇなぁこっちを参照)。26年に1回津波が来ている計算で、直近では1960年のチリ地震が有名だ。

津波とは違うのかもしれないけれど「島原大変肥後迷惑」という語がある。雲仙普賢岳の噴火は記憶に新しいが、あんなもんではない被害があった、死者15千人でうち津波の被害が1万人だそうだ。

論理で冷たくあしらえば「なんでそこに住むの?」ということになるのだが、、むなしい。というより過去の記録から天災の少ない地域は不滅の京都くらいか。さすが「京の都」。太平洋沿岸は津波と台風による高潮・洪水があるし、関東も震災や富士山噴火とか、九州・四国は水不足と台風に毎年怯えるし、北陸より北の日本海沿岸も雪害や津波・地震がある。安全な地域などほとんど無いということに愕然とする。むなしい、、。

 

よく「想定外」を非難する向きがあるけど、何か設計するには何かを想定しなくてはならない。例えば飛行機の機体にかかる荷重の安全率を100倍見積もると多分重くて飛べなくなる、だから飛行機は乗らないというのも簡単だ。また、100km/hの速度で衝突しても安全な車を設計することも出来るであろう、それはクラッシャブルゾーンを大きく取った馬鹿でかいクルマになる。震度10、津波20mに耐える住宅も設計上は出来るであろう、、、全てコストの問題なのだ。

僕が大学に入学した最初の専門授業は材料力学では家の梁の太さやエレベーターのワイヤーの太さなどの計算をさせられる。これはコストと安全のバランスを取るためであり、それを無視すればコストがかかるだけでなく、先に述べた飛行機やエレベータのワイヤーの太さ・長さのような問題は「不可能」という解が出る(エレベータのワイヤーも自重を自分で支えるので極端に大きい安全率は設定できない)。「想定」があって始めて妥当な安全率があるのだ。もちろん想定や安全率が間違っていることがあっても不思議ではない。しかし「想定を超えても安全を」というフレーズには設計という概念が欠落している。想定(含む安全率)が存在しない限り設計が出来ないからだ。

 

話を元に戻すと、三陸地方は100年に1~2回は大津波が来ると考えた方が良いと思う。ここで考え方なんだけど「津波に耐える街づくり」か「津波を避ける街づくり」の選択をしなくてはならないと思う。
「津波に耐える街づくり」とは津波が来てもびくともしない基礎を持った高層鉄筋コンクリート、流されてきた瓦礫が建物を守るように広い道路などのイメージだ。多くの小学校が津波に合いながら助かった事例を想定している。低地に戸建ては設けず全て鉄筋集合住宅にするということだ。
もう一つの「津波を避ける」とは高地に住むということだろう。北海道太平洋沿岸では高地に団地を作って、漁師は沿岸までクルマで通うという地勢的リスクを避けるモデルがある。高地に山地を削って住むということだ。

彼らがどんな選択をするのか分からない。見守ろうと思う。

 

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