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震災を通じてマスコミへの要望

余震が多いですね。人生初めての余震規模です。2日以上にわたって余震が続くのは時間スパンでも初めてです。

 

不謹慎だけど、会社で帰宅難民の同僚10名ほどと合宿のような雰囲気で雑魚寝。余震を怖がる女子と合宿気分の多数と飲むぞ少数とで。その後9時頃三々五々、混雑回避でゆっくり目の解散。
帰宅して、現在も我が家はガスが止まっている、その他電気水道は生きてる。エレベータは帰宅時は止まっていたけど現在は復帰。電気ポットを所有していないのでカセットコンロが活躍。

 

報道をずっと見ていて嫌になるのは報道の「政府への批判的立場」で、もうデマの域を感じる。いちいち政府の声明にケチをつける。意味の無い、根拠の無い、不安を煽る「一言」が非常に気になる。不快でその都度チャンネルをザッピング。音声を消したい気分であった。

その不快のピークは原発建屋の爆発事故の枝野官房長官の声明発表の時であった。原子炉建屋の爆発は放射能漏れの心配が無いとの発表であったが現場のジャーナリストの質問の一番目は(詳細は忘れたけど)馬鹿丸出しの、デマを煽る、品性を疑う質問であった。局の報道も一言小言が多いというか言いがかりというか、「放射能漏れは無い」という声明の真逆の「危険がある」というスタンス。マスコミの知性って結局我々サラリーマンと同程度で、高い意思というか職業倫理は無いということなのであろう。もしくは政府を疑うことが正義だと勘違いしていて、その視点(政府に批判的)でのトレーニングしかしていないので公正な視点という本来の職業倫理が欠如しているのかもしれない。
ちなみに枝野官房長官への2番目の質問は「炉心冷却に海水を用いるリスクは」という事であったのだが、これは答えにくい質問であろう。枝野長官は「専門家との協議の結果リスクは無い」という発言であったが経済的なリスク(復旧に時間やコストがかかる)ということに触れるのは道義的に問題があるであろう。あるいは東電はリスクの観点から合理的な対応を希望したが政府がコスト度外視での対応を要請した恐れがある。
だとしたら「過剰な対応をした政府」VS「それでも疑うマスコミ」で、東電や市民がその影で泣くことになる。
3番目の質問はNHKがぶった切ったので良く分からない。政府への的外れな批判的な質問が多いことで市民への不安を煽ることを配慮したのかもしれない。だとしたらGJNHKか。

仮に政府の対応にケチを付けるのであれば、政府発表の論理的な原発構造への不安と確率を述べる(理論で不安を述べるのは無限大なので確率や経済的な論理で語られるべき)のが正当だと思うんだけど、ど素人と思われる記者や有名コメンテイターの発言は何の根拠も無く不安を煽っているのは明白だった。だって根拠は一切無いのだから、馬鹿すぎる。

 

ちょっと脱線。仕事で重大クレームや事故に見舞われることはまぁある。その度にお偉い方々は「早く報告」「正しい報告」を求める、矛盾しているよね、一報で知っている限りの問題を報告すると「情報が足らん」とか平気でのたまう、分かってて言っているのは分かるけど馬鹿だろ。という経験をした人は非常に多いと思う。

というような事象がこのような災害にはあると思う。おまけに外部資料(映像)起因の要請では「分かっている限りを」発表するのか、完全を期して発表するのか。
なので声明の発表の速報性と確度は反比例しているわけで、そこを上手く伝えるのがマスコミの一番の仕事だと思うんだけどセンセーショナルな映像を垂れ流している。今回の震災にも速報と確度の高い情報は分けて考えるべきだと思うんだけどその手の配慮は全く感じられない。

 

話がずれた。マスコミの政府への信頼度が無いというか政府声明を正しく伝えない姿勢は異常である。「馬鹿な左翼が何でも政府批判」状態だと思う。
その結果、帰宅難民は増大したというか必要な情報が得られなかったと思われる。テレビよりもラジオの方が淡々と事実を伝えているように感じた、というか地域密着だったのか。テレビでは何の有用な情報は得られなかったと言って過言ではない。情報量の伝達能力はTVの方が圧倒的に多いにも関わらずである。

 

愚痴です。3/11帰宅時の報道は東北地方の報道に偏重していたと思う。というより役割分担が出来て居ないと感じた。ワンセグで(神奈川の地方局である)tvkを見ていたが関東の交通情報がある意味本当に必要な情報であったがどこをみればいいのか良く分からなかった。なので横浜駅まで歩く決断をしたわけであるが。
各局で情報の担当を分担するような仕組みは出来ないですかねぇ。例えば全国的な報道はNHKで、TV東京は娯楽担当、フジテレビか日本テレビは関東の報道とか。

 

 

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