土屋 健・木村由莉/講談社ブルーバックス
私が高校時代にアメリカに留学した頃、ホストファミリーは進化論を信じていなかった。今のそうなのだろうが、進化論を教えることは法令違反だった。だからと言って神を信じていたわけではないようだった。教会も行ってなかったし。
じゃぁなぜ信じないのか・・・と聞いたら、中間のものが存在しないから・・と言われたような気がする。人間が、今現在存在する猿から進化したわけではないことは誰でも知っている。分化しながら進化しているのであるから中間のものは現在のもので比べても存在しないから遡らなければならないが、その分岐点に当たるものは現在は滅びており、化石すら見つかっていないのだから。
だが何を持って中間とするかは随分幅のある話なのではないか? だがここでこの人と議論しても無駄だと思いそのまま私は口をつぐんだのであった。
本書は、逆にその分岐を利用して、かつ現生人類ホモ・サピエンスへ至る系譜の1つに絞り、ホモサピエンスはどの時点で何と別れたのか・・・ということで進化論を整理している点が興味深い。
特に、現在の理解では哺乳類の進化は爬虫類を経由しない・・どちらのグループもその根幹に近い状態で袂を分かったというところが、最初にグッとくるポイントである。
両生類から進化した有羊膜類から単弓類と竜弓類に大きく分化。単弓類が哺乳類につながる系譜であり、竜弓類が鳥類や爬虫類に繋がっている。じゃぁその単弓類の形はというと、極めてトカゲに近い。最初はトカゲのように手足が体の横側にあったが、それがだんだん体の下側に直立するようになってきて、四つ足動物の基礎のようなものになっていく。
生物オタクだった私でも全然知らないような〇〇類という言葉が延々と続く。研究も進化したのね。おそらくはゲノム解析がここらへんの研究に大いに役立っていることが、推測される。
あと、地球はかつて、猿の惑星ならぬ、類人猿の惑星とも言えるほど、たくさんの種類の類人猿がいた時代があるそうな。今は大変少なくなってしまったけれど。ヒトの時代になってからも、ホモサピエンスとネアンデルタール人は時代がかぶっていて,交雑もし,我々自身にもネアンデルタール人由来の遺伝子があることまでは有名であるが,それに限らず、デニソワ人なるものも同時代に存在し、父がデニソワ人、母がネアンデルタール人である混血少女の化石も発見されているそうな。
旧人とひとくくりにされるような様々な人類は各地にいた。ネアンデルタール人は寒さに強く、デニソワ人は酸素の少ない高地に強く、ホモサピエンスは乾燥に強いのだとか。異なる人類で賑やかかりし時代、交雑やコミュニケーションはどのように発生したのであろう。ホモサピエンス同士でも言葉が違えばコミュニケーションは難しいのに・・と色々考えてしまう。
いずれにせよ、私が高校時代に習ったものとは相当違っていてかつ細かい内容に舌を巻いた。私自身、どんどんアップデートしていかなきゃいけないな、と思った。